雪となって消えゆく君

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 今日も水谷さんは綺麗だな。  授業中、斜め前の席に座っているクラスメイトを眺めてしみじみと思う。  艶のある黒髪がすとんと背中まで降りていて、僕の席から白い頬が見える。  新学期になった初日、教室へ入った瞬間目に飛び込んで来たのが水谷さんだった。  一瞬で恋に落ちた。  意志の強そうな瞳も、薄い唇も、色白な肌も、見れば見る程美しい。  僕は新学期早々水谷さんに恋をして、毎日のように彼女を視界に入れている。  一日の授業終了を告げるチャイムが鳴り、ホームルームが駆け足で終わるとクラスメイトは笑顔で教室を出て行く。  今日は一週間の中でも待ち遠しい水曜日だ。  鞄を背負い、図書室へ向かう。  思わず顔がにやけてしまうのを我慢しながら図書室のカウンターに座る。  そのすぐ後、水谷さんも図書室へやってきて僕の隣に座った。  僕たち二人は図書委員である。  水曜日と木曜日が僕たちの当番だ。  同じクラス、同じ委員だというのに話しかける度胸はないので、こうして隣にいる水谷さんを感じることしかできない。  目を動かして水谷さんの手元を見ると、夕焼けが沈む町という題名の小説を読んでいた。図書室のシールが貼ってあるのでこの図書室で借りた本だ。どんな本だろう。水谷さんが返却したら僕も読んでみよう。  カウンターに座ってから帰るまで、水谷さんはずっと本を読む。話しかけてくるなとでも言わんばかりの雰囲気を醸し出している。  結局僕はいつも躊躇してしまい、半年経った今も変わらない。少しでもこの関係を進展させたいのだが、どうすればいいのか分からない。  来年は受験生になるから水谷さんは委員をやらないかもしれないし、同じクラスになれるとも限らない。  あと半年で、せめて会話くらいはしたい。  でも話しかける勇気はない。  どうしたものか。  待てよ。別に話しかける必要はないのでは。  僕は決心して、片手を口元に持っていった。 「おほん、こほん、んんっ」  咳払いをしてみた。水谷さんから声はしない。 「けほ、ごほ、こほっ」  先程よりも苦しそうに咳をしてみたが、水谷さんからの反応はない。  心配の声が聞けると思ったが、無視をしているのかそれとも小説に集中しているのか、期待した声はない。  ならば、次だ。 「はっくしょん!はっくしょん!」  くしゃみをした後に鼻をすすってみた。  けれど、水谷さんは反応しない。  僕は「あー」と言いながら両腕を擦ってみたが、室内に声は上がらない。  カウンターの端に置いてあった小説を手に取り、題名を確認すると知っているものだった。 「あ、この小説最近人気のやつだ」  独り言を零してみたが、その言葉は寂しく消えていった。 「君に雪が降る、って映画だけだと思ってた。小説もあったんだ」  さりげなく小説の題名を言ってみるが、完全な独り言として処理された。  よく本を読んでいる水谷さんならこの題名を聞いたことがあるはずなのに、何の反応もしてくれない。  まるで僕がいないかのように振舞われて、ちくりと胸が痛む。  それなら、と持っている小説を床に落とした。 「あっ」  腰を曲げて拾い、水谷さんの様子を見るがやはりその視線は本へと注がれている。  長い睫毛が下を向いており、固く閉ざされている唇から真剣さが伝わる。  僕は諦めてカウンターに座り、拾った小説を開いた。  水谷さんと話すには、小細工や独り言ではなく直接本人に話しかけるしかないらしい。  先程までの行動を恥じると顔に熱が集まる。  人に見られないよう、俯きがちな体勢でページを捲った。  水谷さんに話しかけよう。  そう決意したのはいいが、隙がない。  教室にいる水谷さんは休憩時間になるとずっと本を読んでいるし、図書室でも本を読んでいる。  誰も水谷さんに話しかけることがないので、どうやって話しかけるのか、誰かを手本にすることもできない。  