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第四十七話 ウチのこと、お嫁さんにしてくれる?
「おっちゃん、ついに明日やな!」
昼下がり、控え室のソファから立ち上がりざまにミスズが言った。なにが嬉しいのか、輝くような笑顔だ。
魔女のアジトを監視する斥候から、五日前にアレクス隊が突入したという報が入ったが、今に至るも彼らは脱出していないらしい。
内部構造は判明していないため、単に日数が掛かっているだけで、失敗したとは断定できないが、食料は持参していないらしいので、遭難した可能性は非常に高い。
そのため、明日俺たちが出撃することになったのだ。
「まったく、遠足に行くような勢いだな」
「べっちょ楽しみってわけやないけど、やらんならんことは早めに済ましといたほうがスッキリするやん? ウチ、宿題はちゃんとやってから遊びに行く子やったしな」
「俺は宿題なんかしたことなかったな。だいいち、宿題なんかしていたら陽が暮れて、遊ぶ時間なんかなくなってしうぞ」
いい子だったからダンプに轢かれても死なずに、異世界に飛ばされるだけで済んだのか? …いや、悪い子の俺も来ているのだから、それは関係ないだろうな。
「宿題はちゃんとやらなアカンやろ」
「ああ、帰ったらそうするよ」
死ぬかもしれないのに、ここ数日の訓練のお陰なのか、俺は自分でも驚くほど落ち着いていた。
「なぁ、川原行かへん?」
「川原? 川原へ行ってなにをするんだ?」
「…ウチ、お風呂入りたい!」
「ああ、アレか」
ただの風呂なら召使に言えば溜めてくれるが、ミスズが言っている風呂というのはもちろん、川原に掘った露天風呂だ。
「そう言えば、家を借りてからは、あの開放感を忘れていたな。いいぞ、行こう!」
「せやろ? せやろ?」
笑いながら、手を広げてくるりと回った。
「この世界に居るの、今日で最後かも知れへんしな!」
見た限り、ミスズも恐れたりはしていないように見える。
俺たちは揃ってどうかしている。
「いい場所はあるかい?」
「ちょい待ち」
そう答えるとミスズは、壁に向かって動きを止めた。
とは言え、別に壁を見ているわけではない。
無地を背景にした方が、眼の中の地図を見やすいのだそうだ。
「…この方向に山を下ったところに、エエ感じの川原があるみたいや。歩いて五分くらいやろか。…ホンマはラウヌアの川原がエエんやけど、遠いさかいな」
砂漠越えをして東京大阪間程度だから、距離としては微妙だ。隣とは言え別の国だから、距離以上に遠さを感じる。
「じゃあ、そこにしよう。しかし、その頭の中に地図が出る能力、むちゃくちゃ便利だな」
表示される範囲は半径五百メートルほどだから、砂漠では役に立たなかったが、グールドアースが頭の中にあるみたいなものなので、実際はかなり凄い能力だ。この能力を使えば、魔女のアジトでも最短で最奥部に到達することが出るだろう。
城内の控え室から出て、園庭に向かう。敬礼する衛兵に手を挙げて応え、夕焼け空の下に出た。
「…なんだか泣けてくるような空の色だな」
『そうですね。夕日を見ると物悲しくなります』
季節は分からないが、秋の夕暮れのような風情だ。“秋は夕暮れがいい”とは、昔の人はいいこと言ったな。
「おっちゃーん、こっちこっち!」
「そんなに慌てなくても、川は逃げないだろう?」
マイペースで歩く俺の周りを、ミスズがちょこちょこ走り回る。花を摘んだり、石を投げたり、木の枝を振り回したり。その動きは、見た目よりずっと幼く感じる。
樹の間から水面のきらめきが見えると、痺れを切らせたミスズが駆け出した。それを追って歩いていくと、前方で水柱が上がった。
ドオォォォン!
「忙しないなぁ…」
呟きながら土手を下ると、小石がパラパラ降ってきた。
右前方で浮いているアリアが、上を指してなにやら騒いでいる。
見上げたとたん頭上で光の円盤が展開され、人の頭ほどもある岩が、円盤でバウンドして足元に落ちた。
「あっぶねぇ…」
冷汗を払いつつ礼を述べる。
「ありがとう、アリア」
アリアは、にっこり笑って頭を下げた。
「…おっちゃん、変な顔してなにしとんの?」
誰のせいだと思っているのだ。アリアに無駄な魔法を使わせてしまったじゃないか。
ミスズに合流したあと、あの頃と同じように、いくつかの魔法石を使って円形の湯船を作り湯を溜めた。あの頃と違うのは、湯が薬草入りであることと、アリアが居ることだ。
「また俺が先に入っていいのか?」
「エエで。ジョセイの支度は時間がかかりますのんよ」
変な言葉遣いで応えつつ、例によってミスズは茂みに入っていった。
どうせ湯船で泳いだりするのだろうが、その場でいきなり脱いで、裸で湯船に飛び込んだりしないだけマシと言うべきか。
茂みから出てきそうな気配がしたので、気配りで視線を逸らす。
バシャバシャバシャ(かけ湯をしているようだ)…とぷん(湯船に入ったな)…ごぼごぼごぼ(潜水した?)…ばしゃ!(浮上!)
