殺人計画

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殺人計画

 ホテル・オリーブに五人の女の子が集められた。同室に五人集める変態的な要素もなく、ただ出張の余興として楽しむために女の子を呼んだであろうことがわかる。  よくある話だ。  私はただ酔いの回った出張の思い出の一片でしかない。本日七本目のストロングを開けた。  最近は意識が朦朧とする状態と冷静の狭間でしかこのバイトをこなせない。日に日に酒量は増え、今夜は特にひどい。それでも、まだ飲み足りない。吐いても吐いてもまた飲む。飲んでも顔に出ない体質に恵まれたお陰でまだ客にバレずに仕事ができているが、睡眠薬を今すぐ飲んでしまいたいという願望にも駆られる。急に吐き気を催して飲んだストロングを出してしまった。袖で拭い、またストロングでうがいをした。  ホテル自体が風俗店と契約しており、女の子が訪問しやすい作りになっている。受付で店の名前を言うと、愛想の悪いおばちゃんが部屋番号をぼそりと教えてくれる。目隠しの奥に熱帯魚の水槽が青白く光っていてまるで霊安室のようだ。  エレベーターで上がっている間、いつ止まってもおかしくない緩く遅いスピードが気持ち悪い。ヤニの匂いと色が染み付いた壁にはいつも吐き気がする。この街ではこんな汚いホテルでも数少ない娯楽場なのだ。  該当する部屋の前に着くと、インターホンを押すのではなく、ノックをするしきたりになっている。なぜなのかは知らない。ならって従う。 「はい。どうぞ」  扉が空いた瞬間は、大抵の客は私の顔を見る。届いた実物を確かめるかのように舐め回す。目が合うのが嫌で俯くが相手が何を求めているのかその時の目線でわかる。胸なのか、顔なのか、はたまたSなのか、Mなのか。  だが今日の客は扉を開けると旧知の友人を招き入れるように顔も見ずに扉だけ押し開けて、戻っていった。拍子抜けするほどあっさりしていた。 「失礼します」  いそいそとビニール袋をひっくり返している背中はどこか哀愁が漂い、紺のスーツパンツと薄いストライプのシャツの線の細さがやけに印象的だった。立ち尽くしていると、男は突然振り返り、笑顔を向けた。 「はい。これ、良かったらどうぞ。チューハイ買っといたんだ。二十四時間のスーパーあってさ、安かったからお姉さんの分も買っといた」 「えっ。私の分まで買っといてくれたんですか」  あっさりとした顔立ちで、ケンゴ君のようなわかりやすくイケメンとは言えないが、端正な綺麗な顔をしていた。 「そうそう。こんな事もあろうかと買っといたから安く奢れるの。いいでしょ」  若い頃は童顔と言われてきたのだろう。無邪気な微笑みが幼さの面影を過らせた。笑みが消えると浮き彫りになる風格が、あぶらの乗った三十代中盤の男の色気を醸し出した。 「めちゃ嬉しいです。ありがとうございます」  小さいグラスからこぼれ落ちるみたいに言葉が溢れた。こういうタイプにはこういう女の子が好かれる。そんな計算もなく素直に感情を表に出した。表情筋は意図せず伝達通りの表情をさせた。  まさかこのホテルが古過ぎて、Wifiが入ってこないせいか。私は私のまま、何者にも乗っ取られず鎮座している。客の求めるものも考えず、だらしなくついでの施しに心からの感謝を口から溢している。  私はこんな安い女だったろうか。  金持ちの太客にネックレスを渡されるよりも、こんな些細な気遣いを嬉しく感じるのか。ついでなのも間違いないにしても、まさかのGFC缶だ。 「そんなに喜ばれるとは思ってなかったから、逆に嬉しいよ。君名前は?」 「ミリです。飲んでもいいですか?」 「お、いける口なんだね。どうぞー。乾杯」  宙を切る乾杯の後、一口で半分飲み干してから客の顔を見た。喉はもう痛まなかった。  私は化粧台の椅子に座り、客はベッドに腰を下ろして美味そうにチューハイを飲んでいた。喉を鳴らしているその客を何かに似ていると思った。  そうだ。子供の頃、母に連れて行ってもらった水族館のアシカに似ていた。 「なんでミリなの?」  一拍遅れて返答する。 「一ミリ、ニミリってくらいくだらないからです」  これを言うと大抵のお客は金を払ってまで女の自虐のフォローをしたくないと苦虫を噛み潰したような顔をする。だがこの男はあっけらかんと笑った。 「それなら、俺はマイクロだ。誰の役にも立たない社会の歯車。小さなマイクロレベルの歯車だ。摩耗されても顕微鏡レベルの傷で、誰にも気付かれない大量生産の代替品。君、本名は?」 「梨花です」 「そう。俺は足立」  思わず答えてしまう。  普段なら危なくて本名なんて絶対答えない。