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中学時代、僕はそこそこ活躍していた。
その活躍のキッカケになったのが、試合相手の監督がデッドボールのサインを、バッターに送っていたところをたまたま見てしまったからだ。
ピッチャーとして相手を完封する自信があった僕は、投げたボールを打ち返すことを諦めて、わざと当たりに行こうとするバッターに対し、脳の奥がぎゅっとなって腹の奥底で黒く燻ぶるものを感じた。
今思えば、嫌悪や怒りだ。
――ぶつかりたいんなら、ぶつけてやるよ!
躊躇いなんてなく、わざとボールに当たろうと身を乗りだすバッターに対して、罪悪感なんて微塵もない。
いつも通りにすっと構えて、けれども投げる瞬間は、相手に確実にダメージを与えるつもりでボールを投げた。
グギッ!
当てた直後に、ボールがぼとっと真下に落ちる。
投げたボールが相手選手の肘を直撃し、痛みで転げるバッターの足が、死にかけの虫のようにバタバタして見えたのが、見ていてとてもゆかいだった。もしかしたら、こんなに楽しい気分になれたのは、生まれて初めてだったのかもしれない。
試合は中断され、タンカに運ばれていく選手を見送った僕は、今までにないある種の満足感を覚えて、おぞましく歪んだ啓示を受け取ってしまった。
――これで、敵の戦力を一人分潰した。と。
その後の僕は、相手の戦力を削ぐように、反則ギリギリのプレーに興じた。そして、バレないように、自分にも身を削る戦法を課すことでファインプレーに繋げ、試合に貢献してきた。
フェンスに全身をぶつながらボールキャッチ、スライディングの際にはわざと僕の手を踏ませて、その一方でボールを追いかけるフリをして、全身の体重をかけるようにわざとぶつかる。
楽しい、楽しい、楽しい、もっともっと壊したいぃ!
「なぁ、浅海。話があるんだけど」
だから、うまくやっていると思っていたから、先輩に看破されて、僕は少し動揺してしまった。
◆
全国大会を完全に終えた、中学二年の秋の日だった。
放課後の更衣室に呼び出されて、先輩から告げられた言葉。
イヤな予感はしていたけど、先輩の口から直接伝えらるのは予想外だった。部活を引退し、高校受験に向けて、完全に頭を切り替えないといけない時期に入ったからこその老婆心だったのだろう。
「大人ってめんどくさがりだからさ、薄々はお前のこと気づいているんだぜ」
そう前置きをする先輩の顔は、窓から入る秋の夕日が強いせいで黒く塗りつぶされていて、開いた口の白い歯が濡れた唾液のせいで、ぬらりと光っているのが不気味だった。
「お前、この前の試合、相手にわざとボールを当てようとしただろう?」
この時の僕は、先輩の言う「この前の」が、どの試合なのかもう分からなくなっていた。
「頭に当てようとしたよな? 相手がビビって避けたけど」
「……はい」
「下手したら死ぬ可能性とか、考えなかったのか?」
「……はい」
「お前自身もかなり体ぶつけたり、頭からツッコんだりして痛いだろう? なんでそこまでするんだ?」
「……はい」
「はい、って、お前、俺の話、聞いてんのか!」
「……はい」
イライラする先輩の声が耳を素通りする。
先輩が怒る理由を理解しようとしても、頭の中で言葉が分解されて、空虚に吸い込まれていく感覚に動揺し、こめかみ辺りが痛くなった。
「もういい」
怒りと軽蔑の感情をこめて、先輩が吐き捨てる。
更衣室の温度が心なしか上がって熱苦しい。
「わざとやってたんなら、お前、ヤバいよ」
先輩は最後にそう言い捨てて、更衣室のドアを勢いよく閉めた。
置き去りにされた僕は、気づかされた己の側面に恐怖して、自分の行動に疑問を持ち始めた。
僕はどこで間違えた?
善悪も罪悪感も、躊躇もなく、人を傷つけて楽しんでいる僕自身。そんなの普通じゃない。
このまま野球を続けていたら、いずれ誰かを試合中に殺してしまう危惧とともに、己の負の部分を持て余した僕は、誰にも相談することができず、下校途中に歩道橋から身を投げることにした。
最悪、死んでもよかった。
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