月に囚われたわたしたち

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あの子は、ふわふわしていて掴みどころのなくて天然で泣き虫で抜けていておもわず守ってあげたくなる女の子らしい女の子だった。 わたしは、そんなあの子が内心妬ましくて大嫌いだった。 もう小6なのに、いつまでも『あーちゃんはねぇ〜』なんて自分を名前でしかもちゃん付けで呼んでいてピンクのフリフリヒラヒラのレースやフリルがたっぷりついたワンピースをいつも着ていて。 少女漫画が好きで、占いも好きで、恋愛脳で、いつもする話題なんて少女漫画やファンタジー小説、最近気になってる男の子のことばっかりで。 男子にも優しくされていて、だれかにいつも助けられていて。 そんな子が、わたしの親友でわたしのお母さんに愛されているなんて、ほんとうに虫唾が走る。 いつもあの子を見るたびにお母さんは、 『あーちゃんは、女の子らしくてかわいいわよねぇ〜』 つづけて『あんたももう少し女の子らしくしなさいよ』というのだ。 お母さんは、わたしに500色のある色とりどりの色えんぴつやスケッチブック、絵の家庭教師、少女漫画、わたしにでも着れそうと判断したのか紺ベースのセーラー服風のチュニックを買ってきてくれた。 あんたも、ちょっとは女の子らしくしなきゃね、といいながら。 お母さんは、いつもなにかに対して祈っていて部屋には謎の像や壺、パワーストーンで埋め尽くされていた。 お母さんの部屋に一歩でも踏み入れると、お母さんはひどく叱りつける。 せっかく“浄化“していたのに、穢された、とひどく泣き喚く。 そんなお母さんを、うるさいな、なんて内心毒吐きながらただただ冷めた目で見下ろしていた。 そんな感じだったお母さんの部屋には、いつも近寄れなかったし近寄りたくもなかった。 だって、気持ち悪いんだもん、あの部屋。 数年前に弟が生まれた。 だが、彼は重い知的障害を持っていた。 弟は、小学生になって特別支援学校の小学部にトントン拍子で入学が決まった。 生まれてからずっとレールに敷かれた可哀想な子だった。 お母さんは、いつも重い知的障害を持っている弟にかかりっきりだった。 お母さんは、弟にはすごく優しかった。 しょうがない子ねぇ、なんていいながら弟の世話を焼いて弟を優しく微笑みながら撫でていた。 あぁ、わたしも弟みたいにだれかに世話をされなくてはいけないくらいか弱かったら、あんなふうに愛されたのかな。 少なくとも、部屋に一歩でも入っただけで穢されるなんていわれないのかな。 それから、わたしはお母さんの望むいい子になるように努力した。 特に着たくもないけど、紺色のセーラー服風チュニックを着て学校に行った。 周りは、似合わないってクスクス嘲笑っていた。 ただ、あの子だけはちがった。 わたしをみて、すぐに『その服、かわいい!』ってキラキラした目でまっすぐ似合わない服着たわたしを見つめてきた。 “や め て” そんな心の叫びとは裏腹に、キラキラした目で見つめられること自体は不思議と悪い気なんかしなかった。 教室でお母さんに買ってもらった500色の色えんぴつとスケッチブックで絵を描いていたらおとなしめのクラスの女子からおずおずと声をかけられた。 『絵が、すごく上手だね』って。 そりゃあ、そうでしょ。 だって、いつも帰ってから絵の家庭教師の先生にレッスンされているから。 色使いから構図、表情、なにからなにまで厳しく指導されながら、まいにちまいにち絵を描き続けているんだ、あたりまえでしょ。 あんたらみたいなお遊びじゃないんだ。 なんて内心また毒吐きながらほんの少し困り笑顔でその子と絵の話や好きなファンタジー系アニメや漫画やゲームの話をして、気付いたらその子と似たようなおとなしくて絵を描くのが好きな女子たちで一緒に絵を描いたりするのが休み時間の習慣になっていた。 