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 辺境侯ヘロディスが病で急逝してから一年が経とうとしていた。当主を失ったレビオール家では、長男のセヴランが戦地のヨルベトから帰還し、慌ただしく爵位を継承した。まだ三十に手の届かない新たな当主を、領内の人びとは期待と不安を抱きつつ見守っていたが、月日が経つにつれ、彼の賢明さを称えるようになり、レビオール侯爵領はしばらく安泰であると信じるようになった。  ところが春が近づくにつれ、セヴランは気が違ってしまったのではないかと使用人に怪しまれるような事態が、マ=モン城の中で起きていた。  数日ぶりの雪が激しくなったある晩のことだった。暖炉には薪が多めにくべられ、晩餐のテーブルには熱いスープが並べられた。家族の仲は良くないが、晩餐には顔を合わせる習慣になっていた。 「四月になったら、ガルシアと婚礼を挙げる」  セヴランの言葉に、俯き加減に食事を取っていた家族は手を止めた。 「本気ですか、兄上?」  弟のアロイスが訊ねる。 「ああ」  末席のガルシアに視線が集まった。広間のテーブルは、ここ二十年ほどですっかり数を減らした家族には大きすぎて、暖炉の近くに四人が固まって座っていたが、ガルシアだけが席をすこし離されていた。ガルシアはヘロディスの後妻で、夫の死後もこの城に留まっている。黒い服を着た彼女は雪のような顔をいっそう白くして、睫毛を伏せている。結い上げた黒髪は艶やかで、装飾品はなにもつけていないのに冠を戴いているようだった。   給仕が肉料理の皿を運んできた。 「あー、まあね。いいんじゃない?麓の人間はガルシアのことなんてよく知らないから、兄上がまさか親父の嫁さんと結婚したなんて思わないだろうし……」  言葉が過ぎたアロイスは兄に睨まれ、首をすくめて苦笑した。 「彼女は父上と正式に婚姻した訳ではない。法学者も私とガルシアの結婚は合法だと認めるだろう」 「渋々、ね」  セヴランは咳払いし、山鳩のローストにナイフを入れた。 「良いじゃないの」  甲高い声を上げたのは、妹のジュディットだった。彼女とアロイスは双子の兄妹で、顔立ちもよく似ている。 「お父様よりわたしに歳が近いひとを、母なんて呼びたくないもの。お姉様……ならそのうち慣れるでしょう」 「前向きだね。僕は今までどおりガルシアと呼ばせてもらうよ、良いだろう?」  アロイスの問いに、美しい女は表情を変えずに頷いた。 「お兄様、司祭を呼んできちんと儀式をするの?」  ガルシアには目もくれず、ジュディットはセヴランに訊ねた。 「ああ。あまり派手にはしないつもりだがね」 「わたし、結婚式に参列するのは初めて。新しいドレスを作っても良いかしら?」 「勿論」  ジュディットは目を輝かせた。この娘は、顔の左半分が赤い痣で覆われている。濃鼠色のドレスの袖から伸びる右手首から甲にかけても、痣が広がっていて、色白ゆえにどうしても目についてしまう。食事時でも短いヴェールで、顔を隠そうとしている。
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