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7.公爵と勉強
図書室に通い始めて数日後。当初こそ歴史が分かる書籍を読んでいたけど、すぐに魔法関連書籍へと浮気をしてしまった。まあ、時代の差なんて暫く暮らしてれば分かるか、というのがナディアの言い分だ。そして今、ナディアはセレスティンの執務机の上で書籍を読んでいる。
——ここはどうしてこういう解釈になるんだい?
「ああ、そこは——」
何故セレスティンの執務室で書籍を読んでいるかと言うと、分からないところをその場で質問出来るからだ。一般常識ならともかく、魔法の事となればカトリーヌに聞いても答えは得られない。それで夜の対談中にまとめて質問したら、セレスティンに「効率が悪いから執務室で過ごせば良い」と言われたのだ。
ナディアは社交辞令と受け取らず、翌日、本当に執務室へと乗り込んだ。すると意外にもセレスティンはナディアを歓迎し、面倒くさがらずこうやって質問する度に仕事の手を止めて説明をしてくれる。
(何度も邪魔をされたらそのうち苛立つかと思ったけど……、なかなかどうして紳士的だね)
ナディアがじっと見つめていると、セレスティンは小首を傾げながら「どうした?」と問うてきた。
「なんだ、私の顔になにかついているか? それとも説明が分かりにくかったか?」
——いいや、完璧だよ。とても分かりやすい。教師にもなれるんじゃないかい?
「そう言ってくれるのは嬉しいが、ナディア殿。私は今まで『説明が下手だ』としか言われた事がないぞ。恐らく私の教え方が上手いのではなく、貴方の飲み込みが早いだけだ。今まで師事してきた人に言われた事はないのか?」
——誰にもなにも教わった事はないよ。全て独学だ。
「そんなまさか。現代語も、魔法も? それに薬学にも精通しているのでは? そのどれもが独学だと?」
——信じないのなら別に良いけどね。私は生まれてすぐにあの森近くの集落に捨てられた。同情した老人が拾ってくれたが、三歳くらいになる頃に亡くなった。それ以来誰にも頼らず、ある時は他人の残飯で、ある時は森の植物で飢えを凌いだのさ。薬学や治療魔法に精通したのはそのせいだ。うっかり食べられない植物を食べて生死の境を彷徨った事が何度もあってね。同じ轍は踏まないぞと必死になって覚えたんだ。言葉はホール一族のお陰と言えばお陰だね。
「ホール一族? ……クレメント・ホールとかいう特別上級捜査官の?」
——そうだよ。何代前だったか……とにかくクレメントの先祖が私に相談しに森を訪れた。物怖じする事もなければ、見下す事もしてこなかった。だから気に入って色々教えてやったのさ。それ以来あの一族はどんどん出世して、姓と学を手に入れた。まあ、その影響で私も現代語を覚えたのさ。古代語からそう大きくは変わらないから、見てたら自然と覚えたしね。
「その様子じゃ古代語も独学なんだろう? 普通の人は見てたくらいで文字は覚えないはずだぞ、ナディア殿。誇って良い。……しかし一つ気になる……。生まれてすぐに捨てられたと言っていたが……それは事実か?」
——事実だよ。……昔、好奇心で記憶を蘇らせる薬を作って自分に試した事がある。結果、私は自分が生まれた日の記憶を取り戻し、要らない情報を知った訳さ。私は貴族の子、それも正妻の子だったんだ。だけど女の私に跡を継がせたくなかった父親が、同日に愛人との間に生まれた息子とこっそり取り替えた。私が父親似だったら結果が違っていたのかもしれないけどね、生憎、私の目の色は母親似だったらしい。愛人の元へ連れて行ったところで、自分の子ではないとバレる。そこで使用人に「死産だった事にしてその辺で処理してこい」、とね。
「……家門の名前は?」
——さあ、そこまでは。だけど閣下と血が繋がってるって言うなら、そういう事じゃないのかい? ま、別に四百年だか五百年前の話だ、今更どうこう言うつもりはないし、閣下が気にする必要はないよ。
ナディアを捨てた貴族が自分の家門だと信じて疑っていないんだろう、セレスティンの顔色は優れなかった。そのまま読書を再開するのもどうかと思い、ナディアは慰めるようにセレスティンの腕を軽く何度か叩いた。
その瞬間、セレスティンはびくり、と身体をのけぞらせ、椅子ごと後方へと後ずさった。
「あうあ?(何故逃げる?)」
「あ、いや……、すまない、少しびっくりしたんだ」
びっくりしただけじゃこんなに重厚感のある椅子を動かすほど後ずさる事はないだろう。ナディアは呆れて溜息をついた。
——隠さなくても良い、私に触りたくないだけだろう?
「そうだが……そうじゃない」
——正直に言えば良い。私を養子に、と望んでみたものの、正体を知って怖じ気づいたんじゃないのか? 魔女なんて手に負えない、と。
分かっていた事だ。セレスティンもカトリーヌもあまりに普通な態度を取るから、つい忘れそうになったけど。森で暮らしていたとはいえ、極たまに依頼報酬として皇都で買い物をする事があったから知っていた。「アルタニス帝国の魔女」と言えば、子供向けの絵本にもなるほど邪悪な存在として有名だという事を。
「ナディア殿、違う、それは誤解だ。その……笑わないでほしいんだが、赤子と接した経験がなくてだな……、どうすれば良いのか分からないだけだ」
——はあ? これだけ話しておいて今更「赤子との接し方が分からない」だって? 私を本当の赤子だとでも思っているのかい。
「そうじゃなくて……、契約の時に貴方も言っていただろう、『今は力がない』と。だから万が一怪我をさせたらと思うと怖くて触れないんだ」
——私が閣下に触ったんであって、閣下が私に触った訳じゃない。なにをそんなに怯える必要がある?
「私の腕が硬すぎて、貴方が骨折しては困る」
冗談でもなんでもなく、真顔で言うものだからナディアは思わず吹き出してしまった。腕を叩いただけで骨折? 自分の腕が岩かなにかで出来ているとでも言うのだろうか、セレスティンは。全く、馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
——百歩譲って閣下の腕が硬かったとして、中身は立派な成人なんだ。自分で力加減くらい出来るに決まってるだろう! 心配し過ぎだ! むしろ急に動かれたせいで、こっちが驚いて机から落ちたらどうするつもりだったんだい。
「……その可能性は考えていなかった、すまない……、次からは事前に申告するよう努力する」
ナディアはもう、なにも言わなかった。……いや、言えなかった。
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