ゴミ捨て場

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 今日は燃えるごみの日だ。  私は、ゴミ置き場にごみを運んでいた。  ゴミ置き場は、私の住んでいるアパートの裏だ。  アパートの裏手にあるゴミ置き場には、明らかに場違いなものが捨ててあった。  柱時計が置いてある。  それは人の背丈ほどもあった。  粗大ごみは、このゴミ捨て場には捨ててはいけない決まりだった。  というよりも、粗大ごみを捨てる場合、事前に回収の連絡しなくてはならない。  それが面倒だからと、こんなところに捨てる人がいるが、これは不法投棄という犯罪だ。  …とはいえ。  面倒なことにかかわりたくない私は、その柱時計を後目に自らのごみを置いた。  そして、そのまま立ち去ろうとする。 「ちょっと、そこのあなた」  背後から声をかけられる。  私は無視することにする。 「ねえ、あなたよ」  そう言われて私は、肩を叩かれた。  仕方なく振り返ると、そこには女性が立っていた。  年の頃は三十歳くらいだろうか? 美しい人だったが、どこか冷たい印象を受けた。  彼女は私の目を覗き込むように見つめると……。 「……そう、あなたよ。こんなもの捨てちゃだめよ?」 「いや、でもこれ私が捨てたものじゃないですよ?」  私は、その女性に反論した。 「ごみ捨て場の管理は、住民の連帯責任ですよ?あなたがどうこうという問題じゃありません。」  そういった後、彼女はこう続けた。 「この柱時計を処分するように手配するべきではなくて?」  彼女はそういって、じっと私を睨んできた。  随分と勝手な言い分だ。  もしかして、彼女はこの地区の長か何かなのだろうか?  ……だとしたら、逆らうと面倒なことになりそうだ。 「すみませんが、あなたはこの地区の区長とか、ですか?」 「いいえ、違いますが。」 「では、このゴミ捨て場の管理に関わっているんですか?」 「いいえ、まったく」  彼女は、そういった。  どうやら、この女性は区長でもなんでもないらしい。 「連帯責任とおっしゃるのでしたら、まずあなたから処分するように連絡したらどうですか?」  私は女性にそういった。   「私は、これから仕事に行きますので、対応できる時間は限られています。」  彼女は、きっぱりとそう言った。 「あの、私もこれから仕事なんですよ。」  私も彼女にそういった。  なんで私が他人のごみ処理をしないといけないんだ?  私は、その女性の主張には付き合いかねた。  しかし、彼女はそんな私の言葉をまったく聞いていない。 「じゃあ。私はこれで。次に来る時までになんとかしておいてくださいね。」  彼女はそう言い残して、さっさと立ち去ろうとした。 「ちょっと待ってください。これは私の責任じゃ…」  私は思わず彼女を引き留めようと手を伸ばした。  しかし、私の身体は、意図せずに柱時計にぶつかってしまった。  思わず柱時計に体が当たってしまったことで、私はバランスを崩してしまった。  私は、柱時計を抱えるように両手で掴んだ。  柱時計に体重を預けることで、ようやく、バランスが取れた。  落ち着いた私が、周囲を見ると  すでに女性は、その場から立ち去っていた。 「なんだったんだ……?」  私はしばらくの間、呆然としていた。  とはいえ、私もいつまでも呆けているわけにはいかなかった。  そろそろ仕事に行かなければ……。  私は、アパートの自室へと戻ることにした。  その日、いつものように仕事をするなかで、朝の奇妙なことはすっかり忘れていた。  しかし、その日の夜のことだった。  仕事から帰ってきた私は、ゴミ置き場の前を通っていた。  柱時計が捨てられている?  そういえば、朝、そんなこともあったな……。    それは私の記憶にある柱時計ではなかった。  そこにあるのは、巨大な冷蔵庫だった。  巨大な業務用と思わせる冷蔵庫だ。  人の一人や二人は入れそうだ。  しかし、なんで冷蔵庫なんかがここに? 「なんだこれ?」  私は思わずそう口にしていた。  私は冷蔵庫を前に立ち尽くしていた。  突然、背後から声がした。 「あら、まだ処分してないの?」  振り返ると、朝の女性が立っていた。  彼女は冷たい視線を私に向けた。  女性と私は無言で、向かい合っていた。 「えっと、これは…柱時計じゃありませんよね?」  私は、じっと見てくる視線に耐え切れず、脈絡なくそういった。 「ええ、違いますね。でも、同じ不法投棄ですよ。どうして処分しないんですか?」  彼女は、私がごみを処分していないかのようにそういった。 「いいえ、これは私が捨てたものではありません。」 「はあ……。」  彼女はどこか諦めたかのように、わざとらしくため息をついた。  それから、私を改めて見た。 「だからこそ問題なんですよ。無関心が、こういった事態を招くんです。」  一転して、彼女は厳しい口調で私に言った。 「でも、あなたも何もしていないじゃないですか」  私は、思わずそういった。 「私は行動しています。あなたに気づかせようとしているんです」 「気づかせる?何を?」 「社会に生きるものとして、私たちには責任があるということです」  彼女は真剣な表情で続けた。 「誰かがやるだろう、私には関係ない。そう思っていると、世界は少しずつ崩れていくんです」  私は言葉を失った。