不幸な天使の子

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 ボクはいつでも孤独だった。  部屋から外の世界を眺めていると、久しぶりに父がボクのもとに訪れた。 「お父さま」  ボクは駆け寄る。 「久しいな我が子、ヨルハよ」  そう言って大きな手でボクの頭を撫でる。 「お会いできて嬉しいです」 「私もだよ」  口の端を吊り上げて父は言う。  しかし、その目は笑っていない。  わかっている。  子の顔をわざわざ見にきたわけでも気まぐれに立ち寄ったわけでもないのだ。 「わかっているな」  低くて重い他者を平伏させる声で告げる。 「ちゃんと役目を果たすように」 「……はい」  頭を垂れると、父は出て行った。  ボクは夜の天使と呼ばれている。  鏡の中の自分の姿を見る。  黒い髪に黒い瞳。  黒い羽。  兄弟の中でボクだけが黒をまとっている。  そんなボクは「夜をもたらす」役目を担っている。  物心ついたときというのか意識が芽生えたときには、すでにそうしていた。  夜だから黒なのか。  黒だから夜なのか。  ボクにはわからない。  ボクに与えられた夜の宮はいつも暗く、静かだ。  影のようなしもべたちがボクと屋敷の世話をしている。  しもべはボクに絶対的にかしずき、ボクを貴い存在として崇めてボクに意見することも真っ直ぐに見ることすら禁止されているようだ。  言葉は交わさず、目も合わせようとしない。  ずらりとしもべが礼をして立ち並ぶ廊下をボクは一人で歩く。  太陽が天上まであがり、地のほうに沈みはじめる頃にボクは夜の宮で一番高い塔にのぼる。  手に収まるサイズの銀のベルを持ってそれを空に差し出すように手を伸ばし。  チリン、と一回鳴らす。  その瞬間空が暗くなり始める。  黒の絵の具を混ぜたようにどんどん色彩を濃くしていきやがて世界は闇に染まる。  真昼の白が消えたのを見て、ボクは塔から降りる。  それから自室に戻り、天蓋付きのベッドに横になるとしばしの眠りに落ちる。  静かで暗い夜がボクを包みこんでいく。    気がつくとあたりが明るくなっていた。  朝がきたようだ。  どうやら今日のボクの役目は終わったようだ。  「ヨルハ、おっはよー」  窓から白髪と丸い大きな蜂蜜色の目をした天使がのぞいている。  ご機嫌そうに背中の白い羽が揺れる。 「いや、おそようかな?」 「アサカ。おはよう」  陽気な天使の名前はアサカ。  ボクの兄弟だ。  といっても天の園に住まう天使はみんな神である父の子なので、みんな兄弟なわけだが。 「今日は何の用?」 「用事がなきゃ来ちゃいけないの?」 「……ここは一応ボクの宮だからね」  ボクの家であり、牢獄でもあるここに近寄ろうとするものはあまりいないがこの陽気な天使はお構いなしにやってくる。 「いい話があるんだ」 「……どんな?」  悪戯っ子の顔でアサカは笑う。 「キミを(そそのか)しにきた」 「キミは悪い魔女って知ってる?」 「……北の森に住んでいた、お父さまのものを盗んだやつだろ」  この地に伝わる有名な伝説だ。 「そう。彼女は何を盗んだか知ってる?」 「……さあ?」 「時間、だよ」  内緒話の小さな声でアサカは言う。 「知っての通りここ、天の園では時間は意味をなさない。花は永久に咲き続け住人は歳をとることがない。それって幸せなことだろう?だから、お父さまが時間を封じたんだ。それを奪って魔女は人間界にそれをばら撒こうとしている。これがどんなことかわかる?」  ボクは首を振る。 「地上は永遠の園じゃなくなるんだ。時間が進んだらみんなが有限の時に縛られて苦しむことになる。だから、それを止めに行かないと」  アサカは手を伸ばす。 「だから、いっしょにここを出ようヨルハ。キミを外に連れ出してあげるよ」  ボクは沈黙して迷い。  それから、おずおずと手を差し出す。  アサカは微笑んだ。 「……アサカは朝をもたらす役目が嫌だと思わない?」  準備をするから、と言ってアサカを夜の宮に招き入れるとボクは言った。  黒のボクは夜を、白のアサカは朝をもたらす役目を担っている。 「ぜんぜん。朝は美しいし楽しいものだから。さえずる小鳥、日の光にきらめく露にどこまでも広がる青空。ぴかぴか太陽が光っていて。ヨルハも見ていてうきうきしない?」 「……そうだね」  アサカは疑うということを知らないんだろう。  その言葉は曇りなくどこまでも澄み渡っている。 「でもその光はボクにはまぶしすぎるんだ」  ぽつり、とボクは言った。 「ヨルハ。準備はでき……」  アサカの声が中途半端に途切れる。  ボクは鏡台に置いてあったナイフを手に取るとそれをアサカの胸に突き刺した。  ボクたち天使は基本死ぬことはない。  しかし、これはそれを覆す死の天使の刃だ。  ボクに寄りかかるようにアサカは絶命した。 「……ゴメンね」  ボクはぽつりと呟いて、アサカの死体を抱え上げる。  部屋から出ると廊下の奥へと歩いていく。  屋敷の奥の奥には大きな蔵があってそこにたくさんの死体が積み重なっている。  死体はみんな同じ顔をしている。 「……バカだな、アサカは」  愚かでかわいいボクの兄弟。  アサカは活発で普段からいろいろなところに飛び回って誰も正確な場所を知っているものはいないから死んでも誰も気づかない。  そして、天の園では一日経てば全てが元通りになる。  アサカは朝になればまた窓辺にやってくる。  そして、同じ日々を繰り返す。 「知っているかい、アサカ。悪い魔女は別名黒い魔女と呼ばれていてね。ボクとお前のお母さまなんだ」  アサカを山の上に積み上げながらボクは言う。 「お母さまはこの世界を変えようと思った。時間が無限ということは死ぬことがないということ。そしたら、みんなが日々を大切に生きないようになるんだ。失敗しても罪を犯しても元通り。それってやっぱりおかしいことだと思うだろう?だからボクはお母さまが世界に時間をもたらすという考えに賛同した」  アサカを殺したと言ったがそれは正確なことじゃなくて、天の園では朝になればアサカはまた元通りになる。  でも、それは元のアサカじゃない。  だからボクは家の奥にそれを隠しておく。  お母さまは人間界に向かっているがそれにはあと何十年、何百年とかかることだろう。  それくらい人間界は遠いのだ。  だから、ボクは役目を従順にこなすふりをしながらその時を待っている。  お父さまが造った人間が無事に時間という恩恵を受け取れるように。  革命は始まっている。  ボクの心は闇という黒に染まる。  何度夜を越えても。  何度朝を殺しても。  それでも朝はやってくる。  ボクはずっと孤独だ。  きっとそれが黒に生まれついたボクに課せられた暗黒の宿命。
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