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人間はヒマになると、ロクなことを考えない。
一学期の期末テストが終わった三時限。テストから解放されて、ご褒美のような午後の時間を、クラスメイト達はファミレスとカラオケで消化しようと盛り上がった。なんでもアイドルのコラボとか期間限定のメニューがバズっているらしい。
「浅海、お前も来るだろ?」
そう声をかけてくる隣の席の小倉は、僕の机に上体を預ける体勢で話しかけてくる。
「ごめん。今日は橘さんとデート」
「うん。浅海くんと一緒に観たい映画があるんだ。今日は部活も休みだし」
僕たちはその場のその場で、息を合わせて話を合わせる。
同じクラスだからこそできる即興劇。
ニンゲンミマンの僕たちが、人間であるクラスメイトを傷つけないように、恋人同士となって彼らと距離を置こうとした。
「へぇ、なんて映画なの? おもしろい?」
興味を持った女子に話しかけられた橘は、軽く笑みを浮かべて「うん、今日公開の【呪社】っていうホラー映画」と答えた。
なるほど、僕はこれから【呪社】を観なければいけないらしい。けど、それはかまわない。地雷原を歩くようなクラスメイトたちとの交流の方が、心臓に悪いドキュメンタリーホラーだ。
「あ、その映画の監督。ネットで有名なヤツだ! 行きたい」
「え?」
思わず、変な声が出てしまう。
教室内に渦巻く空気が、思わぬ方向に動くのを感じた。
「いいね。みんなでファミレスで食事して、【呪社】を観に行くのもいいかもしれないな~」
勝手に話をすすめるのは、学級委員長の勝田だ。
こいつは委員長の立場を利用して、強引にみんなと遊びに行く企画を押し通そうとするし、バレなければと酒もタバコも勧めてくるから好きじゃない。
おいおい、僕たちのデートを自分たちのイベントに組み込むなんて、ほんと、どういう神経しているんだよ。
バン! と、僕はありったけの力を込めて机を叩いた。
思ったより大きな音が出て、隣にいた小倉が怯えたような素振りをする。
「あの、僕は、橘さんとデートしたいから! 行こ! 橘さん」
「うん!」
僕は橘の手を取って、教室から逃げ出した。
「最近付き合い悪いぞ~っ!!!」
◆
マクドで簡単な食事をとって、映画館に向かう。
家には橘とデートする旨を告げると、母の了承する声に、ひしひしとした喜びの気配が伝わってきた。
あんなことがあったから、息子が前向きに学生生活を楽しんでいるようすに、嬉しくてしかたがないらしい。
「橘さんの家はどう?」
「あぁ、うちは冷蔵庫の作り置きを切らさなければ、とくに反対しないから」
「そっか、じゃあ、次のデートは、橘さんの家で良い?」
「うん、いいよ」
◆
正直、映画の内容なんて頭に入らなかった。
ただ、ぽつりぽつりと、小雨のような橘の独白が、僕の乾いた心を潤した。
「私ね。中学まで、ずっと、おばあちゃんの介護していたんだ。小学生の時、おばあちゃん倒れて、というよりも、うちの親って元々子供作るつもりなかったみたいだし、予定外だったらしくて、全部おばあちゃんに押し付けて、家にお金を入れて、食べて寝るだけしか帰ってこなくてさ」
映画のスクリーンでは、血まみれの男が叫んでいる。
「気づいたら、ずっとおばあちゃんと一緒。小学生の時にはもう、家事は一通りできるようになったけど、友達とは全然遊べなかった。勉強も全然わからないし。しかも、おばあちゃん、倒れるなんて思わなかったか、どうしていいか分からなかった」
そんな見せかけの演技よりも、橘の言葉が胸に迫ってくる。
「なにかあっちゃいけないから、おばあちゃんの隣に布団を敷いて寝ていたんだけど。おばあちゃん、精神的に参っちゃっていたから、寝るのが怖いって、夜、よく起こされて。それが、一番、きつかったなぁ」
クライマックスシーンに、晴れ晴れとした空が広がるも、彼女の中ではずっと雨が降り続いている。
「だから、ある日。ぷっつんって、きちゃって。おばあちゃん、殴っちゃったの。その時、生まれて初めて、楽しくて、楽しくて、仕方がなくて、いろいろ教えてくれたのに、育ててくれたのに、おばあちゃんを殴ることが、毎日、楽しみになっていた。そんなこと許されないのに、私にはそれしか、楽しみがなかった」
「…………」
あぁ、やっぱり。橘は僕と同じだ。同じなんだ。
僕たちは、本当は、生きていちゃいけない人間なんだ。
「さすがにね、高校進学しなきゃ世間体が……だから、仕方なく親が干渉してきたのよ。それで、いろいろバレて、おばあちゃん、今、施設なんだ。……最初から、そうしてくれたら、私はこんな楽しみ、知らずに済んだのに。高校に入って、はじめて、部活したんだけど、全然楽しくなくて。人、ずっと殴りたくて、殴りたくて」
抑えているけど、彼女の口元にはうっすらと微笑がうかんで、声が弾むように上擦っている。
「誰も傷つけたくない。どこか、誰もいない、遠くに行きたい」
その切実な願いを、僕は叶えることが出来るだろうか。
僕が橘の手を握ると、彼女はびくっと小さな肩を震わせた。
「分かるよ。僕もそうだから」
彼女を引き寄せて、抱き寄せて、その赤い唇を塞いだ。
エンドロールもへったくれもない、どうか、だれか、僕たちを殺してくれと、そんなことを願いながら。
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