3.夢と歌

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3.夢と歌

 目を覚まして最初に見えたのは彼の顔だった。  赤みがかった髪、灰色の肌。  深い緑色の瞳がまっすぐにヘレンを見つめていた。 「おはよう。ヘレン。アリシア。僕はカイ。君たちを作った、まあ、マスターだ」  マスター。  繰り返そうとしてヘレンは目を瞬く。そのヘレンの様子を見て、彼は慌てたように手を打つと、小さな金属片をそうっとヘレンの喉元へ押し当てた。それは吸い込まれるようにヘレンの喉の中へ潜り込む。 「声を出してみて。言葉は、わかるよね?」 「わ、かります」  訊ねられ、ヘレンはそろそろと口を動かす。唐突に音声が自分の口から飛び出してヘレンは驚いた。  音を孕まず、囁くばかりの彼の声とは違う、高く柔らかい響きだ。  彼は満足げに頷いてから、すっと目を逸らす。視線の先、自分と同じように台の上に横になった少女の顔が見えた。彼はヘレンにしたように彼女の喉元にも金属片を押しつける。それは過たず彼女の中へ吸い込まれていく。 「おはよう、アリシア。返事、できるかな」 「でき、ます。マスター」  低く、しっとりとした音声が彼女の口から洩れる。自分とは違う声音にヘレンは目を見張った。 「良かった。うまくいって。君たちを作るにあたって、声だけはね。どうしてもこれを再現したかった」  言いながら、彼はすたすたと歩いていく。思わず身を起こして彼を目で追うと、彼は平たい箱、白色のお椀、そして無数のアームを備えた奇怪な形をした装置の横に佇み、その装置に繋げられたレコーダーと思しきなにかを操作した。  流れ出してきたのは、マスターとは違う、人の声。  楽し気に踊るように空気を染める複数の人の、声。 「この大きなものはね、今より四十年以上前、僕の祖父が見つけたものだ。この星の引力に引かれて落ちて来たこれがなにか、調べてわかった。これはね、僕たちがいるこの星より一万七千光年離れた惑星から放たれた、探査機だったんだよ」  声の渦の中、彼は不思議な形のそれを撫でる。  今も流れ続ける声を耳に収めながら、ヘレンはデータを照合する。  多分、これは、歌、というものだ。  人が、自身の声帯を使って、奏でるもの。  歌に耳を奪われているヘレンをよそに、彼は淡々と説明を続けた。 「この探査機にはその星のさまざまな音声が録音された記録媒体が乗せられていた。生物の声。風の音。海、と呼ばれる巨大な水たまりの音。そして、歌」  歌、と発したときの彼の声があまりにも愛しげに聞こえ、ヘレンはふっと意識を彼に戻す。 「僕たちの星にもね、かつては歌があった。けれど僕たちの声帯は退化し、当たり前に歌えていたはずの歌を歌えなくなってしまった。まあ……仕方ないのかもしれないけれどね。母星の化石燃料が底をつき、少しでも生存確率が上がればとこの衛星に移り住んで五百年。過酷すぎる環境は人口を減らし続け、環境に適応できるよう僕たちの体さえ変化させてしまった。歌にかまけている余裕なんて僕たちにはなかったから。けれど、この探査機に積まれた歌を聴いて思ったんだ」  彼は目を細めて空気中に流れる歌に耳を澄ませる。  彼に倣い、ヘレンももう一度歌に意識を集中する。  ああ、これは女性の声、というものだ。女性が歌っている。  祈るように、歌っている。  声だけなのに、見える気がする。  歌い続ける彼女たちの姿が。手を伸ばし、空を掴み、また手を伸ばす、きらきらした感情の波が。 「歌は希望を、夢を見る力をくれる。過酷だから歌わない、じゃない。過酷だからこそ歌うべきだったんだ。だって人間は、夢を見られる生きものなのだから」  だからね、と言って彼はすうっとこちらを向く。 「勇気をくれたこの歌声を元に、人工声帯を作成し、君たちに組み込んだ。僕らの声帯は五百年前には歌えた歌も今や歌えないほどに機能が低下してしまった。わかるだろう。僕のこの掠れ声。これでは歌は歌えない」  そう言って彼は寂しげに笑う。風が行き過ぎていくようなささやかな優しさを抱く彼の声を、ヘレンは素敵だと感じていたが、歌を望む彼にとっては違うのだと悟った。 「だから……君たちに代わりに歌ってほしいと思ったんだ。僕たちの星に伝わる歌を。そしていつか……この星で生まれた君たちに、僕たちの星の歌を、この探査機を送り出した星へ届けてほしいと思った」
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