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 リドは人気のない玄関を抜け、奥の台所に向かった。城に残っている兵士たちが食べ散らかした昼食の皿がやっと片付き、料理人達は午睡をしている。リドは足音をひそめて、部屋の隅に並んだ葡萄酒の瓶をひとつ失敬した。婚礼で振る舞われるはずだったもので、セヴランの葬儀の時に多少は消費されたものの、大半は置かれたままになっている。そのまま使用人用の通路を抜けて二階に上がり、リドは周囲を窺った。廊下は誰も掃除をしていないようで、隅に埃が溜まっている。 「若いのはだいぶ辞めちまったようだな」  血なまぐさい事件のせいで、侍女達はひとりふたりと城を去っていた。そもそもミオット一座の案件が片付き、兵士達が引き揚げたら、使用人は十人も居れば事足りるだろう。  セヴランの葬儀は、昨夜ひっそりと行われた。家族はアロイスとジュディットだけで、古くからの使用人たちが数名、兵団からふたりだけが参列した。胸の傷を隠してしまうと、眠っているかのような穏やかな死顔だった。  セヴランの隣にはフラビオの棺も置かれていた。主人に忠実だったこの男は、ミオットに殺されたことになっていた。すこし調べれば下手人は明らかなのに、士長たちはこの結論に満足し、ミオットも否定しなかった。あの冷静沈着な老人が、見逃しているはずがなく、あえてリドを庇っているのに違いない。老人が義侠心を満足させるのを、邪魔するほど、リドは無粋でもお人好しでもなかった。 「まあいいさ、爺さんが満足するなら」  リドは隅の部屋の前に立ち、ドアを叩いた。返事が無いのを気にせず叩き続けると、煩いわねと怒ったような声が飛んできたので、躊躇なくノブを押した。鍵は掛かっていなかった。  ジュディットの部屋は、色とりどりの衣類が床に散乱していた。彼女は昨夜の喪服姿のまま、やはりドレスが散らばったベッドの上に座っていた。 「誰?」  ジュディットは訝しげに顔を向けた。ヴェールで表情はよくわからないが、唇は紫色になっている。 「乙女の部屋に男が入ってくるなんて。見ない顔ね」 「そうでしょうか?」  声を聞いたジュディットは目を丸くした。 「貴方、リドなの?」 「はい」 「いつも真っ白だったからよくわからないけど……確かに顎の形はリドね。美形じゃないの。でもその肌の色、サバル族の血を引いてるんじゃない?」 「よくおわかりですね」  ジュディットは唇を歪めた。 「サバル族って、ヨルベトの先でうちの兵団と交戦中なんでしょう?アロイスも軽率ね。知ってて連れてきたのかしら」  リドは答えなかった。 「まあ、今となってはどうでもいいわ……散らかっててごめんなさいね。エリスとアンナが辞めてしまったのよ。高いお給金を払っていたのに、呆気ないものだわ」  傍らのドレスを掴み、床に放り投げてジュディットは溜息をついた。 「わたし、振られたの。会ってもいないのに。当主が殺されるような物騒な家はお断りなんですって。ブール子爵って意気地なしね」  ジュディットの声は、かすかに震えていた。
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