第2章 第1話

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第2章 第1話

 次に目を覚ました時、俺は自分の部屋の狭いベッドの上で普通に目覚めることを期待していたのに、相変わらず本能寺にいることに愕然とした。 布団から上体を起こすと、目に見えるのはやはり黒光りする木造の床と柱ばかりだ。 信じたくない現実に、両手で顔を覆う。 「信長さま。悪い憑きものに会われましたか? もしそうであるならば、厄払いをさせましょう」 「あ……。いや。いいんだ」  天下の森蘭丸が、俺なんかを心配している。 その隣には住職っぽい偉そうな坊さんまでいた。 戦国時代なせいか蘭丸だけでなく坊さんたちまで、みんなゴツくてガタイがいい。 野性味もあり、いかにも百戦錬磨の強者どもといった感じだ。 そんな彼らを、顔を覆った指の隙間からのぞき見ている。 「今日は、何日だ」 「天正十年五月三十日にございます」 「……。そうか。分かった」  俺はやっぱり信長で、今朝選んだ着物は間違いなく高級品で、ここが本能寺でなければどれだけよかったかと……。 ん? ちょっと待て。 俺はもっと大事なことを忘れてないか?  そうだよ。本能寺なんだよ。 本能寺なんだよ、ここは! 「明智光秀! 明智光秀は、どこにいる?」 「明智さまですか? 今は丹波の亀山城にいると聞いております」 「丹波の亀山城? って、どこ!」 「え?」  蘭丸がキョトンとした顔を見せた。 何か変なことでも言ったかと思った瞬間、いまの自分は天下を制する信長だったことを思い出した。 マズい。 もっともらしく見せないと……。 「あ、あぁ。光秀はいつここへ来る」 「お呼びいたしましょうか?」 「いや! 呼ばなくていいから!」  光秀がここに来たら、俺は殺されるじゃないか!  恐怖に青ざめ動揺を見せた俺を、蘭丸はすっと姿勢を正し目を閉じることで華麗にスルーした。 すぐ脇に控える僧侶たちも、こっちを見ているようで見ていないフリだ。 コホンと咳払いをしてから、俺も居心地悪く姿勢を正す。 「そうか。光秀は亀山城であったか……」  分かったようで、全く分かっていないセリフを坊さんたちに聞こえるようにワザとつぶやく。 って、亀山城ってどこ!?  そんな城聞いたことないぞ!  俺は歴史なんて教科書レベルの知識しか持っていない。 本能寺の変の直前、明智光秀がどこにいたかなんて全然知らねぇし!  クソ。 どうせ信長に転生するなら、もっと小さな幼少期とか、本能寺の手前で転生したかった! それなら確実に人生をやり直せたのに……。 「もうよい。下がれ」  こんなセリフでこの場に合ってるのかすら分からないけど、その一言で全員残らず一瞬で広間から消えた。 凄い。 これが権力者ってヤツか。 現世じゃ俺の話なんて、誰も聞いちゃくれなかったのに。  ようやく一人きりになった部屋で、冷たい床にごろりと寝転がる。 暗い部屋の向こうには、明るい外の世界が見えた。 荘厳な庭の上に、初夏らしく眩しい太陽が輝いている。 エアコンもなければ扇風機もないが、薄暗い部屋の中は広々として開放的で、全く暑さを感じない。 幾重にも重ねられた着物だって、今までの俺が触れたこともないような薄く軽い生地だ。 着物って、もしかしなくても初めて着たかも。 「てか、どうしよう……」  なんで本能寺? なんで織田信長?  さっきからそれしか頭に浮かんでこない。 ぐるぐるぐるぐる。 俺は死ぬのか?  ここで殺されるのか?  毎晩カップ麺とエナジードリンクだけで生きてきたような俺が、いきなりの天下人だ。 三日天下なんて言葉も聞いたことはあるが、これでは本当にただ殺されるのを待っているだけじゃないか。 どうする? どうすればいい? 「……。そうだよ。歴史を変えりゃいいんだ……」  真の信長がどうだったかなんて、今はどうでもいい。 俺はとにかく、『いま』を何とかすればいいんだ。 三日後に殺されることが分かっているなら、殺されないようにすればいい!  俺にはその敵も日時も分かっている! 「蘭丸! 蘭丸はおるか!」 「はい」  信長っぽい立ち居振る舞いを意識しながら、俺は大きく片腕を振り上げた。 「戦の準備じゃ! 兵を集めろ、討って出るぞ!」 「! どちらへ参ります? 敵は?」 「敵は……、本能寺にあり!」  蘭丸の整った眉がピクリと動いた。 彼はサッと周囲に目を配ると、声をひそめる。 「それは、此度の宴席に関することでしょうか」 「宴席?」 「明後日に控えた茶会にて、敵を討つと」 「茶会……」  俺は身を小さくして蘭丸の目の前にしゃがみ込むと、周囲に誰もいないことを慎重に確認してから、こそこそ尋ねる。 「明後日に、茶会があるのか」 「……。はい。信長さまの指示で、明後日にこの本能寺で予定しております」  そんなこと、聞いたことないぞ。 「客は?」 「まだ来ておりませぬ」 「いつ来る?」 「明後日に」  明後日ということは、二日後だ。本能寺の変一日前なら、まだチャンスはある。 「蘭丸、よく聞け」  俺の言葉に、彼は忠臣らしく身を引き締めた。 その美しい耳元に囁く。 「そこで光秀を討つ」 「光秀さまを? もしやそのお役目を私に?」 「……。え?」  彼は何一つ冷静さを失わぬまま、スッとその背筋を伸ばした。 「殿の命とあらば、私はそれに従いましょう。では、毛利討伐の秀吉さまの援軍には、誰をお遣いになさいますか」  え? なにそれ?  全然話が見えない。 どういうこと?  ワケも分からずキョトンとしている不自然な俺にすら、蘭丸は一切疑いの目を向けたりしない。 「備中では、秀吉さまが援軍をお待ちです。光秀さまを討てば、すぐに発てと命じ光秀さまに用意させた援軍の任は、誰に任せましょう」 「あ、あー! ちょっと待って。ストップ、ストップ!」 「すとっぷ?」 「あ、いや。待て。今のはなしじゃ」  蘭丸は目を閉じると、座っていた姿勢を正した。 この素直さと従順さは、本当に助かる。 にしても、毛利?  毛利といえば、毛利元就か?  「秀吉と毛利軍が戦っているのか」 「はい。毛利輝元出陣の報を受け、秀吉さまが至急の援軍を所望しております」 「元就ではなくて?」 「元就は……。既に死去しております」 「え? 死んでんの? マジで?」 「すでに亡くなっております」 「そ、そうか……」  え? なに?  またなんか間違った?  やっぱ迂闊に、知ったかぶりの個人名を出すもんじゃないな。 気をつけよう。 美しい蘭丸はどこまでも美しいまま従順だった。 「と、いうことは、秀吉が負けそうってこと?」
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