背筋を伸ばし、凛としている彼女を僕はいつまでたっても見つめているだけ。  話したいな。  何十回、何百回と思ったことだ。  木曜日の今日、実行すべく図書室にて隣に座る水谷さんをちらちらと確認する。  タイミングを計ってみるが、いつが一番良いタイミングか分からない。  ばくばくと暴れている心臓を落ち着かせるため、返却棚にあった本を手に取る。  黒いハードカバーの本が七冊置いてあり、背表紙を見ると有名な探偵シリーズだった。それらを積み重ねて両手で持ち、一歩踏み出したところでバランスを崩した本が床に落ちた。 「うわっ」  驚いた拍子に返却棚に体をぶつけてしまい、返却棚に置かれていた本も床に落ちてしまった。  膝を折って本を拾っていると、気づいた水谷さんが手伝ってくれた。  自分の失敗を好きな人に助けてもらう。それがとても恥ずかしくて情けなかった。 「ご、ごめん!」  できるだけ全部一人で拾おうとし、最後の一冊に触れると水谷さんも手を伸ばし、ちょんと互いの手が触れ合った。 「わっ!」  思わず手を勢いよく引っ込めてしまった。 「あ、ごめ......」  水谷さんからすると、いきなり手を引っ込められて気分はよくないだろう。  慌てて謝ろうとするが、既に水谷さんは腰を上げて椅子に座っていた。  嫌な態度をとってしまった。  好きな人に触ってしまって驚いただけだったが、水谷さんからすれば黴菌のように扱われたと思ったに違いない。  急いで探偵シリーズを棚に戻し、両手を握りしめて水谷さんの隣に立つ。 「あ、あの」  声をかけるが、水谷さんの両目は文字を追っている。 「あの、水谷さん」  名前を呼ぶと、一度僕と目を合わせてくれたがすぐに小説へと戻された。  怒っているのかもしれない。 「さっきはごめん、その、手が当たって驚いちゃって、不快な思いをさせたよね。ごめん」 「別に」  無視をされる覚悟で言ったのだが、たった一言返ってきた。  初めて会話が成立し、じわじわと体温が上昇する。 「う、うん!」  喜びを隠せず、大きな声を出してしまった。  鼻歌を歌いたいのを我慢してカウンターに座り、傍にあった小説を開いた。  内容はまったく頭に入って来なかった。  少しだけ触れた水谷さんの手は、とても冷たかった。  もしかしたら冷え性なのかもしれない。  水谷さんについての発見があり、口元がにやけてしまうのを持っている小説で隠した。  金曜日の放課後。  校門に向かっていると通りがかった友達が首を傾げて「お前、今日図書室当番だろ?」と声をかけてきた。  そういえば今日は、隣のクラスの図書委員が休みだからと先生に頼まれていたのだった。僕は急いで図書室へ走り、扉を開ける。 「ご、ごめん。すっかり忘れてて」 「別に」  相変わらず小説を読んでいて、こちらを見ない。  椅子に腰かけ、鞄から下敷きを出して扇ぐ。  静まり返っている室内で、下敷きが上下する音だけが響く。  汗が額から流れ落ち、体操服は汗でしみができている。  室内は外よりも暖かく、僕の体の熱は全く逃げていかない。 「はぁはぁ」  息が荒くなり、申し訳なさが募る。気持ち悪いと思われたくない。必死に息を整えようとするけれど、落ち着く気配はない。  体は熱いままで、顔は火照っている。  下敷きを煽る手が止まらず、ずっとそうしていると水谷さんが本を置いた。 「大丈夫?」  さすがに心配になったのか、水谷さんは僕の方を見ていた。  初めて水谷さんから声をかけてくれた。嬉しくて大きく頷く。  時間が経てば治まるのだろうが、体に溜まった熱はすぐに出ていってくれない。  水谷さんは立ち上がり、椅子を移動させて僕の隣にぴったりとくっついた。 「えっ?」  服越しに腕と腕が当たっている。  急なことに固まってしまう。  そんな僕に追い打ちをかけるように、水谷さんの両手が僕の左手を包んだ。 「どう?」  どう、とは。  一瞬思考が停止したが、水谷さんの両手から伝わる温度に気付く。 