彼女とチョコミントを遠ざけたい

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 隣を歩きながら、にこやかにアイスを舐める唯花へ、おそるおそる「なあ」と声をかけた。上の唇をぺろりとやったあと、唯花は優美な笑顔をこちらに向ける。彼女はきっとこっそり唇を舐めたつもりだろうけど、おれがそれを見逃すことはない。 「どうして、チョコミントなんだ」  わかりやすく目を見開いた唯花。 「どうしてって?」  宝石のような瞳が、夏の太陽の光を跳ね返す。そんな無垢な瞳でおれを見つめるな。別に好きなアイスの味を訊いているだけなのに、これじゃまるでおれが彼女に卑猥なことでも言わせようとしているようではないか。  まあ、おれの訊き方も悪かった。大いに反省する。反省するのでこれ以上話がこじれませんように……と願いつつ、おれは言った。 「いや、唯花、いつもチョコミントのアイス食べてるだろ」 「だめかな?」 「いや、だめだってわけじゃないけど、なにか理由があるのかなーって素朴な疑問。そうそう、とても素朴な。山奥のログハウスくらい素朴な」  訳の分からん(たと)えを繰り出してしまい、ははは、という愛想笑いの語尾が震えていた。だめなのか……と訊き返してくるということはやはり、過去にチョコミントがらみで嫌な思いをしたことがあるに違いない。いや、チョコミントがらみってなんだよ。反社会的勢力に狙われる高価なチョコミントがこの世界に存在するとでもいうのか。  おれの苦し紛れの言い訳を、幸い唯花は素直に受け入れてくれたようだった。「あぁ、そういうことかぁ」と呟くとともに、曇りかけた表情がぱっと明るくなる。 「でも、特に理由と呼べるものはないなぁ。強いて言えば、色合いが可愛いからかな。ミントの色が涼しげで、爽やかでしょ」  ね? とでも言いたげな唯花は、お嬢様のような笑みをたたえながら、ミントグリーンのアイスをすくったスプーンを目線の高さで掲げてみせた。  おれが個人的に(爽やかだな)と感じるのは、いま脳天に広がる青い空と眩しい太陽光のコントラストだ。しかしここで「チョコミントって、なんか色合いが中途半端じゃない?」とか口走ってみろ。外国人がコーラを飲み干す瞬間と同じ笑顔で、おれの頭は脳天からきれいにカチ割られるはずだ。赤い飛沫を飛ばして。スイカみたいに。 「ああ、そうだな。爽やかだ」  少し声が震えた。 「よかったー、きみが懐の深い人で」 「深いか? 相当浅いだろ。遊歩道の横を流れる小川くらい浅いと思ってるけど」 「んーん。わたしにとっては海よりも深いね」  うんうん、と頷いた唯花は、急に声のキーを落として呟いた。 「昔から、ずっと言われ続けてきたんだぁ」 「なにを?」 「チョコミントなんて実質歯磨き粉じゃん……とか、どこも痛めてないのに湿布みたいなにおいがするー、とかね」  チョコミントに対する慈悲がひとつもない喩え方に笑いが吹き出しそうになるのを、必死にこらえた。口元に手をやるわけにもいかず、頬を一瞬だけまるでフグのように膨らませ、ただ何気なく息を吐くようにして空気を抜く。唯花は気づいていないようだ。動作には出さず、ほっと胸をなでおろす。  ワイドショーで政治問題が取り上げられたとき、意味もわかってないのに眉間にシワを寄せる芸能人は、きっと今のおれと同じ気持ちなのだろう。  とりあえず深刻そうにしとけばヨシ。 「ひどいなあ、そりゃ」 「でしょ? ほんっと、わたしも基本的には怒ったりしないけど、そのときは怒ったよ」 「唯花は優しいから、ぷんぷん、みたいな怒り方でもしたのか?」 「まさか、そんなんじゃないよ」  あははは、と風鈴の鳴るような唯花の笑い声は急に、すっと風が止むように消えた。代わりに雷雲のようなどす黒いオーラが、ふいに彼女を包み込みはじめる。 「本当に、湿布が必要になるような怒り方をしてあげただけだよ」
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