黒い煙

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◇  夏の夜は、物語の気配がする。  生温い空気が充満する夜、息を吸い込む度、そう思っていた。毎年のことだ。  でも、その匂いは、雰囲気は、私が創造する物語を簡単に超えてしまう。  私は、夏を題材にした物語を書いたことがない。  夏の匂いは、寂しい。 「ただいま」 「あ、おかえり~」  仕事から帰ると、半袖半ズボンの部屋着姿のユカリが、だらだらと寝転がっているのが見えた。  彼女はもうすぐ結婚するから、仕事をやめたらしい。することない、とかいつもほざいている。  だったら何時間でもかけていいから、晩ごはん、作ってくれよ。  カーテンが揺れている。暑かったらしい。窓が開いていた。 「お風呂入る?」 「うーん……うん」 「お湯沸かすよ」 「いいよ。暑いから」  立ち上がろうとしたユカリは、私の言葉に頷くと、まただらんと寝っ転がってしまう。  彼女の横には、私の本棚に置いてあった、今話題の漫画が積み上げられていた。  外から入ってくる風が、夏の匂いを運んでいる。  お湯沸かすよ、とか言うなら、帰ってくる前に沸かしておけよ。  シャワーを浴びる準備をしながら、私は心の中で悪態を吐いた。  実際は、私が入らないと言った場合にお湯が無駄になるから、別にそれが正解とは言えない。  ああ。  たぶん、イラついている。  小説は、あまり読んですらもらえないものだ。  SNSでは、そこかしこに漫画が投稿されていて、それは多くの人の目に入る。  私だって読む。つい、読んでしまう。  漫画やアニメ、映画には、やっぱり負ける。そう思っていた。誰にだって手が出しやすくて、疲れないから。  小説は、好きな人にとっては最高だが、好きじゃない人にとっては、眠気を誘うお経本だ。  たぶん、私の小説だって、読んでほしいと頼まれても、読みたくないと思う人がほとんどなのだろう。  携帯小説サイトだって、昔に比べれば本当に廃れてしまった。  人がいない。人がいないから、読む人がいない。  流行りのものは読まれているし、コメントもついているが、やっぱり格段に減ったと思う。  そんな場所で、無名の私が小説を投稿したって、読んでくれる人はいなかった。  宣伝方法を工夫するべきか?場所を変えるべきか?もっと気を引くやり方はないか。  色々考えた。何かの賞に応募する方法も。  ネットで調べると、今応募を受け付けている、色々な新人賞が飛び出してくる。  吐き気がした。いつもそうだった。  思考が色んな方向に飛んでいって、時間だけが過ぎていく。どれもこれも、怖い。  小説は、芸術作品だ。絵画や歌と変わらない。漫画や映画もそうだと思う。  それを、何の基準で評価するんだ?そんなのあるわけない。いいか悪いかよりも、好きか嫌いかなのだから。  そう思うと、何度考えても、どこかに応募しようという気が起こらなかった。好きな人もいれば嫌いな人もいる。それなのに、誰か一人、どこか一つに決められたくない。  ああ。  自信がないのだろうな、私は。  そんなんで、どうして小説家になれるなんて。才能があるなんて、どうして思えているんだよ、お前は。  自分を何度嘲笑って、変わりたいと言葉に向き合っても、自信なんて持てなかった。  自分の小説を好きだと思えることと、自信を持つこととは全く別物だ。  自分の「好き」に自信が持てなかった。  日々ネットにアップするという今のスタイルを続けている私は、結局、その選んだ道にも文句を言っている。 「ねえ、そろそろ忘れ物、回収させてくれない?」 「あ?」  シャワーを浴びて、髪を乾かして、スーパーで買ってきたお惣菜を温めて、やっとご飯を食べ始めたときだった。  ユカリが急に変なセリフを吐き出したので、思わず唐揚げを出迎えるために開けていた口をそのままに、私は返事をする。  ちなみに、ユカリの分のご飯は、私は買ってきていない。 「悩んでることあるんでしょ?聞かせてよ」 「はあ?」  うるさい。  ニコニコ笑顔で私を問い詰めてくるユカリは、本当に何がしたいのだろう。  そんなんで、本気で私を慰められるとでも?  応援できるとでも思っているのか。
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