「冷たい」  まるで真冬にいるかのように手が冷たく、氷を触っているようだった。  そして水谷さんと触れ合っている腕も、なんだか冷たくて気持ちいい。  どうしてこんなに冷たいのだろう。そんな疑問が浮かんだが、それよりも体の熱を逃したくて、僕の右手は水谷さんの手の上に乗った。  暫くそうしていると、頭が冷えて現状を把握する。  水谷さんに握られている僕の左手と、水谷さんの手の上に乗せている僕の右手。そして腕が、肩が、水谷さんに触れている。 「う、うわあ!」  思わず飛び退いてしまった。  水谷さんは何も言わず、僕を見つめている。 「ち、違う! やましい気持ちなんてこれっぽっちもなくて、いや、なくもなかったけど、本当に僕はただ水谷さんが好きなだけでやましい気持ちはないから!」  言って後悔した。  触れたいだとかそんなことを考えていたわけではない、と主張したかったのにいつの間にか告白をしていた。  馬鹿にも程がある。  逃げていった熱が再び体を支配する。  言ってしまった。水谷さんと会話をすることだけを考えていたのに、告白なんて考えていなかったのに、思わず口が滑って言ってしまった。  水谷さんの様子を窺うと、目をぱちくりとさせている。  僕の告白が、水谷さんにそんな顔をさせていると思うと、なんだか嬉しかった。  口から出てしまったものは仕方ない。僕は開き直ることにした。 「だから、考えてくれないかな」 「何を?」 「僕と付き合うこと」  火が出そうな顔で水谷さんを見つめていたが、返事はなかった。  沈黙の空間をどちらも破ることはしなかった。  開き直った僕は休憩時間でも構わず水谷さんの席まで話しかけに行った。  クラスメイトは僕たちを遠巻きに眺め、こそこそと話していたけれど、同じ委員なんだし当然のことだと周囲に言い聞かせるように、何度も水谷さんに話しかけた。 「水谷さん、その本面白い?」 「別に」 「水谷さんは普段何をしてるの?」 「何も」  毎日のように話しかけて視界に入ろうと努力するが、いつも一言しか喋ってくれない。けれど以前に比べたら進歩している。水谷さんを見ているだけだったのに、言葉を交わすようになっている。  図書室で二人並んでカウンターに座りながら、水谷さんの方を向く。  綺麗だな。容姿もだけど、姿勢も綺麗だ。  遠慮なく見つめていると、僕の視線に気づいた水谷さんは顔を上げて眉を寄せた。 「なんで私のことが好きなの?」 「なんでって言われても、気づいたら好きだったんだ」  緊張はするし、心臓の音は煩い。  でも一度告白したからか、好きという言葉がすんなりと出てくる。  僕はもう、以前の僕じゃなかった。 「じゃあ、もし私が人間じゃなかったらどうする?」 「どういうこと? 水谷さんがもしも動物だったら、ってこと?」 「例えば、雪女とか」  そう言われて思い出すのは水谷さんの冷たい手。  まるで冬に生きているような手だった。  僕は少し考えて、思ったことを口にする。 「水谷さんは水谷さんだから、人間でも動物でも幽霊でも、雪女でも好きだよ」 「そう」 「水谷さんならどんな姿でも好き」  笑顔で言い放ったが、なんだか恥ずかしくなった。  でも僕は、水谷さんが怒った顔も鬱陶しがっている顔も、笑った顔も全部好きだ。笑った顔は見たことないけれど。 「ありがと」  ぼそっと呟かれた言葉はきちんと僕の耳に入っていた。  礼を言われるなんて、期待してもいいだろうか。 「ゆ、雪女だなんて、昔話が好きなの?」 「そういうわけじゃないけど。雪女の話、知ってる?」 「確か、人の温かさに触れた雪女が雪になる話だっけ」 「恋をした雪女は雪になって消えちゃうの」 「詳しいんだね」 「まあ、ね」  何とも言えない空気が漂う。  伏し目がちに薄く微笑む水谷さんがとても綺麗で、だけど儚くて、目が離せなかった。  互いが無言になったこの空間の、居心地は悪くなかった。  次の日から、水谷さんから話しかけてくれるようになった。 