黒い煙

2/5
前へ
/5ページ
次へ
 ユカリは、しばらく家に置いてほしいなどとふざけたことを言ったっきり、承諾もしていないのに家に居座るようになった。  洗濯と掃除だけはしてくれるが、料理はできないらしい。心底ウザい。  世界が変わればいいのにとか何とか考えてはいたけれど、こんなおかしな環境の変化は正直いらない。  何の意味があるんだ。  ユカリは、小学五年生で仲良くなり、それからずっと縁がある友達だ。  しょっちゅう遊んだりはしないけれど、大人になった今でも、たまに会って話をする。  大抵お互いの近況報告、と言いたいところだが、大抵ユカリの近況報告だ。  まあ無理もない。私が自分のことを話したがらないから。  彼女の話はいつも明るかった。彼氏ができた話、仕事が順調な話、それと、友達の結婚式に行く話。  懐かしいあの人に会ったとか、あの人は今こうしているだとか、なんかそういう、人脈の広そうな話をする。  別に他人のことなんて興味はなかったけれど、そんな話を聞いている方が楽だった。自分の話をするよりも。  私が話すと、愚痴しか出てこないから。 「私、もうすぐ結婚するの」 「は!?」  無理矢理にやらせている食器洗いを、不器用そうにやりながら、彼女は唐突にそう言った。  泡のついた手をそのままに、私の方を振り返って、きゅるんとピースをする。  可愛くない。 「じゃあなんでここにいるんだよ」 「え?なんでって?」 「だから、結婚するならそいつのとこ行けばいいだろ」  私は、住む家がなくなったとか、そういう理由で彼女はうちに来たと思っていたのだ。  どうやら違ったらしい。ユカリは私の言葉に、心底不思議そうに首を傾げている。 「いやいや~だって一緒に住んでるのに?」 「住んでるのかよ!じゃあ何、喧嘩とか?」 「ううん、仲良しだよ。だーいすき」  かわいこぶってそう言ったユカリと、その結婚相手の「将也くん」とやらは、本当に結婚間近のラブラブカップルらしい。  なんなんだ。  それなら余計、うちに来た意味がわからないじゃないか。 「あっそ。なら、なんでうち来たんだよ。何かあるのか?」 「うん。アカネに会わなきゃダメだな~と思ったの」 「は?なんで」 「だって~……なんかすごい愚痴言ってたから?」  ユカリの言葉に、私は考える間もなく、心当たりに思い当たった。  ツイッターの裏アカウントに、私が三日前に投稿した愚痴のことだろう。  見てたのかよ。別に見なくていいのに。 「あれは別に、一時の感情の昂ぶりというか」 「話聞かなきゃかな~って思ったの!なんか悩んでるっぽかったし」 「……いいよそんなの」  そんなガラじゃないだろ、お前。  会ったときには、私のことなんてそんなに聞いてこないくせに、彼女はいつもそうだ。  私が裏で漏らす、そういう愚痴だけはちゃんと見ている。  とはいえ、自主的に、そのためだけに私のところへ来て、心配してくれるなんてことは今までなかった。  何の気の迷いなのかと、私は彼女の心配を素直に受け取らず、猜疑のこもった目を向けた。 「ね、大丈夫?しんどいならさ、話聞くよ?」 「……いいよ。別に大したことないし」 「小説、進んでるんだっけ?」  だから、なぜかやたらと私の書く小説のことを聞いてきていたのか、と思う。  ユカリは何かと、どうなの、どんななの、と、いつもは聞かないことを質問してきていた。この家に来てから何度も。  その度に、あまり多くを話したくない私は、そんなに言うなら読んでくれと、自分の小説を読むよう勧めた。  でも、彼女は一度も読んでくれていない。 「まあ、うん。大丈夫だよ。愚痴なんていつものことだ」 「本当?でも私、アカネの親友として、結婚する前に手を差し伸べてあげたかったんだよね」 「……。なんかムカつくな」 「え~なんで?結婚前に忘れ物を取りに来た、みたいな感じよ」 「意味がわからない」  いらぬお節介、としか言いようがない。それに、最後のセリフ、決め台詞みたいに言うな。  呆れる。  いざというときに助けようと思うなら、私の書いた小説、読んでくれればよかっただろ。  大丈夫?とか、そんな言葉。  矛盾している。彼女の行動は、私を助けるどころか、私の心を追い詰めている。    結局、自分の人生が優先、なんだろう。  まあ当たり前だ。 「お前なんて、洗剤で手めちゃくちゃに荒れてしまえばいいよ」 「げ、ほんとだやばい!皿洗い途中だった」  泡まみれの手を振り回しておいて、うっかり忘れてたみたいに言うなんて、馬鹿以外の何者でもない。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加