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「帝国は拡大方針をやめて内政に専念しつつある。不景気が続いて戦争どころじゃないんだ。少なくとも皇帝陛下はそうお考えだ。帝都から何度も停戦を促す書簡が届いていたのに、親父と兄貴は無視して戦闘を続けていた。引き際を見失っていたんだよ。荒野の先にある鉱山にどれほどの価値があるかわからないのにね……だからね、リド。君はもう手を汚す必要はない」  アロイスはペンを置き、リドの体に腕を絡めた。 「親父を殺した証拠だって、今さら見つからないんだ。僕と君が黙っていれば、病死を疑う奴はいない。君は今まで通り、道化としてこの城に居ればいい。もう化粧はいらないよ」 「道化が化粧を取ったら、ただの愛人だな」 「それで良いじゃないか」  頬を寄せるアロイスの肩を抱き、リドはしばらくそのままでいたが、やがて懐に隠していた短刀を抜き、アロイスの背中に突き立てた。手応えがあり、柄まで深々と刺さるのがわかった。 「リド……?」  アロイスは目を見開いたが、苦痛のためかすぐに伏せられた。 「君の憎しみは、停戦くらいでは収まらないんだね……」 「サバル族は関係ない」  リドは短刀を掴んだまま、左手でシャツの釦を全て外した。初めて目にする裸体に、アロイスは苦しげに息を吐きながらも、驚愕したようだった。自らと同じ痣が、肌に刻まれているのだ。 「君は……レビオール家の血を……引いているのか」 「引いているどころじゃかないさ、可愛い弟」  アロイスは深く呼吸しようとしたが、喉の奥で溢れた血に溺れて、床に膝をついた。最後まで告白を聴いて欲しかったから、リドはあえて刀を抜かなかった。抜いてしまえばあっという間に失血死するだろう。 「お前は賢いから、もう理解しただろう。俺はヘロディスが戯れに手をつけた女の子供なんだよ。奴の妻によって、生まれてすぐに荒野に棄てられ、いないことになっていた」 「エレ……トか……」 「幸か不幸か、俺は生き延びた。お袋は近くの村にたどり着いて、同情してくれた農家の藁小屋に住まわせて貰い、なんとか俺を育てた。思い出したくもないが、ひどい貧乏暮らしだった。レビオール家の紋章をつけた役人が、年貢の取り立てに来るたびに、お袋は、『お前は本当ならあの役人を顎で使える立場なんだよ』と言っていた」  愚かな母の声が耳の奥で響き、リドは少し笑った。 「その割に、お袋は俺が人前で裸になるのを恐れていた。俺は村の子供達の中ではいちばん喧嘩が強くて、村長の息子さえ従えてたが、川遊びをするときでも服を脱がずに濡らしていたから、不思議がられていたよ。俺の反撃を恐れて、誰も無理強いはしなかったが。俺は体にある痣が、他の子供達には無いことには気がついていた。その違いを誰かに訊ねてはいけないのも、薄々わかっていたよ」  肌が浅黒い分、リドの体の痣はすこしくすんで見えたが、それでも充分に人目を引いただろう。 「お袋は俺が十五のときに胸を病んで死んだ。死ぬ間際に、俺の父親について打ち明けてくれた……知らない方が幸せだったな。放浪生活でも、食うには困らないから。だが、事実を知ったせいで、レビオール家に一矢報いてやらなければ、気が済まなくなってしまった。お袋は村人から蔑まれ、貧乏のせいで薬も飲めずに苦しみ抜いて死んだからな。ヘロディスが浮気心を起こしさえしなければ、戦争で死ぬにしてもサバル族の仲間とともに居られたのに」
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