1 このままだと婚約破棄しかない

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「憧れの婚約破棄物語の世界に転生できるなんて。しかも、王子様に婚約破棄される悪役令嬢という大役を、神様が与えてくださるとは」 「メアリ!」  王族たるものみだりに怒ってはならない。しかし、時と場合による。 「神はそのようなことを絶対になされない! 史師エリオンの教えを忘れたのか!」 「で、でも……レースをあしらったドレスとか、豪華なシャンデリアとか、ステンドグラスとか……憧れていた物語そのもので……」  彼女は微笑んだ。 「なによりも、お美しい王子様。本当に夢のようです」  聞き慣れた賛辞でも、美しいメアリの唇から零れると、自分こそ夢心地になる。  いや、今は、彼女の美声に聞き惚れている場合ではない。  僕は立ち上がり、壁際の書斎机に近づいた。革張りの小振りな書物が置いてある。ネールガンド国、いやゴンドレシア大陸の民には必須の聖典『聖王紀』だ。 「自分の前世はニホンジンなどと、魔に魅入られたかのような戯言を口にしてはならない」  僕は『聖王紀』をメアリに手渡した。  彼女は虚ろな目で、茶色い革張りの書物を見つめている。 「……通常のパターンですと、有能な悪役令嬢は商売の才覚があるので、彼女のプロデュースした品物が王都を席巻します。その噂を聞きつけた隣国の皇太子が、悪役令嬢を見初めるのですが……」  未来の王妃になるはずの女が、隣国の男と淫らな関係を望んでいる……実に腹立たしい。僕は、ネールガンド王国の規範となるべく誠実に振舞ったのに……いや、ここは怒るところではない。  王太子として怒るべきときは、史師エリオンの教えを蔑ろにされた場合のみ。婚約者が他の男に関心を示した程度で嫉妬するとは、民の規範に相応しくない。 「残念ですが、私は、前世と同様、この世界でも自己研鑽を怠りました。通常の悪役令嬢とは違い、どのようなビジネスも思いつきません。私の物語は、ロバート殿下に捨てられたところで終わりのようです」 「諦めるな!」  僕は彼女の両肩を掴んだ。 「先ほど君は、僕が婚約破棄を匂わせたら、抵抗したではないか! 陛下の勅命に逆らうことだ、と。ネールガンド国王妃の座は惜しくないのか?」 「あ、あれは大抵の悪役令嬢が口にしていた台詞だから、言ってみただけです。悪役令嬢とは、難しいものですね」  メアリは首を上げた。ブルネットの豊かな巻き毛が大きく揺れた。
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