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第五十九話 俺は俺の国を作るんだからな
「…強制はしないから、よかったらでいいんだ。…俺の、相棒になってくれないか?」
だらだらと汗を流しているが、逆に口内はカラカラに乾いている。満足に動かない舌を縺れさせながら、俺はアリアに語りかけた。
俺の顔は、恐らく真っ赤になっていただろう。
「…私は、こんな姿になってしまって、それ自体は仕方のないことですが、国の皆さんは、私の姿を見れば嫌なことを思い出すでしょう。例えこの身体が魔女のものと知られていなかったとしても、この身体の持ち主の知人から、きっと知られてしまうでしょう…」
「いや、そんなことはないと思うぞ? 魔女の性質なんて、誰も知らないのだからな」
「ですから、シオン様が以前仰ったように、この世界に残って旅をなさるのでしたら、シオン様の道行きにご一緒させて頂いて、この国から出ようと思っておりました。…でも、シオン様は元の世界に帰られると仰いました。私は悲しくなりました。ひとり残されるくらいなら、儀式に名乗り出て、シオン様をお送りした後、ひとり果ててしまおうと…」
「アリア? なにを言って…」
「ですから、シオン様が帰るのをやめて、その代わりに私を所望されると仰るのでしたら、私に異存は…」
「…つまり? どういうことなんだ?」
「ででで、ですからぁ! シオン様がここここに残って旅に出るんだったらら、わわ私も連れてってって言ってるんです! もうっ!」
アリアも顔を真っ赤にして、半泣き状態になっていた。
「…そ、そうか。ありがとう…」
軽くなった俺の心に呼応するかのように、回廊に新鮮な空気が流れてくるようになった。
その風に導かれて進んでいると、突き当たりの壁に明るい光が差し込んでいるのが見えた。意識しなくても歩調が早くなる。
角を曲がると、往路で降着したテラスに出た。
涼しげな風が吹きぬけ、まぶしい光が眼を射る。
「ふぅ、やっとこスタート位置に戻ったな」
「やはり外のほうがよいですね、シオン様」
「そうっ…」
問いに答えつつアリアに視線を向けた俺は、その美しさに言葉を失った。
風に靡く銀色の髪、凛とした金色の瞳、白い肌と尖った耳介。陽光を浴びて、全身が輝いているようだ。
陳腐な言い方だが、美しすぎる。以前会ったときも、玉座の間で会ったときも、怖さと冷たさしか感じなかった美貌なのに。
柔らかな表情を含むだけで、これほど評価が変わるものか。
これが聖森人固有の姿だというのだろうか?
「いかがなさいました? シオン様?」
「いや、アリアが綺麗すぎてな。ちょっと言葉を失った」
「ありがとうございます。この身体は聖森人のものですから、美しさでは人類種随一でしょうね」
あっさりと肯定するアリア。
もう少しなにか、そう、照れるとかないものか?
「意外と淡白な感想だな。アリアは綺麗になって嬉しくないのか?」
「聖森人が美しいのは世界の共通認識ですし、お仕着せの服を褒められても、嬉しくは感じないものでしょう?」
「…まぁそうか。そうだよな、他人の身体だものな」
急激な頭皮のかゆみを覚えた俺は、ガリガリと頭をかいた。
「それよりも私は…」
アリアは言葉を濁して目を逸らした。
「ん? それよりも、なんだ?」
「いえ、そうは申しましても、これからはこの身体で生きていくわけですから、自分の姿として愛したいと思います」
話を逸らされた気がするが、アリアはなにを言おうとしたんだ?