あの子は、わたしの色えんぴつを羨ましそうに眺めながらほかの女の子たちと少しだけ喋ってはまたほかの女の子と少し喋って学校の廊下をフラフラふわふわ漂っていた。 クラスの子たちだけじゃなく、ほかのクラスの子たちもあの子を可愛がっていた。 よく転んだり提出物を忘れそうになるあの子を、しょうがないなあ、なんて困り笑いをしながら世話を焼いていた。 その姿を見て、吐き気がした。 『…どうしたの?』 いつも一緒にいる友だちが心配しながら顔を除き込む。 心配かけたくなかったから、大丈夫、なんでもない、といつものように笑顔で取り繕った。 今日は、お母さんが珍しくお弁当を渡すのを忘れていたみたいで携帯メールでお弁当届けに行きます、ときていた。 4時間目が終わって昼休憩に入ったときにちょうどタイミング良くお母さんから今着いたから教室行くね、とメールがきた。 了解、と打ち終えたから返信しようとしたそのとき。 『りんごジュースのあじがする!』 また、あの子はお得意の天然発言をしてまわりがなぜか天然でかわいい〜って笑っていてクラスの空気が一気に和やかになっていた。 ガラッと扉が開いて忘れ物のお弁当を届けに来ていたお母さんまでもクラスの和やかな空気をみて穏やかな微笑みを浮かべていた。 ── キモッ。 このゆったりとした生ぬるい空気感にも、そんな空気感に癒されてぼんやりしているお母さんにも。 ぜんぶ、気持ち悪い、はやく終われ。 吐き気を抑えながら、いつものメンバーといつものように取り繕った笑顔でお弁当を食べていた。 冬休みが終わって小学校最後の冬を迎えた。 もうすぐ卒業式だから卒業式の練習で午後の授業は埋まっていて休憩時間になると、みんな卒業式に着ていく服の話題で持ち切りだった。 女子みんなでキャッキャしてるなかで、あの子も卒業式にはママに髪を巻いてもらっていつもよりもさらにとびっきりかわいくしてもらうのを楽しみにしていた。 帰ってきたら、お母さんから卒業式に着ていく服を渡された。 ピンクのフリフリひらひらのレースやフリルがふんだんにあしらわれたワンピースだった。 『中学からは制服だし、せめて小学校最後の晴れ舞台くらいあーちゃんが普段着てるみたいなかわいい服着てほしいの』 笑ってはいるけど、有無をいわさない圧のある笑顔で凄まれたら着る以外の選択肢なんか最初からないことに気付かされる。 いつもみたいに困り笑いを浮かべながら、首を縦に振ることしかできなかった。 中学に入り、制服を身に纏うとお母さんの第一声は、こうだった。 ──『地味でかわいくない』 むしろ、わたしは制服を袖に通した瞬間から妙に馴染みやすくてよかったのだけれど。 中学からは、みんなおなじ制服を着てスケジュール通りに動いて小学校の自由さとはちがっていた。 中学は校則が厳しい学校で、靴下と下着は白でワンポイント1個なら可だとかセーターも学校指定のしか着てはいけなくて髪留めもしてはいけないような有り様だった。 一応入学前にも中学の校則は聞かされていて、あの子は不満げに髪留めをしていってはいけないこととか校則の厳しさを愚痴っていた。 あの子に気のある男子からは、残念やったなあなんてからかわれたりしながら小学校を卒業した。 あの子は、卒業式のときにはママに巻いてもらった巻き髪を高めのツインテールにしてフリルがあしらわれた赤のジャケットにピンクのフリフリひらひらのシャーリーテンプルのワンピース、ピンクのパンプスを身にまとっていた。 いつも彼女をエリザベスと隠れて呼んでいた彼女に気があった男子も、いつものかわいいね!なんて難破な賞賛はどこへやら息を飲んで見蕩れていた。 小学校のお姫様は最後までお姫様で、お母さんもあの子をずっとみていた。 わたしなんかよりも、ずっと目で追っていた。 ほんと、馬鹿らしい。 こんなピンクのフリフリひらひらのワンピース着たってお母さんには愛されないんだ。 