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 妄想が暴走しすぎているのかもしれない。そもそもお兄ちゃんが失恋したなんて私の勝手な想像だ。だから、ちょっと確かめてみようと思って。  特別いじわるがしたかったわけじゃない。ほんの出来心で、だけどあまりにも浅はかだったと、私は苦い気持ちでテーブルを見つめる。  義妹の宣言どおり、お兄ちゃんはカフェに顔を出してくれた。梅雨の合間の薄曇りの日だった。  格子窓の向こうを通り過ぎかけた人影が、目印の赤いポストに吸い寄せられるように扉を開けた。軽く響く鈴の音。喜んで駆け寄る義妹。戸惑いと、喜びと、それから悲哀が綯交(ないま)ぜになったような彼の表情。  それを私に向けて欲しいなんて欲張りかしら?  うちの店は飲み物を注文してもらったら本を貸し出すシステムだ。階段下を利用して本棚が作りつけてあり、両親が二階の古書店から選んだ本を並べてくれている。義妹から説明を受けたお兄ちゃんは、コーヒーを一杯注文してから席を立った。その間に私は注文のコーヒーと家から焼いてきたケーキを運んだ。 「そのまま座ってていいわよ」  腰を上げかけた義妹を片手で制す。どうせこの店は、席に着いたらじっくり読書に耽る常連ばかりで暇なのだ。私一人で大方は事足りる。帰り際に彼の選んだ本が目に入った。 「転校生」  それは幼気な男の子が都会から来た女の子に掻き回される物語だ。きっと、お兄ちゃんも無邪気な従妹に散々振り回されたことだろう。  なんとも自虐的なチョイスにくすりと笑みが漏れてしまう。それを見咎められた。お兄ちゃんはちらりとこちらを見て、だけど取り立てて何か言うでもなくテーブルに戻った。  私が用意したのはチョコレートのロールケーキだ。たっぷりとマカダミアナッツを飾ってある。新婚旅行の幸せな余韻に義妹は手を打って喜んだ。私に見せた反応そのままに、あの子はお兄ちゃんにロールケーキを勧めている。  窓から差し込む淡い光が窓枠の影を刷いて、お兄ちゃんの表情は読み難い。あの日のように翳っただろうか。それとも私の意図を察して怒っただろうか。  ぽつりと、水滴が窓を打った。ひとつふたつ筋を描いたと思ったらあっという間に本降りになって、淡く隠れていた気持ちを暴き出す。  お兄ちゃんは優しい顔で笑っていた。義妹に何か言われて言葉を返している。それからロールケーキにフォークを入れて、ひと口食べてからまた笑った。  それが哀しく見えるのは光の加減なのかもしれない。窓の外が暗くなったせいで、店の人工的な明かりが彼の頬を照らしている。笑っているのに、穏やかなのに、どこかしら固く強張って見えるのは、私の心の加減なのかもしれない。  つまらない策を弄してもお兄ちゃんの心の内なんて分からなかった。代わりに、知らなくてもよかったものが曝される。  愛おしい、と。  思ってしまった。
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