「和泉くん、この小説面白かったよ」  図書室のカウンターで小説の感想を語り合う。  まさかこんな日が来るとは思っていなかったので僕は感動し、涙が出そうになる。  これは着実に、水谷さんの中で僕という存在が大きくなっている。  僕は今、スタートラインに立っている。 「じゃあ僕も読んでみよう。こっちも面白かったよ。ラストが感動してさ」 「そうなんだ。じゃあ私も読んでみようかな」  どうやら僕たちは感性が似ているようで、好む小説が同じだった。  口元が緩んでしまう。この関係でも満足すべきだろうが、できれば恋人になりたい。  手を繋いだり、一緒に帰ったり、デートをしたり。そんなことを水谷さんとしてみたい。  初デートは動物園がいいか、それとも水族館がいいか。動物園だと時期によっては動かない動物がいるだろうから、水族館がいいな。その後カフェでゆっくりして解散する。二回目のデートは映画館がいいだろうか。それとも書店で一緒に本を買うのがいいだろうか。  もしも水谷さんと恋人になったら、という妄想を繰り広げていると隣からくすっと笑う声がした。 「ふふ、凄い顔」 「変な顔してた?」 「なんだか弛んでたよ」 「そ、そう?」  慌てて両手で顔を触る。恥ずかしいな。  唇をぎゅっと結んで、もう緩まないように注意する。 「ふふ、おかしい」  水谷さんは、僕の前で笑ってくれるようになった。  教室では相変わらずの無表情だけど、僕と二人でいるときは笑ってくれる。僕だけが特別なような気がして、浮ついた気持ちになる。  以前まであった壁はなくなり、今は二人の間に温かい空気があった。  十二月になると、夕方でもすぐに暗くなる。外は寒く、鞄を背負って校門を出ていく生徒たちはマフラーをつけている。  僕も同じ姿で図書室からその光景を眺めていると、水谷さんが隣に立った。  この学校でマフラーをつけていないのは、水谷さんくらいかもしれない。 「寒くない?」 「寒いのは平気なの」  今日は初めて、水谷さんと一緒に帰る。  普段は帰り道が逆なのだが、水谷さんは今日おばあちゃん家に泊まるらしい。その家が、僕の家と同じ方向なのだった。  二人で並び道を歩く。恋人みたいでどきどきする。  薄暗い道を進んでいると冷たい風が吹いた。 「うわぁ、寒い。本当に平気なの?」 「うん。今日は初雪なんだって。一緒に初雪が見れたらいいね」  胸が高鳴る。一緒に見たい、そう言われているようだ。  小さく「うん」と答えると、水谷さんは鞄を漁り、可愛くラッピングされたそれを取り出した。 「これ、和泉くんに渡しくて」 「えっ、どうして?」 「本当はクリスマスに渡したかったけど、初雪の今日に渡したかったから」 「クリスマスプレゼントってこと? 俺用意してないよ」 「いいよ」 「嬉しい、ありがとう」  袋を開けてみると、紺色のマフラーだった。僕は今巻き付けているマフラーを外し、水谷さがくれたものを首に巻く。 「あのね、今日は言いたいことがあるの」  水谷さんの足が止まった。 「好き」  短く発せられた言葉は、僕が水谷さんに抱いている感情と同じだった。  これは夢じゃないよな。頬を引っ張ってみるが、痛い。夢じゃない。 「それは、付き合ってくれるってこと?」  嬉しい、嬉しい。  声が若干裏返ってしまったが、それくらい嬉しかった。 「そうしたいけど、それはできないの」 「な、なんで!?」  好き同士なら、恋人になっても問題ないはずだ。一体どういうことだろう。  舞い上がっていた自分が嘘のように沈んでいく。  水谷さんの話をしっかり聞こうと、腕を掴む。しかし、僕の手は制服の感触しかない。腕がない。  驚いた僕は声が出ず、呆然とした。 「私が雪女でも、好きなんだよね?」 「なにそれ。これどうなってるの」  よく見ると反対の腕もない。  雪女って、急に何の話をしているんだ。 「雪女ってね、恋をすると心が温かくなるから、溶けて消えちゃうんだよ。