彼女の言葉には一理あった。  しかし、女性は無責任だ。  自らは何も行動をしようとしない。  とても付き合いきれない。  私は立ち去ろうとした。   「待って」  彼女は、大声で叫んだ。 「なんですか?」  私は、思わずそういった。 「処分してください」  彼女はそういいながら、冷蔵庫の扉を開けた。  そこには……。 「うっ!」  思わず私はうめいた。  強烈な異臭が漂ってきたからだ。  冷蔵庫に密閉されていた匂いが襲ってきた。  気持ち悪い。吐き気がする匂いだ。  冷蔵庫の中には人が入っていた。  身体は腐敗が進んでおり、容姿の判別すらできない状態だ。  確実に人が死んでいた。 「な、な……」  あまりのことに私は、正常に動けない。  その場で後ずさることしかできなかった。  強烈な匂いが漂うなかで、私は彼女の方を見たが……。  もうそこには誰もいなかった。  私は呆然と立ち尽くしていた。  冷蔵庫の中には、確かに人の死体が入っている。  夢でも幻覚でもない。  私は、手にしたスマホで警察に連絡した。  ほどなくして、警察が来た。  私は、先ほどまでいた彼女の話をしたが、警察はそれはあまり重要視しなかった。 「とにかく、警察としても人命に関わる事件ですので、署の方まで来ていただけますか?」  警官は、私を警察署へと連れていった。  殺人事件として扱われているのか、私は指紋を取られた。  それから、警察官から長時間にわたって事情を話すことになった。  しばらくして、ようやく私は解放された。  警察署を出た私は、疲れ果てていた。  もう深夜という時間だ。  一人、警察署から自宅までの道のりを帰っていく。  バスはもうない。  タクシーを呼ぶには近い距離だ。  私は徒歩で家へと歩いていた。    帰り道、ふと柱時計のことを思い出した。  あの女性が最初に現れたときにあったのは柱時計だった。  そして、会社から帰ってきたときには冷蔵庫に変わっていた。  これには何か意味があるのだろうか?  私はそう思った。  それから、数日後。  警察から連絡があった。  私は警察署を訪れることとなった。  担当の刑事が私を小さな部屋に案内し、椅子に座るよう促した。 「この方をご存じですか?」  刑事は、そう言った。  そして、タブレットを操作して画像を私に見せた。  その画像は、あのゴミ捨て場にいた女性が写っている写真だった。 「ええ。この女性は知っています。ゴミ捨て場で会った女性です。」  私は即座に答えた。  刑事はじっとこちらを見ながら頷いた。 「実は、この女性が冷蔵庫の中で発見された被害者なんです。」  刑事の言葉に、私は息を呑んだ。 「しかし、それは…」  言葉が出なかった。私が会った女性は、確かに生きていた。  それから刑事は、女性について話を続けた。 「あなたはたしか、当日。彼女と会って柱時計を処分することについて口論になったとか?」  刑事は自然な調子で私へ、そういった。 「はい。ゴミ捨て場に不法投棄されている柱時計について話しました。」  私がそういうと、刑事はじっと私を見た。  一瞬だけ、会話に間が空いた。 「…そうですか。実はですね。彼女が殺された場所は、彼女の自宅。そして、柱時計がある部屋でした。」  刑事はそう言ってから、話を続けた。 「部屋に置いてあった柱時計は、彼女の返り血で真っ赤でした。」  刑事は私にそう言った。  私は、刑事が何を言いたいのか分かりかねた。  刑事は、わざとらしく視線を私から外した。  一息ついてから、こちらへと向き直した。  そして刑事は話を続けた。 「あなたは、柱時計のある部屋で女性を殺した。その部屋から冷蔵庫に死体を入れて、ゴミ捨て場に死体を捨てた。」 「いいえ。違います」  刑事は、私を犯人扱いしていた。 「部屋には、あなたの指紋もありました。」  刑事はそういって、タブレットを操作して、とある部屋の画像を見せた。  どこかの屋敷のような部屋だった。  床は大理石で高級そうな絨毯が敷かれている。  そして、シャンデリアの下には、柱時計があった。  それはあの日の朝、私がゴミ捨て場で見た柱時計だった。  その高級そうな部屋には、人間の血が変色したどす黒い赤があちこちに飛び散っていた。   おそらく女性が殺された部屋なのだろう。  しかし、私はそこに行ったことはない。  それどころか、まったく知らない場所だった。 「さて。…あなたには、すでに逮捕令状が出ています。我々は、あなたを逮捕します。」  刑事はそういって、周囲の警察官と目配せをしてから私を見た。 「いいえ、違います。私はその部屋に入ったことはありません」  私は、はっきりとそういったが、もう遅いようだ。 「あなたの話はこれから聞きます。現時刻を持って逮捕します。」  刑事はそう言って、手慣れた様子で私の手首に手錠をかけた。  私は、あまりのことにどうすることもできなかった。  そして、そのまま私は警察署で容疑者として取り調べを受けることになった。  長い長い取り調べが終わった。  私は取調室から出て、留置所へと移動する。 「無関心が、こういった事態を招くんです。」  手錠をかけられた私の耳には、あの女性の声が届いた気がした。
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