「ぷぁあ。…おっちゃん、なんで他所向いてるん?」
俺の正面に浮上したミスズが言った。
「…家族でも恋人でもない女の裸は、ジロジロ見てはいけないんだよ」
ミスズ浮上の飛沫を拭いながら、横を向いて答える。
「んあぁ、そゆこと…」
あっさり答えると、くるりと半回転して俺の隣に凭れた。いつもはもっとグイグイ来るのに、今日は随分物分りがいいな。
そよそよそよ…さらさらさら…
夕暮れの露天風呂、涼しい風、せせらぎに向かってミスズとふたり、並んで夕日を見つめる。幸せを感じるね。
「…なぁ、おっちゃん?」
「ん…? なんだ?」
ミスズは身を起こすと、湯船の壁面に手を衝いて、まじめな顔で俺を見下ろした。なんとなく壁ドンされている気分だ。
「ウチのこと、好き?」
のぼせてしまったのか、顔が赤い。
「あぁ、大好きだぞ」
それは本当のことだから、何の問題もないはずだ。
「ウチもおっちゃんのこと大好きやから…」
ミスズはそこで言葉を切ると、少しモジモジしながら後を続けた。
「もしあっちに帰れんかったら、ウチのこと、お嫁さんにしてくれる?」
ミスズの口から出た言葉に、俺は硬直した。
それは一度夢想し、あり得ないとかき消した未来図。
急速に喉が渇いていくのを覚えた俺は、舌が縺れさせながら、平静を装って答えた。
「…絶対に帰るのではなかったか?」
「当たり前やん。絶対帰るけど、帰れんかったときの話や」
俺は返答に窮した。ミスズの言う“絶対帰るけど、帰れんかったとき”という前提が、まず矛盾している。
なにより、魔女を倒した暁には、必ず元の世界に帰してくれると、アリアの父親が保証してくれている。そして、魔女に敗れてしまえば、帰るのどうのという問題ではなくなる。
ミスズが言うような状況が起こり得ないことは、賢明な彼女なら分かっているはずだ。だとしたら、ミスズは帰らないつもりなのか?
行き場のなかった思いが、行き場を見つけてしまった。
なら…。
だったら…。
魔女の脅威は世界的なものではなく、この国だけの話のようだから、砂漠を越えることはないだろう。成功するかどうか分からない魔女討伐など止めて、ふたりでラウヌアに帰って暮らそうと。
そうミスズを説得して、ここから逃げたい。
浚ってでも…!
俺はひとつ、大きく息を吐いた。
「…あぁ、彼氏には悪いが、帰れなかったときは結婚してくれ」
「んはは。おっけ~」
にっと笑うと、ミスズは俺の胸に覆いかぶさってきた。
ダメだダメだ、ここで逃げたら一生後悔する。
人生は短いものだが、一国を見捨てたなどという、特大の後悔を抱いて生きるには長すぎる。悪い気の迷いだ。
「んーふふふ、だーいーすーきー、おっちゃぁん」
妙なリズムをつけて、くねくねしながらミスズが言う。
辻褄とかはどうでもいいのだ。
約束とは未来に向けてするものだから、約束すること自体が大事なのだ。
俺とミスズが結婚して、子供ができて、そのうち一家で洞窟探索するようになって、魔界とやらも探検して…。
あり得ないけど楽しい未来。そんな未来があってもいだろうと、俺は剥き卵のようなミスズの額を撫でながら思った。
「せっかく別の世界に来たのに、ずっとあっこに居ったの、よう考えたら勿体無かったなぁ。魔女やっつけたら、あちこち旅しよーな?」
もしもの話だったはずが、いつの間にか確定になっている気がするが、そんなことを気にしてはいけないのだ。
「あぁ、そうだな。どっちにしろ、公爵を丸焼きにしてしまったから、勝って戻ってもこの国には住めないだろうしな。ははは」
「あー、ウチ、やりすぎてもたやろか?」
「いや、俺たちはこの国の住人じゃないし、売られたケンカを買っただけだし、死人も出さなかった。なんの問題もないさ」
貴族が平民を殴るのは普通のことだろうし、彼らが特段悪かったわけじゃない。
ただ、相手が悪かっただけだ。国の中枢に居るヤツが、“戦力が解らない相手にケンカを売ってはいけない”と悟るのは、決して悪いことじゃないだろう。
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