受容された気がしたからだと思う。言葉の語彙が好みだった。心の警戒のタガが外れているのが不思議でなぜか心地よかった。  こんな風に友達に招かれて、飲み物を用意されるような小さな喜びを私は求めていたのだろうか。昼の世界では同じようなもてなしを受けても白けるだろう。日の当たらない夜の風の世界だからこそ、当たり前の優しさが、対等に扱われたことが胸に沁みた。 「足立さん。今日は出張ですか」 「そうそう。嫌な上司と一ヶ月も。この時代にそぐわぬ体育会系のノリを引きずったパワハラ体制でね。言うことむちゃくちゃなんだから」  その言い方に嫌味がない。本当に大変なのかもしれないが、話し口調が柔らかくて、微笑んで聴いていてもいい話なのだとわかる。  コロナワクチンの副反応で三十八度五分の熱が出たのに、休んだら根性がないと怒られた話はさすがに吹き出した。朝には三十七度二分には確かに解熱していたんだけど、というオチがまたいい。洗練されたブラックジョークが印象的で、磨かれた加工物のような都会的な洗練さが眩しかった。 「こっちの夏はどうですか?」 「思ったより暑いな。けど、心地いい風が吹くね。肌がキュッと締まる感じ」 「あいの風っていって、夏の夜でも体感涼しく感じるんです。東京からきた人はみんないいます」 「あれ。何で東京からきたの知ってるの」 「こっちじゃあ、そんな光沢のあるスーツ着てる人いません」  そういうスーツ自体はいくらでも売っているが着こなしている人は大体東京の人だ。足立さんは感心したように破顔した。 「梨花ちゃん、頭いいんだろ。本読む?」 「読みますよ。小説ばっかりですけど」 「俺もそう。どんなの読むの」  話を聞くと足立さんはどうやら相当の読書家のようだ。ミステリー小説の大ファンで多数の本を読んでいるそうだ。話し方から子供の頃不必要な苦労をしていない人特有の品の良さや、育まれてきた教養が感じられた。  好む本の種類は私とはまるで違ったけれど、挙げられた全ての作家を本屋でチェックしようと思った。唯一読んでみたいと積み本していたコナン・ドイルの『シャーロックホームズ』の名前が挙がった時は思わず手を叩いた。小川糸、金原ひとみ、辻村美月の次くらいに積まれていたはずだ。テーマも毒性も好みだった。今までミステリー小説に手を出してこなかったことを悔いた。 「にしても、若いのに本を読むって珍しいな。だから、言葉の端々にウィットが富んでるんだな」 「ウィットってどういう意味なんですか」 「さぁ。言われてみればなんだろな」  吹き出して腹を抱えて笑った。包み隠さず、感情を出せたことが久しぶりでなぜか泣けてきた。  感情のエネルギーや、言葉が流れ込んでくる。『孤立系』にいたはずの私が足立さんから影響を与えられている。揺れる酔いが脳を乗っ取り始め、無駄な力が抜けた。笑い泣きに見えるように表情を微調整して、足立さんがくだらないことを言うことを期待していた。嬢の存在を否定するような言葉だ。懐疑的な感情はこの仕事をし始めていつの間にか身につけていた。 「時間そろそろ、始めないと」  ベッドに座る足立さんの横に腰掛けた。 「あぁ。けど、俺結婚してるからさ」  ああ、こっちか。  結婚してるからどうだと言うのだ。私たちの存在を倫理観で蹂躙し、当たり前のように金だけを払っていく。可哀想という正義感で私たちの仕事を全否定する。家族が可哀想、体を売る君だ。  私たちは可哀想でもこの作業が仕事なのだ。マイクロがミリの同情など本末転倒である。  じゃあ、来るな。じゃあ、金を払うな。  パワハラの上司に逆らってでも嫁を裏切るな。  少なからず体を求められることに私は自己肯定感を覚えている。  左手の薬指には指輪の跡が残っている。普段はずっと、結婚指輪をつけているのだろう。夜の嬢にも気を遣い、東京で待つ嫁にも気遣いしている結果がこれだ。誰も守れない、中途半端な感情論の結果がこれだ。一瞬でも足立さんに惹かれた自分を戒め、同時に安堵した。 「別にまかせますよ」  一夜だけの儚い関係性だ。足立さんのしたいようにしたらいい。日の光の世界に一瞬、気迷いした自分を誤魔化すようにぶっきらぼうな態度で言った。 「いや。けどさ」  私は、ん?と首を傾けつつ体を寄せた。胸の谷間が寄って足立さんの視線がそこに向いたのがわかった。 「んー。性欲には勝てないよね」  少年っぽいのに洗練されている。  多角的な気遣いができるのに、性欲には素直という乖離性に妙に興奮した。一旦の間を置いて頷きライトを暗くした。
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