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1 このままだと婚約破棄しかない
「メアリ、このままでは君との婚約を破棄せざるを得ない」
僕は、ペンブルック伯令嬢と年代物のオークの小さなカフェテーブルを囲み、向き合っていた。
侍女が入れたクイーンマリーの紅茶は、すっかり冷めてしまった。
ブルネットの豊かな巻き毛。意志の強そうな鋭い光を放つ緑色の眼。口づけを誘う蠱惑的な唇。昔風の清楚なデイドレスは、むしろ彼女の美しさを引き立てる。
しかし、この場で我を忘れて未婚の令嬢と戯れるわけにはいかない。
「ロバート殿下、お言葉ながら、私たちの婚約は、陛下の命の元になされたもの。勝手なる婚約破棄は、陛下の勅命に逆らう事と存じますが」
「君はいつも大人しくしているが、たまに厳しいことを言うね」
美術館でもオペラハウスでも、メアリはおとなしく僕の後ろに付き従っていた。
従順な彼女が僕との結婚に執着を見せるとは。その理由が、僕自身への愛着であれ、結婚によってもたらされる栄誉であれ、悪い気はしない。
「あ、えーとその、私の知る物語だと、断罪される悪役令嬢は、このように返していました。ここでは違うのでしょうか?」
メアリは、普段のオドオドした口調に戻った。
彼女は先ほどから、おかしなことを口走っている。物語? 断罪? 悪役令嬢? 理解できない。
「その後、王太子は、男爵令嬢や聖女を抱き寄せ『真実の愛を見つけた』と言い放つ、というのが基本的なパターンでございました」
「僕は、君以外のご婦人と二人きりでひと時でも過ごしたことはないのだが」
「私が前にいた世界の『婚約破棄モノ』は、そうなっていました。ですから、ロバート殿下と婚約を結んだ日から、いずれ私は断罪されるに違いないと、覚悟を決めておりました」
僕がメアリとの婚約を見合わせるのは、他に女がいるからではない。
「私はずっと独り暮らしで、会社とアパートを往復するだけの人生でした。唯一の楽しみが、婚約破棄物語でしたの」
彼女が言うには、メアリはかつてニホンという国の平民だったとか。独り身のまま、四十代半ばで突然命を落とす。『婚約破棄コミック』という書物を毎晩夜更かしして読みふけっているうちに、身体を壊したらしい。
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