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九
空には厚い雲が垂れ込めて薄暗く、午前中なのに夕刻のような空気で、いっそ雨が降ったほうが清々しいような天候だった。
「崩れないといいのですが」
衣装を整えていた従僕の少年が呟いた。
「今なら降っても構わないだろう。招待客は揃っているのだから、悪天候の中、馬車に乗って不快な思いをせずに済む」
「それはそうですね」
少年は笑顔を見せた。よい主人を演じるのは簡単である。少し頭を使えば済むことだ。セヴランは微笑み返した。
レビオール家の作法に従い、儀礼用の軍服を身につけ、皇帝から賜った百合十字章を掛けたセヴランは、鏡を覗いて髪を整えた。まだガルシアの花嫁姿を見ていない。ようやく彼女を正式な妻として扱える日が訪れたかと思うと、心臓の高鳴りを抑えることができなかった。今夜が本当の初夜である。ガルシアの美しい姿を時間をかけて堪能できる。安定した立場を得れば、彼女も心を開いてくれるだろう。
ノックの音に、セヴランは表情を引き締めた。フラビオが伏し目がちに入室する。
「ガルシア様の準備が整いました。じきに司祭が広間に」
「そうか」
セヴランは刀を腰に下げた。これは皇帝謁見用のもので、形こそ優美だが中身はなまくらである。部屋を出ようとしたところで、フラビオが
「少しお話が」
と、遮った。
「今でないと駄目なのか?」
「すぐに終わります」
セヴランが目配せすると、控えていた少年は音もなく立ち去った。ふたりきりになると、フラビオはセヴランのすぐ傍までちかづいた。
「私はセヴラン様ご幼少のみぎりから従僕として仕え、ヘロディス様亡き後は執事として家政を取り仕切る栄誉に預かりましたが……」
「御託は良いから早く本題を話せ」
「失礼いたしました」
フラビオは少し間を置いた。
「今月末を持ちまして、お暇をいただきたいと思います」
セヴランは動揺をなんとか押し隠し、無関心を装った。
「そうか。長い間苦労させたな。感謝する……どこかつぎの勤め先はあるのか?必要ならば紹介状を書こう」
「ありがとうございます。カラドに叔父がおりまして、しばらくそこで骨を休めようかと。蓄えがだいぶできましたし」
フラビオは深々と頭を下げて退出した。まだセヴランが十歳になるかどうかの頃から仕えていた割には、あっさりした別れであった。ガルシアとの結婚を、フラビオが面白く思っていないのはわかっていた。不満のために辞める決心をしたのだろうか?女への愛を優先したせいで、取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。
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