とりとめのない雨と捧げ物

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 いつしか日は過ぎ去り、気がつけば日も再び短くなり始めていた。暑い夏はきっと過ぎて、この変化の乏しい谷の底でも次第に朝夕は涼しく感じられるようになっていた。 「あと10日ほどで雨が明ける」  空を見上げると相変わらず灰色で溢れていたけれど、そう言われてみればわずかにいつもより明るくなっていたかもしれない。 「どうしてわかるのですか」 「どうして? これが教えてくれるから」  目を細めると、使徒の手には1つのエメラルド色の球が転がっていた。 「私の代わりにこれが天気を教えてくれる」 「それが使徒様の石なのですね」  自身の石は雨の力を伝えるという。  それからしばらく、慌ただしい日々が続いた。  神殿の中の暮らしは変わらなかったけれど、使徒がいつもの手紙で雨上がりを村に告げれば、晴れの祝いのために、神殿の前には様々なものが運び込まれた。雨の間に咲いたたくさんの花や酒甕、それから雨の間に作られた飾りや品々、雨の恵みを得て育った動物。全て儀式で雨に捧げられるものだ。この雨の恵みによってもたらされたものの全ては神殿の前にうず高く積み上がった。  私は雨と同じエメラルド色の衣装に身を包み、その中心に座る。使徒の足音がして、そして眼の前に小さな杯が置かれた。 「ガソ、これが最後の杯だ」  気がつけば、しとしとという音はもうほとんど聞こえず、世界はぼんやりと明るくなっていた。私にはその光が暖かく感じる。雨が上がる時の香りがする。  私の目は杯を飲むごとにその機能を失い、その頃にはほとんど見えなくなっていた。水晶体の中で祝福の結晶が固まり、外から見れば雨と同じ色をしているだろう。だからもはや、雨とは目で見るものではなく耳で聞くものになっていた。そうして今や、私の全身に終わりかけの霧のような雨が降り注いでいた。  使徒は蕭を吹き始める。思えばこれも雨の間に現れたものだろう。その音はいつしか雨の音と一つになり、この世界の全てのように降り注ぐ。  手探りで目の前の杯を探し、ゆっくりと干す。これで私は眠るようにして息を引き取る。そうして全ての供物とともに、雨に捧げられる。不意に、蕭の音が止まる。 「ガソ、水が湯になる程度の時間だ」 「時間、ですか?」 「そうだ。それが君が眠りにつくまでの時間。今、君の中で全ての雨が目に集められている」 「はい」 「君はガソの目を、今年の雨の全てを取り出せば、来年の雨呼びに事足りる」  この谷はこの国の底にあり、この国に流れ落ちた雨が最後に集まる場所だ。そうして今年降った全ての雨の力を呪術的に集めたものがこの杯の中の雨の粋。私はこの粋を飲んで、今年の雨の要素を全て瞳に集めている。これを雨に返すことによって来年の雨季に再び雨を迎える。それが巫子の役目。  使徒の言葉に首をかしげる。巫子の役目としてはそれはそうなのかもしれない。けれどもそれでは供物が足りない。 「全ての雨の恵みを1つずつ捧げなければなりません。ですから目の他に、雨で育った人を捧げなければ」  この雨による恵みを1つずつ。それが決まりだ。その1つである私が捧げられる必要がある。けれども爽やかな声がした。 「それは私で事足りる」 「使徒……様が?」  カタリと笙が置かれる音がした。 「そうして君が次の使徒になる。そのようにして、時折使徒は入れ替わる。最初慣れるまでは村人が手伝ってくれる。話しかけてはくれないけれど。私もそのように使徒になった」 「けれども私は巫子ですから」  もともと雨季の終わりに捧げられるためにここにいる。 「それなら、それでいい」  使徒は私に2つの物を渡し、再び蕭を吹き始めた。静かで静謐な音が流れ始める。 「使徒様?」  もう返事はなく、使徒は音とともに私の認識から蕭と雨の音へと移り変わる。
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