GFC

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 私の周りは、私を構成する原子のようにまるで私に興味がない。家族も然り、友人と呼ばれる人々もそうだ。平等を装って声をかけてくる。微笑みかけてくる。コンパに誘われる。彼氏がいないから可哀想とそれだけの理由でだ。  うまく説明はできないが、言い訳ではなく私は彼氏を必要としていない。過去には該当する存在はいたが、みな空っぽの私を知って離れていってしまった。今後もそうなるなら彼氏も友人も必要ない。私は『孤立系』にいたい。  3限の物理では『系』という理論を学んだ。  開放系、閉鎖系と、孤立系の三つの系があり、それぞれに物質、エネルギーの交換のあるなしがある。その説明に講師はある喩えを使った。 「パリピのような社交的なテニス部が開放系で、閉鎖系が卓球部、大学に出てこないのが孤立系だ」  人気のある講師でそこそこの笑いを取っていた。そこかしこで、「わかりやすーい」と声が聴こえてきた。くだらないと小さく舌打ちをしたら横に座った閉鎖系っぽい学生にちらりと見られた。  同じ学部の同じ講義にいても、系は存在する。ある系は隣合わせに、また、ある系は前後に並んであった。 「この中でもややこしいのが孤立系だな。物質や、エネルギーすら外界と交換しない」  孤立系とは何物にも影響を与えず受けつけない。それはまるで、夜の海に浮かんだ孤島だ。さざ波すら届かない静かな空間のようだ。そこにいられるのなら彼氏も友人もいらない。  誰に会う予定もないのに、ドレッサー兼勉強机の椅子に跨り鏡を立てた。下地を塗り直し、化粧箱から適当に見繕ったアイシャドウを塗り直して簡素な準備を終えた。  いや、誰かには会うか。  そう頭に浮かんだ頃にはGFCのロング缶をもう一本飲み終え赤のリップを塗った。  ゆらゆら川沿いを下っていけば寂れた繁華街につく。何もないが無干渉でいて寡黙な喧騒がある。この空気は嫌いではない。  家族連れが少ない過疎地ゆえに子どもの喧騒は少ない。昔からガキは嫌いだ。うるさいし扱いに困る。  水槽の熱帯魚みたいにネオンを泳ぎ、煙草に火を点ける。キャンペーンガールのお姉さんがエロい体をして煙草とストロングを配っていた。早足で歩み寄ってそれを受け取った。震える指先で缶をあける。  こういう時、付け爪をしていないのは助かる。すぐに缶酎ハイが開けられるからだ。味はレモンでGFCではなかったが、このタイミングで飲めるとは思っていなかったので満足だ。今夜の憂鬱も睡眠薬といっしょにアルコールで流し込んでしまおうか。 「レモンなら薬を飲んでも、フラノクマリンに肝臓酵素が阻害される恐れは少ないんだっけ」  一人ごちり、飲み口をまた汚い指先で拭って口づける。  事務所についてすぐオーナーに申し訳なさそうに声をかけられた。待機部屋には私以外にも女の子がいて、誰も目を合わそうとしなかった。 「ミリちゃん。あの人から予約入ってんだけど」 「あぁ。承知です」  別に申し訳なくされる筋合いはない。終わった後に強いアルコールを流し込んで、指を喉奥に突っ込み吐き出せば気分は晴れる。大抵のことはそうやってリセットできる。子供の頃やったゲーム機と同じ。人生は割とイージーだ。 「若い子は異常者に好かれて大変だねぇ」  同僚のユキさんが片方の唇を引き上げて笑う。まるで、片麻痺のような笑い方がよく似合う人だ。 「ユキさん。そういうこと言わない。ね?よろしくね」  この顔のやたらでかいオーナーも申し訳なさそうなフリが下手だ。本当は働く女のことをコマみたいに思っている。バックについている角刈りのださいヤーさんとそんな話をしていることを聞いたことがある。  底辺を扱う男どももやはり底辺だ。  底辺カケル底辺では正方形の面積くらいしか導き出せない。だが、四辺が揃うような正方形の正しさなんてここにはない。そうやってやっぱりここには何もない。  送迎の車の中でイヤホンのノエル様の歌声に堕ちる。クソみたいな性格で弟だかお兄さんだか忘れたが割に歌詞は優しかった。そんな乖離性が好きだった。  比べて大学の男どもはノエル様に比べて圧倒的に浅はかだった。表面だけが剥離されたカステラの砂糖紙のようだ。寄せ集まった甘ちゃんが人生を謳歌しようとしている。  くだらない。みんな死んだらいい。  狭く開けた車窓の隙間から煙が逃げていく先っちょを灰皿に押しつぶし、着いたマンションの部屋番号を押した。俯いて顔が判別できる程度の顔を晒す。どうぞー。と下卑た笑みが浮かぶ。金を持った汚い豚のサディストだ。  体はもういらないから。乗っ取って。  客といるとそういう感情に陥る。不思議と笑顔が作れるのは何かに乗っ取られているからだ。私という入れ物にWifiみたいに飛んでいる違う人格が入り込んで、客の望む女になる。だから指名も入るし、店のルールギリギリのサディスティックなプレイをされても文句も言わない。  オーナーは申し訳なさそうな顔だけして、本音は使えるだけ使って消耗したら私を切り捨てる心算だ。 「ミリです。また呼んでくれたんですね」  豚野郎は、どうぞ。と口角を上げた。今夜は二時間コースらしい。SMのオプション付きで八万六千円の夜。
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