月としじま

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 肩を揺さぶられる。  ――もう朝?お母さんが起こしに来たのかな……。  わたしはゆっくりと目を覚ました。 「え、凪冴くん?」  目の前にいたのは凪冴くんだった。  辺りを見渡してみると、どうやらここは学校の音楽室らしく、わたしは椅子に座っていた。 「……そうか、夢か」  そう思って、えいっと自分の頬を抓ってみる。 「……痛い」  スカートのポケットの中で何が震える。取り出すとそれは携帯端末だった。 『気持ちはわかるよ』  凪冴くんが苦笑いを零す。  窓の外を見遣れば、辺りは真っ暗だった。  満月が優しく輝いている。 『寝たと思ったんだけどな』 『僕も。でも夢じゃない。現実みたい』 『そうみたいだね。取り敢えず、パジャマ姿じゃなくて制服で良かった』 『それは同感』  何だかこの不思議な時間を手放すのは惜しくて、二人で今日あったことを話す。  そういえば、と凪冴くんが何かを思い出したようだ。 『今日音楽室に来なかったけどどうかしたの?』  真剣な眼差しで見つめられ、わたしは咄嗟に顔を逸らした。 『……もしかして、見ていた?』  告白現場を、とは言われなかった。  何か言わないとと思ったけれど何も言えなくて、わたしはただ小さく首を縦に振った。  ――見られちゃっていたか……。  口の動きでわかった。多分、凪冴くんはそんなことを呟いた。困ったように視線がうろうろとしている。  ――『付き合うことになったんだ』  そう言われるんじゃないかと思ってしまって。聞きたいけど聞きたくなくて、怖い。 携帯端末が震える。わたしはそれに視線を動かした。 『ねえ、歌でも歌わない?』  突然の言葉に驚いていると、凪冴くんが手を差し出してきた。 『……何この手』 『いいから握って』 『……恥ずかしいんだけど』 『良いから早く!』  ぷらぷらと手を振られて、わたしはおずおずと手を掴む。すると、ぎゅっと繋がれて引っ張られた。  はい、ここに立って、と指揮台の上へと導かれる。 『ねえ、本気?』 『本気本気。今なら誰もいないし、歌いたい放題、弾きたい放題じゃん』  ――いや、あなたはいつも弾きたい放題だけどね?  そんな突っ込みはできる雰囲気ではない。  覚悟を決めるしかなさそうだ。  重力で足に地面がずっと着いている状態なのに、わたしの心はわくわくとどきどきでふわふわと浮わついている。  凪冴くんがピアノの蓋を開ける。白と黒の鍵盤が中から現れた。椅子の高さを調節して、ゆっくりと座った。 『何の曲にする?』 『あれなんかどうかな』  凪冴くんが述べたのは恋のバラードだ。静かでゆったりとした曲だ。  凪冴くんが前奏を弾き始める。顔を見合わせて、わたしはすうと息を吸った。  息を吸って、指を動かして、思うがままに音にする。お互いに失敗しているところもあるけど、その度に二人で笑いながら音楽を奏で続けた。  わたしたちにとって、その音が本物だから。  満月だけがわたしたちの秘密の合奏を聴いている。  音楽は終わりへと近づいていく。  ――ずっとこの時間が続けばいいのに。  そう、本気で願った。  楽しくて、終わるのがちょっと悲しい。ずっとずっと歌っていたかった。  この曲は恋の歌。わたしの凪冴くんへの想いも乗せて、この気持ちが届いたらいいのに。  最後の一音までわたしはわたしがもてる限り歌った。  ゆっくりと口を閉じる。ピアノの音が響き終わった後、凪冴くんは鍵盤から手を離した。 「……終わっちゃった」  わたしが独りごちると、凪冴くんが優しくピアノの蓋を閉めた。  わたしたちの約束は叶えられた。  ――これで、終わりか。  終わって、しまった。  ――いっそのこと、約束とともに凪冴くんへの気持ちも終わらせようかな。  どちらも綺麗なまま心の中に閉まっておきたい。  鼻がつんとした。今涙を流したら、凪冴くんに泣いていることがバレてしまう。  泣きそうになるのをぐっと堪えていると、凪冴くんがわたしの目の前へと歩いて来た。 『あのさ、言いたいことがあるんだけど』  ――さっきの話の続きを言われるんだろうか。  幸せな時間は過ぎてしまった。  何を言われるのか怖くて身構える。そんなわたしに、凪冴くんはまるで淡く輝く月のように、優しげに微笑んだ。  ――好きだ。  口が、確かにそう動いた。  そっと彼に抱きしめられる。  わたしは言われた言葉が信じられなくてぽつりと呟く。 「……本当に?」  音の震えが彼の耳へと届く。 『聞こえなくても静玖の気持ちは伝わって来たよ。……自惚れじゃなければ、だけど……静玖からちゃんと聞きたいな』  優しい眼差しで見つめられる。  わたしは親指と人差し指を顎の下に当てて指を閉じながら下げていく。そして、ゆっくりと腕を回して凪冴くんに抱きついた。  背伸びをして、彼の耳に顔を近づけて、わたしは凪冴くんへとこの想いを届ける。 「わたしも、あなたのことが大好き」  歌うのも上手くない。恋愛も上手くない。  だけど、あなたが好きだと言ってくれたわたしを、あなたのことが好きなわたしを、少しでも好きになってあげても良いかな。
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