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 香油を染み込ませた布で顔を擦ると、練白粉が落ちて浅黒い肌が現れた。 「毎日道化の化粧をして、落として、大変だな」  寝台の上にしどけなく横たわったアロイスが呟いた。戦術学の分厚い本を数ページ読み込んだものの、それ以上進まずに皮の表紙を撫でまわしている。  気まずい晩餐の席をアロイスがさっさと立ち去ったのは、別に何の意味も無く、ただリドにだけわかる合図をしていた。そうしてリドは、夜番の兵士が城内の見廻りを終えた後、アロイスの部屋を訪った。 「お前が提案したんだろ。誰にも怪しまれず城に入れるって」  白塗りに大きな付け鼻、紅で唇を誇張し目元に星を描いた道化師の化粧の下にあったのは、精悍な男の顔だった。リドは鎖骨に残った油を拭き終わると、シャツのボタンをいちばん上まで留めた。 「君がここに逗留してもう一年半かな、死んだ親父も含めて誰もがただの道化だと思っているよ」 「実際、そうだろう?毒にも薬にもならない、場を一瞬和ませるだけの存在だ」  アロイスは本を弄っていた左手を、シーツの上に投げ出した。 「……僕には毒かもしれない」  鏡を一瞥してから、リドは寝台に腰を降ろし、脇机に置かれた瓶からグラスに赤紫色の液体を注ぎ、半分ほど飲んだ。 「僕にも頂戴」  グラスを受け取ったアロイスは、残りを飲み干してから、リドの首に腕を回し、口づけをねだる。たっぷり数分間接吻を交わしながらリドが帯を解くと、絹の夜着が微かな音をたてて床に落ちた。 「あまり見ないで」  アロイスがかすれた声を漏らした。左胸から臍にかけて、楕円状に赤い痣が広がっている。右の大腿部や、左の腰と臀部にも痣があるのをリドは知っている。肌が白いせいか、薄暗い寝室でも痣の部分は燃えるように目を引く。 「見苦しい痣なんだからさ……」 「お前のは大したことないだろう。将来の花嫁だって最初の数日は驚くだろうが、すぐに慣れる」 「結婚なんて、する気にならないな」  アロイスは吐き捨てるように呟いて、リドの耳の裏に唇をつけた。この部分に彼が化粧を施さないのを知っているのだ。帝都から取り寄せた最高級の練白粉でも、多少の鉛毒は含まれているから、情事のたびに口に入れていたら命にかかわる。 「兄貴はもっと酷いんだよ。いつも立襟の服を着ているけど、少し見えるだろ?まるで体中めった刺しされたみたいに痣だらけなんだ。腕や脚は綺麗なのにね。死んだ親父もそんな感じだったなあ」  リドは胸元の痣に触れた。痣は均一な色ではなく紫がかったり黒ずんだりとまだらで、あまり見つめていると病や戦争などの災厄を想起させ、なんとなく不安になってくる。しかし感覚はむしろ鋭敏らしく、アロイスは奥歯を嚙んで体を固くした。 「ちょっ……触らないで」 「痣が濃くなってる」 「嘘……」  華奢な右腕を上げると、やはり蛇が這うように痣が絡みついている。 「真っ白に塗れば隠せるかな」 「俺みたいに?」 「流石におかしいか……可哀想なジュディをどうにかしてあげたくて。もう何度も、縁談を断られている。会う前からね」 「優しいんだな」 「……本当にそう思ってる?」  愛撫に余念のない男の手を、アロイスは強く掴んだ。 「ジュディは君に気があるみたいだ」 「そうか?」 「しらばっくれるなよ。いつも構ってやってるくせに。痣のせいでひねくれるけど、ジュディは小説ばかり読んでいる世間知らずの小娘なんだよ。若い男に優しくされたら、コロッとまいっちゃうだろ……」  まだ言い足りなさそうな唇を塞いで、リドはアロイスの腰を引き寄せる。しばらくの間、言葉にならない囁きだけが交わされた。  窓の外は吹雪になっている。
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