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7.さよならは言わない
それから二年後。ヘレンとアリシアを乗せて宇宙を航行するためのポットは完成した。
「あの歌を届けてくれた星、地球の座標はインプットしてある。だから安心して」
そう言って笑う彼はいつも通りの穏やかな顔をしている。これが永久の別れだというのに、悲壮さのかけらもない。
寂しくないのだろうか。
わずかに苛立ちめいたもやもやを感じてからヘレンは自身の心をなだめる。
自分たちはヒューマノイド。彼は人。自分たちが彼へ向ける思いと同じ重さを彼が持ってくれなくたって当然なのだ。
だって自分達は、人の形をしているけれど機械でしか、ない。
「うん。各部問題なし、と」
最終チェックをする彼はきびきびとポットの周りを巡っている。虚しさに胸を焼かれ、俯いたときだった。
すっと眼前に影が差した。
目を上げると、ヘレンとアリシアの前に彼が佇んでいた。その両手がゆるゆると上がる。ぎこちない手が、頭に乗せられた。
「ごめん」
耳に馴染む掠れた声で彼が呟く。掌で二人の頭を軽く揺らしながら、彼は言葉を継いだ。
「これは……楽な旅じゃない。きっといろんな困難がある。この星に落ちたあの探査機を見たろう。傷だらけだ。それくらい宇宙は危険なんだ。それなのに、僕は行けない」
声が、滲んだ。
「僕は本当になんで人なんだろうね。人でなかったら……君たちをこんな危険な旅に送り出さないで済んだのに、なんで」
ごめん、ごめん。
空気を震わせるばかりの声で繰り返しそう言い、乗せた手でなおも頭を揺さぶる。その彼の震える肩を、俯いたままこちらを見ることもできない彼の頭頂部をヘレンは、アリシアは見つめる。
陽気な顔をし続けた彼の本心が、二人にも見えた。
機械だろうと関係ない。はっきりと、わかった。
この人がずっと、自分達を大切に思っていてくれたことが痛いほど感じられた。
「マスター。私たち、歌います」
こちらを見てくれない彼に、ヘレンがそう言うと、ふっと彼の肩の震えが止まった。ゆるゆると顔を上げた彼に、ヘレンは笑いかけた。
「ポットの中からずっと歌い続けます。歌の素晴らしさをマスターへ伝えてくれた地球の方達へ。そして」
そこで言葉を切り、ヘレンは隣に立つアリシアに視線を向ける。アリシアの透き通った瞳が、ヘレンの思いを受け止めて穏やかに細められた。薄い唇に笑みを浮かべ、アリシアはヘレンの言葉を引き継いで言った。
「マスター、あなたとこの星の皆のために」
歌い続けます。
彼は二人の言葉に瞬間、声を失っていたが、やがて細い細い息を吐くと、無言で二人の頭を撫でた。
優しい手つきの中に、ありがとう、という声が聞こえた気がした。
彼とはもう、会えない。
頭を撫でてもらうことだって、もう永遠に叶わない。
でも、本当にそうだろうか。
この広い宇宙。あの探査機が彼の星へ落ちてきたことだって、とんでもない確率を越えて起こったこと。
自分たちの歌声が、遠く離れた星の誰かのものを再現して作られたものということだって、あり得ない奇跡のようなこと。
だとしたら、まだまだ奇跡は起きるかもしれない。
歌声が歌声を生んだように。
彼の命が消えるその前に、自分達は彼の声を宇宙の彼方へ伝えられるかもしれない。
自分達は人にはなれない。
けれど、彼は言った。
……君たちは、僕たちの夢を形にしてくれるために、生まれたんだよ。
と。
人ではないから。人でないからこそ、できることもある。
だから、自分達は祈りを込めて歌い続ける。
奇跡を信じて。
彼の夢を。彼の星の皆の夢を。
そして、自分達自身の夢を叶えるために。
歌い続ける。
「届くよね」
「ええ。大丈夫。マスターは私たちの声をきっと拾ってくれる。あの人は素晴らしい科学者だもの」
遠くなる彼の星を見下ろしながら、ヘレンは隣に立つアリシアの手を取る。きゅっと握り返されたその力から、アリシアも同じ想いであることが伝わってきた。
さよならは、言わない。
言わずに、自分達はただ、歌おう。
この歌が彼に届くように。
歌い続けよう。
ヘレンとアリシアは顔を見合わせると、深く一度頷いた。
そして、祈りを込めて歌い始めた。
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