それを思い知れただけでわたしは愛されることから卒業できた。 お母さんの嫌う地味な制服を身に纏ってお母さんが入学式だけでも、と用意していたローファーを履いて入学先の中学まで車で送ってもらった。 車から降りたら、ちょうどあの子とあの子のママも車から降りてきた。 ピンクのまるいフォルムのおそらくあの子が偉んだろう車から。 あの子は、制服を着ていた。 だけど、不思議と似合ってなかった。 なんか、地味で芋っぽいな、と第一におもった。 それは、お母さんもそう感じたみたいであとから『…なんか、あーちゃん変わったね』って残念そうにしていた。 内心、あーちゃんが、あの子が、かわいくなくなって嬉しくなったのを隠しながら入学式を迎えた。 中学に入ってから、あの子は小学校のときとは打って変わっておとなしくて地味でそれでいてどんくさいところは変わっていない芋っぽい子になった。 小学校までは優しかったみんなも中学からはクスクス嘲笑うようになってだれも助けてくれてなさそうだった。 いい気味だ、なんて内心みんなと一緒に嘲笑っていた。 あの子は、かわいいうさぎ柄のスケジュール帳に必死に予定やら提出物、宿題のワークの範囲まで描き漏らしがないように汚い字で記していた。 はじめての全国テストが返ってきたときも名前の書き忘れで0点を取ったらしく落ち込んでいた。 それをみて、まわりは必死過ぎとかいってクスクス嘲笑っていた。 うるさい、うるさい。 みんな、うるさい、おまえら全員黙れよ、なあ。 内心毒吐きながら日々を過ごしてたそんなある日に限界がきた。 また、あの子がなにか失敗して先生に怒られていた。 よりにもよって厳しいと恐れられている社会科の高倉先生に。 高倉先生もよほど虫の居所が悪い日だったのだろう、授業開始のチャイムから10分経っても怒りの気配は収まらず、ついにあの子は泣き出した。 案の定、高倉先生はさらに激怒しあの子に追い打ちをかけた。 『お前みたいな泣くことしかできない無能は社会でやってけないぞ!』、と。 ── なに、それ。 おもわず、『先生、さすがに言い過ぎです』と柄にもなく庇ってしまった。 さすがにまわりもそうだったみたいで、おたがい顔を見合わせながら小声で、たしかに先生も言い過ぎよなあ、と静かに賛同していた。 なんやかんやありつつも、授業が終わってからあの子が真っ先に駆け寄ってきて『ありがとう…!』とわたしの手を握ってきた。 あのときと変わらないまっすぐでキラキラした目で見つめていた。 あのときとちがうのは、泣き腫らした痕で目が真っ赤に充血していたことくらいだ。 その一件からあの子に懐かれた。 どこを行くにも着いてきたし、はじめは憎らしくてしようがなかったあの子もこうしてみたらか弱くてかわいい子にみえてきた。 一生懸命で頑張り屋さんなどんくさいこの子を守ってあげなきゃ、なんて傲慢とも受け取れる庇護欲が芽生えてきた。 あの子と過ごすうちに、あの子も悩みを打ち明けてくるようになった。 あの子は、成績が伸び悩んでいてあの子のママが通っていた地元一の中高一貫である進学校もこのままじゃ受からない、こんなんじゃママの期待に応えられないのに忘れ物しないようにとか提出物を出すことに一生懸命になって勉強もしても成績が良くなくてなんか疲れるよ、と。 可哀想に。 泣きじゃくるあの子を優しく抱きしめた。 ほんとうは、ママにそうされたいだろうにママからは勉強できないことやしっかりしてないことにひどく怒られるみたいだから。 仕方がないから、よしよししてあげる。 よしよし、よしよし。 抱きしめながら背中を優しくゆすっていたら気付いたら泣き止んでいた。 『…ほんとに、くぅちゃんはすごいよ、ママのいうとおりだ』 そう、あの子は聞こえるか聞こえないかくらいの小声でボソッと呟いた。 ママは、いつもくぅちゃんを褒めていた。 くぅちゃんは、しっかり者でまだ小学生なのに家のことぜんぶできてすごいね、って。 