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雪夜は幼い頃から美しい少年だった。その名の示す通りに雪のように白い肌を持ち、強い日のもとでは消えてしまいそうな儚さを纏っている。
その美しさは成長しても衰えることなく、それどころか増していくばかりで誰も彼もを魅了した。
中学・高校の頃もそうだったが、大学生にもなると雪夜を狙うおかしな人間はますます増えた。正面から「好きです」と告白してくるような女子ならまだいい。雪夜を狙うのは、たいていがそういうまともな人間ではなかった。
バイト先を調べて素知らぬ顔で仕事仲間になってロッカーを漁る女。帰り道を付けてくる同級生。電車の同じ車両で雪夜の顔をじっとりと見つめ続けてくるサラリーマン。
雪夜はそういう人間に好まれやすかった。
そういった人間を見付けるたびに、友達である俺が諫めに行ったり警察に突き出したりしていた。
「いつもごめん、亮太」
雪夜はその度に謝った。
「雪夜は悪くないだろう。気持ちを押し付けてくるばかりの奴が多すぎる」
感情の示しかたが異常な者もあまりに多かった。
いつも周囲に目を光らせているつもりだったが、俺の目の届かないところでも雪夜は狙われていたのだろう。
ある夏の夜、雪夜の部屋を尋ねるとそこに血だまりが出来ているのを見つけた。近くに血まみれの包丁も転がっている。
部屋の電気は付いたまま、けれど家主である雪夜の姿だけがない。
「雪夜……?」
呼びかけは応えを期待してのものではない。お前がやったのか? という心の問いかけが外に漏れてしまったものだ。
雪夜は今日は夕方には帰宅していたはずだ。取っている講義が違うから、ともに帰ることができないこともよくある。その度に背後には気を付けろと言っていた。
心配性だな、と苦笑するのにも過保護だな、と機嫌を悪くするのにも無視をして、いつも「とにかく気を付けろ」と言い続けていた。
「……言わんこっちゃない」
夕方に後を付けるのは目立ってしまっていかに変質者といえども難しいだろう。おそらくは、いつの間にかこの部屋に忍び込んでいた輩がいたのだ。
帰宅した雪夜は、そいつに出くわしてしまった。――たぶん、だが。
俺は汗を拭くために首にかけていたタオルで床に広がったままの血を拭いた。何度もタオルを水ですすぎ、血を拭きつづけて床を綺麗にしていく。
「これはもう使えないな」
血にまみれた包丁を拾い上げ、これも同じように綺麗にしていく。
恐怖し慌てた雪夜が手にした武器は包丁。相手を刺し殺してしまった恐怖でそれを床に落とし、その存在も血だまりが残っていることも失念し、ただ死体をどうにかしなければと思ったのだろう。
「だいじょうぶだ、雪夜」
きっと今頃泣きながら死体を処理しているだろう親友に向けて、届かない声を送る。
「だいじょうぶだ。泣くな」
木目の床の継ぎ目にまで入り込んだ血はすべて拭い去った。この包丁も、俺が持ち帰る。何か疑われてアリバイを訊かれるようなことがあっても、俺が全部ごまかしてやる。
『その日は雪夜の部屋を尋ねましたけど、血なんて一滴も見当たりませんでしたよ?』
雪夜のためなら、警察相手にだってどんな嘘もつける。
お前の人生に一点の汚れもつくことはない。
黒い汚れはお前に似合わない。
「……ちゃんと、俺が守るから」
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