「まぁ…そうだな。前向きなのが一番だ」
斯く言う自分は、相棒と令嬢から逃げてきたようなものだから、前向きとは程遠い。
こちらに呼ばれたことで半ば安堵していたくらいなのだから、呼ばれることがなかったとしても、きっと俺は彼女たちの前から姿を消していたに違いない。
「でもな、俺は、アリアが“みつけました”って言って、初めて俺の頭に出てきたときから、可愛い子だと思っていたぞ?」
「えっ…?」
「その子が頭に常駐し始めたのは嬉しかったし、触れられるアリアが俺の前に出てきたのはもっと嬉しかった」
もっと格好のいいセリフがあるんじゃないのか、これじゃ欲望丸出しだ。頭の中で文字がぐるぐる回ったが、結局、口から出たのはこんな言葉だった。
「つまり、アリアはどっちでもアリアだから、触れるし嬉しい!」
これが四十年近く女っ気のなかった男が、脳細胞を総動員してひり出した、口から出た瞬間に後悔するセリフだ。恐れ入ったか。
「…はい」
くすりと笑ってアリアは、右手を出した。
「どうぞ」
俺はその手を握った。少し冷たいけれど、とても柔らかだった。
「大丈夫ですよ、シオン様。大神官…いえ、お父様が以前申しておりました。男が格好悪いところを見せられる女になれ、と」
「そ、そうか。…それは、なんと言うか。ハハ…」
今度は俺が苦笑いする番だった。
「アリア、背中のヤツを起こしてくれ」
「はい」
アリアが水魔石を砕いて水を撒くと、仮死状態になっていた蠱龍が、ぶるぶるという翅の振動と、ギチギチという関節の音を発しはじめた。残念ながら今は見えないが、蘇生するに従って、濃い灰色からメタリックグリーンに変わっていくさまは一見の価値がある。
「シオン様、蠱龍が蘇生しました」
「…アリア、その、シオン様はやめてくれないか。敬称禁止」
“うっ”となるアリアに、人差し指を交差させてバツを作り追撃。
「おっちゃんもダメだ。あれはミスズさんだけにしか許さない呼び名だからな」
なにか言いかけたアリアに連撃。選択肢はないも同然だ。
「では、…シオン…?」
「そうだ、ゆくぞアリア!」
見た目より軽いアリアを抱き上げ、断崖に向かって歩みを進める。
「ああ。城に帰る前に、ちょっと寄り道をしていいか?」
「はい、構いませんが、どちらに?」
「城に入る前に一泊した宿屋だ」
「なにか忘れ物でも?」
「いやな、アリアの気が変わって、俺を送り返そうなんて考えても、できないようにしてやろうと思ってな」
俺はあえて抑揚なく、さらりと言った。
「そんなこと、決して考えたりはしませんが。…は? …ん?」
さまざまな変顔をしながら、俺がわざとやった婉曲な言い方を、頭の中で転がしたり咀嚼したりしているうちに意味に気付き、瞬時に赤面して顔を覆うアリア。
「…あっ! えっ? そんな!」
「…だめか?」
赤面顔のアリアが指の間から、うらめしそうな視線を俺に向けた。
「…シオン? 性格が変わったのではありませんか?」
「そりゃ、散々頭の中を弄くられて、魔法まで使えるようになれば、性格くらい変わるさ」
言葉を切って、ぐっとアリアに顔を寄せた。
「…それで、だめなのか?」
「だめ…ではないです…」
消え入りそうな声で答えた後、感情が弾けるアリア。
「…もうっ! わざわざそんなこと聞きますかね? この朴念仁は!」
「アリアも性格変わってないか?」
「それは、新しい身体に入れば、性格だって変わります!」
「……」
「……ぷっ」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
「でも、ブリンチナ様はいかがなさるのですか?」
「あっ…」
なんてことだ。色々ありすぎて、すっかり忘れていたぞ。
「…勿論断るさ。と言うか、最初から本気にはしていない。第一王女なんて娶ったら、間違いなく政争に巻き込まれて、下手したら謀殺されるかも知れん。そんなのは真っ平だ」
俺は言葉を切って、探りながら続きを言葉にした。
「それに…」
『俺は俺の国を作るんだからな』
これは川原でミスズと語り合った夢であり、アリアには関係がないので口には出さなかった。だが、約束した現場に居たアリアは、それとなく察したようだ。
「…それに、お姫様を連れて、旅はできないだろう?」
「勿論、私はお供します。…相棒ですから!」
アリアの意気込みが、感情の薄い聖森人の顔に乗って、とても不思議な感じがした。
「ありがとう。それじゃ、帰ろうか」
「はい」
ミスズと魔女は、自ら望んだ場所に赴いた。
だが、俺とアリアも同じだ。
身体を失ったアリアは新しい身体を得て、俺は新たな相棒と守護対象を得た。
これは、あの玉座の間で束の間触れ合った四人が、それぞれ在るべき場所に向かうという“物語”だったのだろう。
断崖に向かって駆け出す。
「頼むぜ蠱龍ちゃん!」
それに答えるように、背中の蠱龍がギチギチと鳴いた。
俺は虚空に身を躍らせた。
第一部 完
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