ママは、家事が苦手でいつも家のなかは散らかっていた。 仕事が忙しかったから、帰ってくるのが夜遅くでいつも学校終わりにはバスに乗ってバスを降りたらおばあちゃんが車で迎えに来てくれた。 おばあちゃんは、すこし厳しいひとでいつもあーちゃんが着ているピンクのフリフリひらひらのお洋服を学校になんて格好してるんだ、と怒ってきた。 いつも怒られるたびに泣いて机の下か飼い犬の ちえり に慰めてもらっていた。 土日は、ママを独り占めできる唯一の時間だった。 ママにいつもよりももっとかわいくしてもらって ぴんくちゃん に乗って街まで連れて行ってもらって。 おしゃれなカフェやイタリアン、かわいい雑貨屋さん、行きつけのお洋服屋さん、とにかくママとお出かけするのが楽しくてしかたがなかった。 ママに買ってもらったかわいい服を着て学校に行けば、みんな褒めてくれた。 みんなに褒められるのが嬉しくて学校に行く日はおしゃれを頑張った。 いつも困ったことがあったら、みんな助けてくれた。 甘えん坊でひとりじゃなにもできないみんなの妹だったから、ほんとは一度くらいだれかに頼られたかった。 お姉さんになりたかった。 そう、くぅちゃんみたいなしっかり者のお姉さんになりたかった。 中学に入ってから最初の名前の書き忘れをやらかした実力テスト以外は、平均点以上だった。 テストでいい点を取るたびにママがすごく嬉しそうでご褒美にかわいいショッキングピンクのうさぎ型のミニドレッサーを買ってくれた。 『うちの子がこんな勉強できるんなら、ママの母校にも受かっちゃうね!』、『ママの母校に通ったら娘と母校のあるある話できるの、いまから楽しみだなあ!』って、まるでじぶんのことみたいに喜んでくれた。 ご褒美以上にママが喜んでくれるのが、なによりも嬉しかった。 なのに、あーちゃんは、いや、わたしはママの期待に応えられなくなった。 夏休み前の期末テストではじめて平均点以下を取って夏休みは補習を受けることになった。 その報せを聞いたママは、ひどく失望していた。 その日から、ママが厳しくなった。 ママが帰ってきたら、宿題をみてくれてまちがった問題があれば『なんで、そんなんもわからんの!』と怒られた。 それからママは、くぅちゃんのことを昔よりよく褒めるようになった。 くぅちゃんは家のことだけじゃなくて、勉強もちゃんとしてる、美術部で賞を取っていた、絵も色使いがきれいだしなにより丁寧であんたとは大違い、あんたはなにをやらせても雑、すぐひとに頼る、くぅちゃんはすぐひとに頼らずに頑張ってるのに、あんたは、あんたときたら、 もう、やめて。 『あーあ、また泣いて』 泣いたら泣いたらで余計に怒られるから泣きたくない、のに。 社会の授業がはじまるチャイムが鳴った瞬間、あたまが真っ青になった。 ── きのうやったプリントが、ない。 おかしい、なんで。 たしか、きのうクリアファイルに入れたはずなのに。 あわてて探しても見つからなくて、ドアを開ける音がして絶望を悟った。 もう、正直に謝るしかない。 『...あの、先生、すみません社会のプリントなくしました...』 先生から烈火のごとく怒られ、ずっと先生の怒号が鳴り止まずに、先生からなにもできない無能ってほんとうのことをいわれて、おもわず、泣いてしまった。 こころのもやもやのタンクが、はち切れて泣きじゃくってしまった。 ひどいよ、わたしだって無能なりに一生懸命頑張ってるのに、ママも先生もひどいよ。 あふれ出した涙は、止む気配がなくずっとずっと涙が止まらなかった。 それと同時に先生の怒りも止まらなかった。 みんな、ごめんなさい、こんなわたしでごめんなさい、授業なかなかはじめられなくてごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。 そのときに、くぅちゃんが庇ってくれた。 そのときのくぅちゃんは、まるで王子さまみたいでかっこよかった。 