雨を纏う女(22日目・雨女)

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雨を纏う女(22日目・雨女)

夏休みが始まって直ぐ、僕の側に雨を纏う女の人が現れた。 薄い黄色のワンピース姿で、長い黒髪は鼻まで隠していて、口元しか見えない。常に霧雨のような水の気配があり、全身びしょ濡れだった。おかげで、僕が行く場所行く場所に、必ず雨が降る。雨で夏休みが終わるのも困るので、僕は遠出してみた。 電車を何本か乗り継いで、知らない海辺の町に来る。山でも良かったのかもしれないが、何となく海になった。もしかしたら、彼女が海に来たかったのかもしれない。雨を纏うくらいだから、水辺が好きなのだろう。別に、ここに来たからと言って彼女が離れる保証は無い。この海も例外無く、雨が降った。傘を差し、適当に浜辺を歩く。疲れたら砂浜と歩道を繫ぐ石段に屈んで、雨を吸い込む海をぼんやり眺めた。 雨の海も悪くない。スマホで写真を撮り、満寛に送った。彼女の気配はまだ、近くにある。あても無い、解決策も浮かばない。そろそろお昼。どうしようかと、石段で海岸を見回していたら、男性が一人、こちらに向かって歩いて来る。特に動かずにいたら、話し掛けられた。四〜五十代くらいだろうか。中肉中背の、黒いTシャツにジーパン姿。古く汚れた青い傘を差す彼も、遠方から来たらしい。ここは奥さんとの思い出の地らしく、聞いてないのに、向こうからたくさん話して来た。 夕方まで並んで海を眺めたとか、海辺のカフェでお茶をしたとか、微笑ましい話ばかり。でも聞く内に、何となく違和感を覚えた。口調も表情も穏やかなのに、どこかちぐはぐな感じがする。怖い。この恐怖心は、何だろうか。不思議に思いながら聞いていると、僕の側にいたあの女の人が、す、と男性に寄り添うように近寄った。長い髪で目は見えないけど、口元は嬉しそうに微笑んでいる。 「やっと見つけた……」 そう呟く彼女は、もしかしてこの人の奥さんなのだろうか。そんなことあるかな? まだ楽しそうに話し続ける彼に後ろから抱き着き、彼女は男性に笑顔で頬を寄せ、言った。 「よくも私を、ここに埋めてくれたわね」 「え、」 思わず声が出た僕に、男性は不思議そうな顔をする。 「すみません。……楽しい思い出ばかりなんですね」 「そうなんだ。あいつがいなくなってかなり長くなったが、今でも時折ここに来てるよ。あいつはよく黄色のワンピースを着ててね。よく似合ってた。雨女でもあったよ。いつも雨を降らすんだ。こんな雨を。ーーいきなりこんな話ばかりして悪かったね。君を見たら、何だか話しかけたくなって」 男性はにこやかな笑顔のまま、海岸から立ち去った。彼女をしっかりと背負って。女の人は一度だけ僕を振り向き、笑顔で会釈した。後はもう、男性にしがみついて、二人一緒に遠くなって行く。 残された僕は、二人の姿が見えなくなるのを確認してから、海に目を向けた。 灰色だった海が、深い青緑色になっている。空はほんのりと明るい。 雨は、そろそろ止みそうだ。
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