殺人計画

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 ことが終わると、足立さんは体をベッドに投げ出した。大きなため息をついたので、満足させられなかったのだろうかと急に不安になった。  設定したアラームはまだ鳴らない。  沈黙の中、少女のように言葉を待った。一息ついて足立さんが渇いた声で呟いた。 「いやーあの課長死んでくんないかな」 「今日いる人?」  そうそう。と上半身裸で、胸毛が露わになった足立さんが言った。  強い言葉に一瞬動揺した。  私は思いつく言葉を口にした。 「たぶん、今日ブスな子が当たってショック死してるよ」 「ならいいけどさ」  顔を覗き見ると足立さんは別人のように冷たく表情を変えていた。震えるほど部屋の温度を冷たく感じた。 「そんなに嫌いなの」 「振替休みを取らしてくれないんだよ。有給ならまだしも振替だよ。おかしくない?」 「それはおかしいですね」  私は同調した。  おかしなことには首を傾げて相手の気持ちに同調する。学校でも習わないが当たり前の儀式みたいなものだ。こうやって同調する術を持って生きてきたような気がする。  昼の世界でそれをしなくなったのは夜の世界に足を突っ込んでからだ。気を遣ってお金をもらえることを覚えて、空気を読んだり誰かに機嫌取りをしたりすることが馬鹿らしくなった。大学で嫌われることなんて怖くなくなった。  ただ夜では、いまだに嫌われることがこわい。相手の真意が気になる。どんな行為でも客が求めれば受け入れてしまう。突然冷たくなった足立さんの態度が怖かった。 「一ヶ月もあのくそ課長といっしょなんて気が滅入るよ」 「私が殺しましょうか?」  沈黙を飲み込むように足立さんは喉を鳴らした。 「なんだって」 「いや、だから……」  そう言いかけて、おかしなことを口走っていることに自分でも気がついた。それでも止められなかった。 「毒殺なら研究室の雑な管理の薬でいけますけど。爆弾も基礎知識があるのでネットで調べればすぐ作れますよ」 「もしかして、梨花ちゃん。薬学生なのか」  体を起こした足立さんの表情が引いているのがわかる。  往々にしてそうだ。昼の光の世界で生きている人間は責任を問われそうな話を拒絶する。それでも言いたくなった。私にできることはそれしか思いつかなかったからだ。嫌われたくないがために殺人予告までするなんてどうかしてる。 「筋弛緩させて、睡眠薬も混ぜて意識混濁させてから、呼吸抑制。動機もわからない、出どころもわからない調合なら警察も戸惑うと思います。足立さんは飄々としてれば大丈夫」 「そんなうまくいくかな。それにダメだよ。人殺しなんて」 「誰が決めたんですか」 「何を?」 「人殺しがだめなんて」 「法律で決まっているだろう」 「そのエビデンスは?」  足立さんはアゴに手を当てて宙を見上げた。我ながら面倒なことを言ってしまっていることに申し訳なくなる。 「取り返しがつかないからかな。一度殺してしまえばその行為に再現性はない。つまり、後戻しできない。それに悲しむ人たちがいる」  論理的思考で返してくるその言葉たちは説得力があり、乾いた私の思考に染み渡った。理論に感情も伴うその洗練された返答に脱帽させられた。私はもっと足立さんとの言葉の応酬がしたくなってけしかけた。 「同じくらいその人の死で喜ぶ人がいたら?」 「課長の死くらいで喜ぶひとたちは、他の何かで喜びを代用できる」 「じゃあ再現性ってなに。地球が公転して同じ周期で月の満ち欠けがあるみたいな?」 「ああ。いいたとえだね。けど、月の満ち欠けも同じ再現性はないからね。地球は自転もしてる」  どこまでいっても受容してくれる足立さんの優しさと語彙の魅力が残酷で私は甘えてしまう。もっと引き出して、足立さんの読解力に溶け込みたい。  ケンゴ君ならなんでも、そうだねと受け入れてくれるだろう。同じ水槽で生きている水を濁らす藻を食うエビと、熱帯魚みたいな関係性も楽でいい。ケンゴ君は大学の男連中とは違い、下心なく私に接してくれる。こんな仕事をしていることもわかった上で対等に接して、かつ体も求めてこない。純粋な気持ちを向けてくれる。ただ、本を多く読む性分か、多少の学歴か、自分と同じ仕様を求めてしまう。 「ありがとう」  足立さんが微笑みそう言った。私は気付けば泣いていた。 「殺すって言ってくれて」 「そんなの冗談ですよ」  私は強がってシーツに顔を埋めた。本当は本気でそうしろと言われたらやっていた。それくらい何かに依存して楽になりたかった。このタイミングで足立さんのようなまともな人に出会ってしまったことを呪った。一夜の足立さんとの出会いが終わればまた、私はくだらない日常に戻り、日の光には馴染めず、夜では他人を求め自分を磨耗する。いっそのこと、誰かといっしょに違う場所へ堕ちていきたかった。 「ミステリーの犯人は薬学出身ってオチ、定石だもんな。先の話だけど入手や調合はできてもどうやって飲ませるかが問題だよ。血液検査されたら一発でわかるし、証拠が残り過ぎる。警察は異変の片鱗から辿ってくるよ」  急に足立さんが顎に手を当ててフィクションのトリックとして思案し始めた。私に合わせてくれているのか。 「爆弾も誰かを巻き込んじゃったら駄目だしね。一人を狙い打ちするには向いてない」 「じゃあ、シアンは?青酸カリ」 「そんなのも手にできるの?」 「研究室の奥の棚にありましたよ」 「さすがにそれは管理されてるだろう。それに青酸カリは匂いで勘付かれるし、移動の間のちょっとした刺激で中和されちゃうってなんかで読んだよ」 「本当によくご存知ですね。私なら適正に管理、移動できますけど?まあ、持ち出すと足はつきますね」  十分前に設定したアラームが鳴り響いた。異常事態みたいな機械音を自分の手で止めた。 「終わり?」 「十分前です」 「楽しかったのにな。時の流れははやいね」 「この殺人計画じっくり考えません?」 「あと十分じゃ無理だよ」 「あと一ヶ月あります」 「出張はね。けど、そんな毎日梨花ちゃんを呼べるほどお金持ちじゃないよ」 「私、プライベートでいいですよ。お金もいりません。私も楽しいし」 「そう?」  足立さんはそういうとラインの交換を申し出てくれた。私は思わず俯いて表情を隠した。プライベートで会うなんて今までしたことがないので、断られるのが怖かったのだ。QRコードを読み取ってはじめて、『系』が外界のエネルギーに触れた気がした。
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