恋人イジョウ ニンゲンミマン

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 一年前  病院の廊下と学校の廊下は似ている。  一直線に伸びて、逃げ場がないところが特に。  頭上に感じる両親の視線は、僕の頭を通過して、ギブスに固められた右手に注がれていた。二人の脳内に駆け巡っているのは「日常生活に支障はないけど、野球はもう続けられない」という医者の言葉と、息子の部活を支えるために捧げた、自分たちの金と労力と時間――悲劇性を帯びたキレイな思い出だけだ。 ……あぁ、くだらない。  イヤに足音が響く廊下明るいのに陰鬱で、そこもまた学校に似ていることに気づいて、僕はそのことを付き添っている両親に話したかったのだが、たぶん、今の二人の脳内は息子(ぼく)の言葉を都合よく変換するフェーズに入っている。だがら、この場でふさわしい言葉はコレなんだろう。 「ごめん、ごめんなさいっ……」  なるべく申し訳ない気持ちを前面に出して、顔をうつむかせつつ、吊られた右手を(かば)うような仕草をする。治療費とか現実的な出費を考えると、それは本当に申し訳ない気がした。僕ができることはリハビリを頑張り、授業の成績を落とすことなく、日常生活に復帰することであり、この悲劇的な一幕も、キレイな思い出として処理できるように、日々努力を積み重ねることなのだ。 「なにを言っているんだっ! なんでお前が謝る必要があるっ!? 辛いのはお前の方だろうがッ!!!」 「そうよ。あなたが歩道橋の階段から落ちたって聞いて、どんなに心配したか……」 「…………」  声を詰まらせ、喉を震わせ、感情と言葉が見事に一致して調和している、なんとも分かりやすい感情の排泄(はいせつ)。  息子を案じる言葉の中に潜んでいるのは、優越感と惨めさが混在した自己愛であることに、父も母も気づくことはない。  お願いだから、そのまま一生、なにも気づかないで。 ◆  物心がついたときの最初の思い出が、父の笑顔とキャッチボールだった。  僕が野球をやると、親を筆頭(ひっとう)に教師や大人たちが喜んでいたからズルズルと続いてしまい、気づいたら中学生野球で全国レベルの順位に(つら)なる学校に入り、そこそこ活躍してしまった。  父は嬉しかったんだと思う。父も学生時代は野球部で甲子園常連校に入ったものの、結局、大した活躍をすることなく引退して、無難に大学に進学して無難に就職して無難に結婚して、無難に息子とキャッチボールをしていたのに、そこで未消化だった青春のスイッチに火がついてしまった。 「うちの大智(だいち)は、野球が好きなうえに、センスがいい! きっと俺より、良い選手になる。いや、させてみせる!」  父の思い込みを(ただ)せる人間はいなかった。  僕も父の言葉が正しいものだと信じ込んでいた。父の確信に満ちた顔と言葉が、いつも僕をそうしなければと駆り立てて、それが出来ない自分に腹を立てていた。父の言う自分が自分でいないことが、許されないことだと思い込んでいた。 「わざとやってたんなら、お前、ヤバいよ」  その思い込みに亀裂が入り、結果的に自分の右腕を潰す事態(じたい)に至ったのは、引退した先輩の言葉だった。
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