6.自由

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6.自由

 不満を感じてから更に数日が経った。最初は乳母とメイド達の会話がそれなりに興味深かったので、ナディアも情報収集だと割り切って聞いていた。だけど最近は乳母しか居ない。どうやらナディアが普通の赤ん坊と違って手がかからないと分かって、本来の仕事に戻ったらしい。乳母(大の大人)と赤ん坊……、当然ちゃんとした会話なんて生まれやしない。  いよいよもって暇過ぎて気が狂いそうだ、とナディアはこっそり溜息をついた。森でもつまらないと感じる事は多々あった。けどそれは掃除・洗濯・食事・研究の代わり映えのない日々を繰り返していたからであって、物理的に一切の行動を制限されていた訳ではない。 (魔法陣がないから苦痛を感じる事もないし、十分良い環境なんだけどね……。とはいえ図書館に入り浸るにせよ、用意してもらう予定の研究室に入り浸るにせよ、使用人に怪しまれるから却下されるだろうし……)  せめてナディアの正体を知っていて、対等な立場で話してくれる人を側に置いてくれないだろうか。する事がない事に加えて、乳母に怪しまれないように赤ん坊のフリをするのもナディアにとっては地味に堪えるのだ。  ハイハイは出来たけど、部屋の扉に手が届かないから外に出られない。ナディアの鬱憤は溜まる一方だった。  ナディアが機嫌の悪い声を漏らしたタイミングで、セレスティンが顔を出した。チャンスだ、と目を光らせると、表情からなにかを察したのか、セレスティンはいつものように顔を見てすぐ退出……はせず、乳母を退出させた。 「なにか話がありそうだな、ナディア殿」  先日のように、ナディアの上体を起こしながら文字盤を手渡ししてくれるセレスティン。その気遣いが出来るのに、何故叫び出したいくらいの不満は察してくれないのか、と思い、ナディアは鼻息荒くまくし立てた。  ——暇過ぎてどうにかなりそうなんだ。一日中乳母と二人っきりじゃ息が詰まってしょうがない、書籍を読める環境とか、話が出来る相手とか……どうにかならないかい? 「なるほど、それは申し訳ない事をした。だったら……いっそ私の執務室で過ごすのはどうだ?」  ——誰かが入室してきた時だけ赤子らしくしていれば、あとは自由って事かい? 「そうだ。……と言っても、ひとまず陛下には養子縁組の暫定許可を得た。数日後には正式な書面で通達されるだろうから、それ以降は自由に過ごしてもらって問題ない。貴方の為の研究室も準備が整ったようだしな」  使用人の前で正体を隠すのは、ナディアの無実を証明するまでではなく、皇帝陛下からの許可を得るまでの暫定措置だったのか。最初から説明してくれていたら、わがままを言わずにもう少し我慢していたのに、とナディアは軽くふてくされた。セレスティンは親切な反面、言葉が足りなさすぎる。 「ああ、それから一つ誤解をしているようだぞ、ナディア殿。彼女は乳母ではなく君の専属侍女だ。最初は乳母を手配するつもりだったんだが……貴方が立派な成人女性だと知ったので取りやめた」  ——……そんな話は聞いてないよ、閣下。忙しいのは見ていて分かるけど、頼むから最初の紹介くらいはちゃんとしておくれ。  考えてみればあの女性——名前はカトリーヌと言ったか——、名前しか言ってなかったな。ナディアが勝手に勘違いをしただけらしい。だとしても、全てを知っているのはセレスティンとバーナードだけ。二人のどちらかが説明をしてくれても良かったんじゃないだろうか。 「すまない……、察しが良すぎるバーナードが側に居るからか、どうも説明を省きがちらしい。カトリーヌにだけはあとで全てを説明しておく。恐らく正式な挨拶があるだろう」  ——よろしく頼むよ。ところで、自由に過ごすと言ってもこの身体じゃ不自由で仕方がない。カトリーヌを手足のようにこき使っても問題ないのかい?  貴族として暮らした事なんて一度もないナディアは、侍女の仕事内容を含め、その辺の常識が分からない。念の為確認しておこう。 「行きたい場所を伝えれば彼女が連れて行ってくれるだろう。研究も、危険じゃないなら手伝う事は問題ない。能力的・精神的に無理な事はカトリーヌ本人から申告があるはずだ、その場合は私に言ってくれ。必要な人物を手配する」    ◇◆◇◆◇◆  翌日。セレスティンの言う通り、ナディアはカトリーヌから正式な挨拶と非礼の謝罪をされた。勿論、謝罪は不要だと笑って答えておいた。それはそうだ、どこの世の中に赤ん坊に大して大人同様の対応をする人間が居るだろうか。無礼を働かれたならともかく、カトリーヌは真摯にナディアの世話をしてくれていたのだから謝られる事はなにもない。  ——本を読める場所はあるかな? 軽くで良いから、王国から帝国になって変わった事が知りたいんだけど。 「でしたら図書室へ参りましょう。公爵城の図書室は、帝国図書館と皇城の図書館に引けを取らないと言われていますから」 「きゃうあー(是非そこに!)」  喜んでいると伝わったようで、カトリーヌは微笑を浮かべながらナディアを抱き上げた。  図書室に到着後、テーブルの上から本棚を物色している最中。「ナディア様、いくつか質問しても?」とカトリーヌが遠慮がちに聞いてきた。 「あう?(なに?)」 「その……王国から帝国になって変わった事とおっしゃいましたが、ナディア様はいつ頃お生まれになったのですか?」  なるべく包み隠さず答えてあげたい。そう思っていたのに、最初の質問から回答に詰まってしまった。  ——うーん……実は分からない。アステリオン王国で生まれたのだけは確かなんだけど。 「でしたら少なくとも四百年は前ですね。アステリオン王国が近隣諸国を併合して、アルタニス帝国を名乗り始めたのがその頃なので。……当時の国王様の名前などは覚えていますか?」  ——確かマクシミリアンとかそんな感じの名前だったとは思うけど……。 「マクシミリアンですか……。マクシミリアンは初代も含めて十五世まで居ます。四百年前以前でも八世までしか絞り込めませんね……」  ——へえ……。まあ、またなにか思い出したらその都度調べるさ。少なくとも四百年以上前だって事が分かっただけ良しとしようね。 (それにしても四百年……、いや、もっと前か。正直な話、せいぜい二、三百年だと思っていたんだけどね。私の体感的にはその二倍くらいあったけど、地獄のような毎日だからそう感じているだけなんだって……)  まさか本当にそんなに長い時間、森に閉じ込められていたなんて。全く、気が狂わなかった自分を褒めてあげたいくらいだ、とナディアは思った。
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