4.目も当てられない失敗

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4.目も当てられない失敗

 ナディア・エルデン・ナイトフォールとしての生活を受け入れてから早数日が経った。突然の環境の変化にも既に慣れた……と言えば嘘になる。 (まさか赤ん坊になるなんて……こんな目も当てられない失敗は、生まれて初めてじゃないか? まあ、一番の失敗は勿論あの日(・・・)だけどさ)  あの日とは、ナディアが罪に問われる事になった遙か遠い昔の事を指している。今でも思い出せばはらわたが煮えくり返りそうになるが、こんな暮らしを味わっている今、あいつらの気持ちも分からなくはない。要するにやんごとなき暮らしをしている人々からしてみれば、ナディアのような道ばたの石ころの事情なんか知ったこっちゃない……もっと言えばどうでも良かったのだろう。 「あうあぅあー(これからどうしようか)」 (いつまでも赤ん坊のままという訳にもいかないだろうけど、いつもの手順を踏まずに森の外に出てきた以上、元の姿に戻って魔力が復活しても問題ないのか分からない。だったら赤ん坊のまま過ごして、森の結界が確実に壊れるのを待った方が安全……だと思うんだけど)  こんな状況は生まれてこの方初めて。ナディアもどうするのが最良なのかは分からなかった。 (クレメントだっけ? あの若造はちょっと困った事になるかもしれないね)  クレメント・ホール。彼の祖先は平民で、姓を持っていなかった。だけどちょくちょく森に来てはナディアの事を恐れる事なく相談を持ちかけ、面白がって協力しているうちに、いつの間にかホールという姓を得て、ナディアや森に関する事全般を管理する立場になったようだった。 (私がここに居る以上、森の結界はいずれ効力を失うはず。そうなったらその責任は全部あの子が背負う事になるんだろうし……)  とはいえクレメントの為に森へ戻る選択をするか、と問われれば答えは否だ。  ナディアの住んでいた森はとても広く、外から来る者にとっては食材も薬草も豊富でまさに天国のような場所として有名だった。今は帝国となったこの国が森を自国の領土としたのも、それが一番の理由だ。  ただナディアにとっては違った。毎日森に設置してある結界——魔法陣——が自分の魔力を吸収していく激しい痛みに耐えなければならない。その上自分の力で森から出る事も出来ないし、魔法陣に特殊な技術でも組み込まれているのか、年を取る事も死ぬ事も出来なかった。未来永劫ナディアを苦しめる、だだっ広い牢屋というのがナディアの率直な感想だ。いくらホール家の人間に多少の情があったとしても、そんな所へ戻ってやる義理はない。  ナディアがまだアステリオン王国——現在のアルタニス帝国——の一市民として暮らしていた時、王国は国外にある森から頻繁にやってくる魔獣への対処に悩まされていた。豊かな資源がある森は手に入れたいが、魔獣による被害を考えると、国土に組み込むのは得策ではない。人々の会話からだいたいそんな感じだろうとナディアは解釈していた。  結論だけ言えば、当時問題を起こしたナディアを使って森の中に魔法陣を設置し、魔獣対策とした……、というのがナディアの知る範囲での事実だ。自分の罪状はなんとなく察していたものの、どんな刑罰が下されて森に幽閉されたのかは、結局知らされなかった。  森に張られた魔法陣は、森の外に魔獣を出さない為の結界。それを維持するナディアの身も守ってくれるらしく、ナディアが魔獣に襲われた事は一度もなかった。だけど反対に、死ねないという苦しみもあった。  いっその事魔獣が結界を破壊してくれないかと期待した事もある。でも魔獣は綺麗に魔法陣を避けて通っていた。きっとそういう効果も魔法陣に組み込まれていたんだろう。  腹は減る。自分で自分を苦しめる趣味はないから、食べる物を調達する必要があった。だけど魔獣はナディアに近寄らない。結果、なけなしの魔力と毒草から猛毒を作り出し、罠を仕掛ける事で魔獣を仕留めた。  魔女という異名は恐らくナディアが作り出す妖しげな薬から来ている……、とナディア自身は考えている。  最初は死ぬのが嫌で、必死に魔獣を狩って食べた。だけどいつからだったか……、もう生きる事にほとほと飽きた頃、まずは手っ取り早く自決を試みた。猛毒は苦しいだけで死は訪れず、刃物による刺し傷も自動で癒え、痛みだけがいたずらにナディアを傷つけた。  餓死するに任せてもただ空腹に苦しむだけで、一向に身体は痩せ衰えない。魔獣を攻撃してみても逃げられるだけで、立ち向かってくる者は一頭も居なかった。  魔法陣には近づけないから研究も出来ない。——逃げる手段が見つからない。 (本当に最悪な日々だった……。自分の身体で実験出来るから薬学の研究は捗ったけど、良かったと思える事なんてそれくらいだ。まあ、だからほんの数ヶ月くらい贅沢な暮らしをしたって罰は当たらないだろうさ。どうせあの公爵とやらが本性を現して別の意味での地獄が始まるか、結局国に囚われて強制的に森に戻されるかするんだろうし……)  公爵が本気で自分を次期公爵に考えているなど、ナディアは微塵も思ってはいない。ここに暮らしてまだ数日だが公爵が婚約破棄をするという噂は使用人の耳から入ってきているし、要するに口実にしたかっただけなのだと判断している。 (待てよ? 赤ん坊の姿で森を抜けられたって事は、今の私は魔法陣の影響下にないはず。上手くいけば死ぬ事も出来るんじゃないかい? 赤ん坊の身体じゃ自決は難しいだろうけど、例えば元婚約者に恨まれて殺されるとか、用が済んだあと、公爵に消されるとか)  この数日の暮らしぶりに不満はない。無理に今自決するより、人生最後の褒美としてこの暮らしを堪能してから殺されたい。或いは魔法陣に生かされていたのなら、森から離れた今、誰が手を下さずとも自然と身体が朽ちる可能性もある。ナディアはそう考えた。 (森で暮らしてたのは数百年くらいか……? 最近の楽しみはクレメントの若造からの捜査協力依頼だけだったし、やれなかった事を全部やるのも悪くないかもね)  そう。思えばこうして赤ん坊になってしまったのも、始まりはとある捜査への協力依頼だった。作戦の為に作った若返りの薬。その素材の配合を間違ってしまったのが若返りすぎてしまった原因だ。
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