5.森からの解放

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5.森からの解放

 かれこれ十二日前の事。 「孤児院への潜入?」  クレメントが持ち込んだ依頼書を読みながら、ナディアは口を開いた。 「ああ。とある人身売買組織の尻尾を掴みたいんだが、そこで売られている商品……まあ、人間の調達先がとある孤児院じゃないかと睨んでいる。だがまさか本物の子供に協力を頼む訳にはいかないし、外部からの調査には限りがある。お前なら絶対売れ残るだろうし、都合が良いんだよ」  どストレートに「お前の髪色は気持ち悪いからな」と告げてくるクレメント。普通ならここで激怒して追い出すのかもしれない。だけどナディアはクレメントがいくら髪色について嫌みを言おうとも、微塵も気にしない。それはひとえに、クレメントが他の人物と違って髪色以外でナディアを蔑んだ事がないからだった。  口が裂けても本人には絶対に言うつもりがないけど、ナディアはクレメントを気に入っている。治安局で「特別上級捜査官」というそれなりに偉い役職に就いているにもかかわらず、感情が顔に出るひよっ子。  ナディアは長い年月生きているし、生まれてから森に押し込められるまでの間もそれなりに苦労しているので人の感情の機微に聡い自覚はある。極たまにやって来る貴族の遠回しな嫌みは聞くだけで胸焼けがするし、平民の直球の悪意もそれはそれで腹が立つ。  頼み事をしに来ているのは向こうなのに、どいつもこいつもナディアを見下して馬鹿にするか憎悪するばかりで、誠実に取引をしようと言う者は皆無。当然頼みを引き受けず、なけなしの魔力や薬品を使って森から叩き出しているけど、気分が良いはずがない。  だからこそ、なんの裏表もなくナディアに接してくるクレメントや彼の先祖達をそれなりに気に入っていた。 (とはいえ今回の作戦を引き受けるなら『若返りの薬』は必須……。あれは材料集めも面倒臭い上に、骨格を作り直す激痛のせいで何日も気絶するしで、極力飲みたくないんだけどね) 「はあ……。期間と報酬は?」 「上から降りた許可は三ヶ月。報酬は……、なにが良いんだ?」  こうやってナディアの意見を求めてくるところも良い。報酬ってのは貰った本人が喜ばなければ意味がない。そこのところを理解してないやつが多すぎるのも、ナディアがクレメント以外を認めない要因だった。 「皇都での買い物。ゲートと買い物代はそっち持ち」  ぐぐっ、とクレメントの眉間にしわが寄った。上の説得と皇都の警備増加……、その他諸々の負担を飲んででもナディアの協力が必須か計算しているのだろう。あの表情ならもう少し条件をつけても良さそうだ。 「予算上限と日時はこっちで決める、それで良いか?」 「良いけど、あんまり低すぎたら次回から依頼を受けないよ。それから日時は潜入期間が終わったあと一週間以内で。……ああ、孤児院で情報を得られなかったとしても報酬なしって事はないだろうね? あの薬は身体への負担が尋常じゃないんだ」 (ま、これくらいにしておこうか。これ以上言って依頼が来なくなったら困るのはこっちも一緒だしね) 「……善処しよう。色々準備もあるだろう、孤児院へ行けるのはいつ頃になりそうだ?」 「材料を集めて薬を作って、飲んで……きっちり一週間後だね」 「一週間後か……。あー、五日後からしばらくは時間的余裕がなくてな……二、三日早める事は出来ないか?」 「馬鹿を言うんじゃない、この広い森から材料を集めて作るのにどれだけ時間がかかると思ってるんだ? ましてや飲めば二日は気絶する代物だよ。一週間だって厳しいのに、そっちの事情を汲んでやったんだから」 「そうか。……なら仕方がない……、代わりの者を来させるからそいつの指示に従ってくれ。……頼んだぞ」  潜入の詳細条件を詰めてから森を出るクレメントを見送り、ナディアは材料集めの為に森中を駆け回った。 (材料を集めるところまでは良かったんだけどね……)  若返りの薬と、老化の薬は材料が一緒。潜入依頼を終わらせて森に戻ってきたあとの事を考え、今のうちに両方作っておこう……と考えたのが悪かった。集めた材料全てで若返りの薬を作ってしまい、それに気付かず服用した結果ナディアは赤ん坊にまで若返ってしまったのだ。  せめてクレメントの代理人が森へ来た段階で目覚めていればどうにかして意思の疎通が取れたのかもしれないけど、成人女性から赤ん坊への骨格再形成に、想定以上に時間がかかった。結果、ナディアが目覚めた時には公爵の家に居て、事態を把握するのに時間を要した。 (ま、でも早くに目覚めていたら馬鹿正直にトラブルを伝えて薬を作り直しただろうし……、自由を取り戻したという意味では結果オーライかな)  今問題なのは、ナディアがいつまで赤ん坊の姿のまま生活しなければいけないのか、という事。まさかこの姿で老化の薬を調合出来るはずもないし、かといって材料リストから調合方法まで教えられるほど信頼している人物は当然居ない。 (自分で調合出来るようになるまで、自然と成長するのを待つしかないか……)  歩けるように……せめてハイハイくらい出来るようになれば自力で建物内を移動出来るし暇つぶしは出来るだろう。人間はどれくらいでハイハイ出来るようになるんだったか。確かナディアが本当の(・・・)赤ん坊だった時は、生後六ヶ月くらいでしたような……。 (若返っただけで同じ身体。今回ももう出来ておかしくないね。あとで試してみようか)  一番キツイのは文字盤の使用制限。セレスティンとバーナードの前では使って良いが、他の人物の前では禁止されている。正体を知る者が少ない方が良いという意見にはナディアも賛成したが、一日の大半を乳母とメイドと過ごしている以上、気が狂いそうだった。 (せめてセレスティン(あの男)と一緒に居る時間が長ければ良いさ。だけどあの男、朝と夜にちらっと様子を伺いに来るだけ……、正気か? いくら赤ん坊が一日の大半を寝てるったって、起きてる時は暇なのに!)  いずれ機会があればセレスティン本人を赤ん坊にした上で放置してやろう、とナディアは固く決心したのだった。
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