3.契約(セレスティン・エルデン・ナイトフォール目線)

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3.契約(セレスティン・エルデン・ナイトフォール目線)

「魔女と呼ばれる女性か……赤子じゃないなら意思の疎通が出来るはずだな?」  早速確かめよう、と足早に移動するセレスティン。辿り着いた部屋の扉を開けると、立ち上がった乳母とメイドが頭を下げた。  急ごしらえで用意したせいで、赤子には似つかわしくない調度品が置かれた室内。だが先ほどのクレメントの話が本当なら、このままの方が良いのかもしれない。 「娘の様子はどうだ?」 「泣きも笑いもせず、ただじっとしています。赤ん坊らしくはないですが、それがこの方の気質なのかと」 「そうか。……悪いが下がってくれ、娘と二人きりになりたい」  全員が部屋を出て行った事を確認してから、この部屋のインテリアから唯一浮いているゆりかごへとそっと近づいた。 「……セレスティン・エルデン・ナイトフォールだ。……貴殿の名前はなんという?」  まん丸に見開かれた眼。一瞬のち、乳母の話を否定するかのように大声で赤子が笑い始めた。  まるで「赤子に『貴殿』って!」と言わんばかりの様子に、セレスティンは確信した。この赤子は言葉を理解している、と。 「喋るのは難しいだろう。文字盤を用意した。良ければ使ってくれ」  そっと赤子の腕の下に手を滑り込ませ、上体を起こしてから文字盤を手渡した。赤子は少しだけ悩む素振りを見せたが、やがて素直に一文字ずつ指さし始めた。  ――ナディア。私の名前はナディアだよ。  名前どころか、文章すらもすらすらと一字一句間違える事なく指差す赤子。どうやら本当に森に住むという魔女本人らしい。 「そうか……、ナディア、良い名だ。単刀直入に言う。ナディア殿には私の養子になって、将来この公爵家を継いでほしいと思っているんだが、どうだろうか」  ――公爵に? 正気か? 迷わず話しかけてきたという事は、私が誰なのかもう分かっているんだろう? 「正気だとも。だがナディア殿、貴殿にはいくつか伝えなければならない事がある。それを聞いてからどうするのか判断してくれ」  こくり、と頷くナディアを見て、セレスティンは自身の口角がピクリと動くのを感じ、慌てて咳払いをした。 「一つ……貴殿は恐らく私と血が繋がっている。その髪の色がなによりの証拠だ」  セレスティンが先ほど同様に魔力を解放すると、ナディアが少しだけ眉間にしわを寄せるのが分かった。残念ながら、血の繋がりは彼女にとって喜ばしい事ではなかったようだ。 「二つ……当公爵家の一番重要な役割は皇都に張っている守護結界の維持。その為の後継者の育成。必ずしも実子である必要はないが、絶対に魔術の素質がある者でなければならない。それ以外は……まあそれなりに仕事はあるが、やりたくなければ誰かに押しつけても良い」  再びナディアが笑った。随分とよく笑う人のようだ。魔女と聞いて真っ先に連想するような意地の悪い笑い方ではなく、素直な笑い声だ。 「三つ……私は貴殿の罪状と刑罰について、皇帝陛下に直訴して判決を見直していただく予定だ。私の見立てでは十中八九無罪放免となり、補償金も手に入るはずだ。もしも養子になるのが嫌であれば、そのまま貴殿の思うままの人生を生きるという手もある」  ごくり、とつばを飲む音が聞こえた。やはり自由を選ぶか? そうだろうな、私が彼女の立場だったとしても、間違いなくそうするはずだ、とセレスティンは思った。しかしそうすると、他に相応しい後継者を見つける事が出来るだろうか。ナディアの存在を知ってしまった以上、他の子供達が霞んで見えてしまいそうだ。  ――条件がある。それさえ守るなら養子になろう。 「本当か? ……条件とはなんだ?」  それなりの時間をかけてナディアが提示した内容は三つ。  一つ、赤子の状態では魔力がなく身を守れない為、ナディアが魔力を得るまでは確実に守る事。  二つ、森の結界が壊れるまでは絶対にナディアを森に近付かせない事。  三つ、最新の医学事情も学べる環境を整える事。また、ナディア専用の研究空間を用意する事。  詳しくは語られなかったが、恐らく森に戻れば彼女自身の力では外に出る事が出来なくなるのだろう。実に不愉快なその結界を張った人物が気になって仕方がないセレスティンだったが、それほどの技術力であれば自分の祖先が関わっているような気がしてならず、ひとまずは考えない事にした。  ――自由の身になったところで、理由をつけて……、或いは無理やり森へ戻されるだけだろう。だったら公爵令嬢の肩書きを利用する道を選ぶさ、私も馬鹿じゃない。 「なるほど。私の方も貴殿の条件に異論はない。三つ目に関しては早急に手配しよう。……ではこれで契約成立だな」  ――よろしく頼む。  バーナードを呼び、急いで契約書を作らせる事にした。勿論、破る事は絶対に許されない血と魔術による最上位の契約書だ。そんな契約を赤子と結ぶと聞いて少し驚いた顔をしていたが、ナディアの胸に抱かれた文字盤を見て納得したらしい。「すぐに手配します」と部屋を飛び出していった。  ――主が変わり者なら部下も変わり者だな。  ナディアがまたくすくすと笑いながら文字盤を指差していたが、一体自分のどこが変わり者だと言うのか、セレスティンには理解が出来なかった。
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