第五十六話 死にはする。だが、ただでは死なん!

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第五十六話 死にはする。だが、ただでは死なん!

「…なんだよそれ! そんなこと、最後に言うことかよ。名前じゃなかったとか、どうでもいいよミスズさん。キミはミスズさんだよ…」  別れは別れだが、泣くのは違うと思った。悲しさと、祝福してやりたい気持ちが綯い交ぜになって、俺に大声を出させた。 「くそおおおおおッ!!」 『…シオン様』  俺の傍で、いつからか黙り込んでいたアリアが言葉を発した。 『申し訳ありません、シオン様。…私もお暇させていただきます』 「なんだって? アリアも俺を置いていくのか?」  遠くない未来に別れは来るのだと予告されていたが、まさか今とは。しかもアリアに訪れたのは、ミスズとは違って本当の死である。 『蠱龍は青い石を与えれば蘇ります。魔物も今のシオン様は魔法が使えますから、私が居なくても、きっと城に戻れるでしょう』 「そんなこと心配するな。なんでこんなときにまで俺の…」 『城に戻ったら、お父様に…大神官に言えば、元の世界に…』  俺に手を差し伸べたアリアの姿が揺らぎ、ノイズにまみれる。その手を掴もうと手を伸ばしたが、もちろん触れられない。 「アリア!」 『消えた…ない…私は…ずっと…旅…消え…シオ…!』  雑音だらけで途切れ途切れの叫びを残し、アリアの姿が消えた。 「…アリア?」  返事はなかった。  アリアもまた消えた。俺の脳内から消えた。  ミスズと違うのは、眼に見えるものを何ひとつ残していかなかったことだ。 俺の前から消えたミスズは、元の世界で生きている。二度と会えないのだとしても、生きているというだけで我慢できる。  だがアリアは…。  広くて薄暗い空間に、俺はひとり残された。 「…くそォ…」  なにに対してか分からぬまま、俺は悪態をついた。 「…帰るか」  口にしたものの、その前に証拠になるものを手に入れなくてはならない。間違いなく魔女を倒したという証拠を。  勝ったのに、倒したのに、俺はすべてを失った。  国を救った英雄の一人のはずなのに、なんでこんな気分にならなくてはならないのか。俺の姿もまた、勝者のそれではなかっただろう。  俺は俯いたまま、玉座に向けて歩き出した。 「…!」  そのとき、玉座で膨大な魔法力が発生した。  反射的に顔を上げた俺の前で、動かなくなった動死体の山を掻き分けて、魔女がゆらりと立ち上がった。 「…おい、こんなときに、冗談だろ…?」  純粋な魔術師であったはずの魔女から、高位回生術の青い光が発している。今までは一度も、アリアが俺の腕を再生したときですら見られなかった濃い青だ。  頭と手足はまだしも、少なくとも胴体は細かな肉片になったはずだ。あの状態から蘇生するなんて、なにが起こったのだ? 「野郎、三味線弾いてやがったのかよ…」  魔女は二、三度頭を振ると、俺に向けてふらふらと歩き出した。  着衣は身体と一緒に弾け飛んだせいで全裸になっているが、身体は完全に再生し、まったくダメージは残っていないようだ。  俺は瞠目した。これを恐怖というのだろう。 『俺はヤツの胴体を貫いたはずだ。俺の目の前で、ヤツの身体は四散したはずだ。手ごたえだってあった!』  あれが幻覚だったなら、俺の身体を染めている赤いものはなんなのか? この血は誰のものだというのだ? 『死ねば俺も帰れるのか?』  そんな考えが一瞬過ぎった。 『いや、たとえ帰れるとしても、アリアを犠牲にしてまで召還されて、なにも成すことなく帰ることなどできるものか!』  しかも、向こうに帰ってもそれを覚えていて、情けない記憶を引きずったまま生きるなど、怖気がする。 「死にはする。だが、ただでは死なん!」  総力戦だが、乾いてしまった蠱龍を起こす暇はないだろう。  現に、なにをするつもりか分からないが、魔女は右手を眼の高さに挙げ、こちらに近付きつつある。  石の床と裸足が触れ合うヒタヒタという音が、次第に大きくなる。  重くて硬い剣は壊れてしまったので、予備に持っていた両手剣を抜き、柄に手持ちの最高のアプリを突っ込み、炎魔術を剣に相乗させる。  自分の身体には、アリアが残していった強化系法術を使えるだけ使い、ミスズが残していった魔法石を叩き込む。 「ぐうっ…!」  身体がきしみ、悲鳴を上げるが、構わず魔女に向かって突撃をかけた。剣と身体を一塊の武器と化して、魔女への一撃に賭ける。 「おおおおおおおっ!」  俺の攻撃が魔女に届く刹那、魔女はなぜか膝を衝いて、やけに低い位置で破魔魂聖を発動させた。  そのせいで俺の身体は、破魔魂聖の上を滑るようにして、魔女の背中側に飛ばされた。 「ぐぅはぁっ…!」  石の床を転がる。 「なに…? 破魔魂聖だと…?」  高位回生術と破魔魂聖。  この魔女は、今まで使える能力を使わずに、俺たち四人の攻撃を凌いでいたというのか? こんなヤツには勝てない、敵うはずがない。この世界に来て最大に膝が震えた。 『ふたりの魔法使いのお陰で、ここまで来られたんだ』 『もう居ない。ふたりはもう居ない』 『俺など、ただの一般人だ。ただでかいだけの、ゴミだ…』  反対側に転がった俺は、立ち上がることもできないまま、震えながら魔女の後姿を見ていた。伏せていた魔女が、すっくと立ち上がった。  できることなら、永遠に振り向いてくれるなと思った。  だが、その願いは誰にも届かなかった。魔女はゆっくり振り返り、俺はその、光る眼を見て心底恐ろしくなった。  死を覚悟した。 「くっ…そぉ…っ」  だとしても、座して死を待つわけにはいかない。  震える足を叱咤し、残った力を注ぎ込んで立ち上がる。ミスズに買ってもらった両手剣が、とてつもなく重く感じる。  切先を引きずりながら、一歩を踏み出す。  俺なんかを召喚するために、命を捧げたアリアの、気高き聖女の勇気に報いるために。俺は! 「お前を倒さなきゃ、アリアに合わせる顔がないんだよォ!」  俺と魔女以外動く者のない、ただっ広い地下空間に声が響いた。  そのとき、魔女の眼から光るものが零れ落ちた。  「お…待ちください」  魔女が口を開いた。 「あ…?」 「…私です。アリアです。シオン様…」 「なん…っ!」  言ったきり絶句した。そして重力に耐え切れずに膝を衝いた。  自分をアリアだと名乗った、魔女の姿をした聖森人は、よろめきながら俺に駆け寄ると、怪我を優しく癒してくれた。  青い光が地下空間に広がった。
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