だから人と関わらないようにしてたのに、和泉くんが勝手に私の心に入ってくるんだもん」 「な、なにそれ」  何の話だよ。雪女って何だよ。そんなの、御伽噺だろう。  しかし水谷さんの両腕はなく、制服の袖がぷらぷらと動いている。袖の中からは、雪が落ちていた。水谷さんの腕が、雪になったのだ。 「ちょっと早いクリスマスプレゼント、やっぱり私にもくれる?」  涙が出てきた。  溶けてなくなるってなんだよ。腕は溶けてなくなったってことか。じゃあ、他も溶けてなくなるのか。顔も、体も、足も、全部全部なくなってしまうのか。  雪女という事実すら受け止めきれないのに、溶けてなくなるってなんだよ。 「抱きしめて」  水谷さんの言葉を聞く前に、僕は勢いよく彼女の細い身体を抱きしめた。  すると、僕の両腕にずしりと重みがあった。同時に、とさっと何かが地面に落ちる音もした。あぁ、きっと、足が溶けたんだ。理解したくないのに、理解してしまう。 「あのね、私も恋をしてみたかったの。でも雪女は溶けちゃうから、できないって思ってた。それでも、溶けてもいいから、一度でいいから、私も普通の女の子みたいに恋をしたかった。好きって言ってくれてありがとう。和泉くんが何度も話しかけてくれるから、いつの間にか私も好きになったみたい。和泉くんに、この想いを届けたかったの」 「なんで今言うんだよ。こんなことなら」 「私はとても幸せだよ。恋ってこんな感じなんだね」  こんなことなら。その先の言葉を遮り、水谷さんは笑った。 「あ、初雪だ。一緒に見ることができてよかった」  滲む視界の端に、ちらほらと落ちてくる白いものが見えた。  初雪がなんだよ。  せめてクリスマスにしてほしかった。もっと一緒にいたい。そう強く願うのに、腕にある重みは徐々になくなっていく。 「これから和泉くんは他の女の子とも恋愛するだろうけど、でも、初雪を見たら、一瞬でもいいから、私のことを少しでも思い出してね」  水谷さんの涙ぐむ声で言われる。 「俺は水谷さんだけだから、だからどこにも行かないで、消えないで。だって両思いだよ、初デートの場所はもうずっと考えてたんだよ」 「はは、どこに行くの?」 「水族館に行って手を繋いで魚を見るんだ。次のデートは本屋さんで、お互い買った本を交換して読むんだ」 「楽しそう、いいな」  か細い声。力無い声。 「なんで、待って、行かないで。軽くなってるよ、ねえいまどうなってるの?嫌だよ」 「もうそろそろだよ」 「嫌だ、嫌だ」  涙が止まらない。  だってさっきまで笑っていたのに。明日も会うはずだったのに。  両思いなら付き合えるはずだったのに。  急に雪女だという事実を突きつけられて、急に消えていくなんて、何の心の準備もできていなかったし、現実として受け止めることなんてできない。  それでもこれは現実なのだと、腕の重みと、地面に落ちている雪が訴えている。 「好きって言ってくれて嬉しかったよ。私は今とても幸せ」  幸せだなー、と水谷さんが呟いた後、制服がパサっと音を立てた。  恐る恐る腕の中を見ると、制服の中には雪があった。人間の姿はどこにもない。  雪の重みがある制服に顔を埋め、声を出して泣いた。  両思いになれたと思った。一緒にデートをしたかった。  手を繋いで下校したり、抱きしめたり、恋人らしいことを今まで何度も想像した。  好きにならなければよかった、なんて思わない。だけど水谷さんのいない日々をこれから送らなければならないのは、とても辛い。  水谷さんの言う通り、僕はこれから初雪が降るたびに彼女のことを思い出すだろう。  雪が顔に当たる。涙で濡れている顔にぴったりとくっつき、溶けていく。  忘れないでね、と言われているようだった。  今日のこの痛みを、悲しみを、切なさを、どうすれば忘れることができると言うのか。  僕は大粒の涙を流し、声を上げ、白くなっていく世界で立ち尽くしていた。
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