伊藤多助

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   蛇の体躯をなぞったような山道を灯りが進んでいく。夜の帳から俯瞰すると、ゆったりと進んでいるように見える灯りは、実のところ四十キロメートルほどの速度を維持していた。  空寂。そこには四輪車の駆動する音だけが存在した。運転手の男、伊藤多助(いとうたすけ)は蛇の体内を走っている気分であった。  理由としては二つある。伊藤はタクシードライバーを生業としてそれなりに長いが、見知らぬ目的地に向けて、夜の深い時間、見知らぬ道を走っていること。  これが一つ。ではもう一つは? 「そろそろですなあ」  客の声に反応して、伊藤の肩が跳ねる。  ミラー越しにしか見えないが、客の見てくれはどうにも、面妖で怪奇的な、端的に言うと不気味なのだ。狸の面をした恰幅のいい男。性別に関しては声での判断だが、通常に考えて異常である。 「あ、あのう……本当にこの先に港があるんですか……?」 「ありますとも」  目的地は腹真港(ふくまこう)と呼ばれる港らしいが、辺りに海はない。加えて今は山道を上っている。しかし、カーナビはしっかりと目的地を捉えていた。  伊藤は今、茂みに揺らめく何かの蠢きが鼓膜のすぐそこで感じられるほどに、恐怖が寄り添っているのを感じていた。こういう時、五感は異常に過敏なものとなる。 「……この辺りですかね?」 「ええ、ええ。ここで大丈夫です」 『目的ぢにどう着しましだ』  同時にカーナビが告げる機械音声は、ノイズが目立った。  
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