ママが褒めるのもわかるな、って心の中で敗北をみとめた。 中学2年の夏休み前にくぅちゃんはお母さんの病気を治すためにお母さんの実家に引っ越すことになった。 くぅちゃんとお別れの日に泣きじゃくりながら、手紙を書くね、約束だよ、ってくぅちゃんの手を握った。 それから数年経ったけど、けっきょく手紙は書いてない。 お別れの日に住所を聞くのを忘れたのだ。 こういううっかりしてるところは、あいも変わらず変わりなくて。 でも、あの頃よりはこんなうっかりしてるところも嫌いではなくなってきていて。 一応連絡先は交換していたけれど、おたがい過ごしている環境がちがうからか流れている時間もちがうみたいで気付いたら連絡先も消えていた。 連絡先交換したばっかりの頃は、おたがいの近況やらなんやらを報告し合っていたけれど、それもほんの少しのあいだだけ。 1ヶ月経てば、パタリとなくなった。 彼女の声も、いまはもう思い出せない。 過ごした日々も淡くぼやけてかすめてやがて溶けていく。 いまはもう、彼女の顔もぼんやりとしかおぼえていない。 風の噂で、くぅちゃんは私立のカトリック系の女子校に入ったけど病気になって中退していまはアルバイトをしているらしい。 いつの日か、くぅちゃんは高校卒業したらお母さんの通っていた美術の専門学校に行くのが夢なんだってこっそり耳打ちしてくれたっけ。 いまでこそわかるけど、きっと、くぅちゃんはお母さんに愛されたくてじぶんに嘘をついていた。 ほんとは、ふわふわアーティストとは真逆のかなりのリアリストで努力家な彼女の描く絵にもあらわれていた。 彼女は斬新でオリジナリティあふれる作品より基本に忠実で繊細な建築家のような作品を創る子だった。 だからこそ、ママは認めていた。 でも、だからこそお母さんには認められなかった。 ── けっきょく、わたしら似たもの同士だったんだね。 きみもわたしも母親に囚われた愛されたがりの甘えん坊の女の子だったんだね。 いつか、またじぶんのダメなところも軽く笑い飛ばせるくらいの大人の女性になれたらきみに会えたらいいなあ。 あの日、きみと別れたときとおなじくらいまっさらな青い空を見上げながらまた出会える日を楽しみに慣れないハイヒールで前を歩き始めた。 また会える日を胸に、少しづつ前へ、たまに立ち止まったり後ろに後退りながら前へ進むんだ、これからもずっと。 じぶんのできないところもかわいいチャームポイントとしてアピールして、できるところは伸ばして。 できないことは無理せず必要以上に頑張らずときにだれかに頼って甘えて、できるところは頑張ってもっとできるようにしてだれかに頼られて助けていく。 だって、大人になるってだれにも頼らず頑張り続けるって意味じゃないでしょう? だれだって得手不得手はあって、でも、そんなできないところもかわいくて。 それでいいじゃない。 ありのままのじぶんを好きにはなれなくてもいい。 自信を持てなくてもいい。 ただ、いまのじぶんを受け止めるだけで世界はほんの少しだけ優しくなる。 ねぇ、ママ。 ママは、いまも世界が優しくないって泣いてますか。 ママも苦手なところのあるじぶんを好きになれとまではいいません。 けど、わたしはあなたのダメなところもかわいいなっておもいながらあなたの長くて分かりづらい話をいくらでも聞けました。 だって、一生懸命でじぶんでも話すのが苦手ってわかっていても話さずにいられないあなたが、とてもかわいらしかったから。 『あっ、もうすぐ電車くる!』 慣れないハイヒールで走り出す、未来を乗せる駅まで全力で、一生懸命に。 たとえ、かっこわるくても泥臭くても不器用なりに一生懸命に生きたいから。 いまなら、月もやわらかく笑って見守ってくれているような気がする。
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