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私のロールケーキはお兄ちゃんに気に入られなかったと思う。会計のときに丁寧にお礼は言われたけれど、ほんの一瞬、探るような目も向けられた。嫌われたかな、って少し心が沈んだ。
だからもう来ないのだと思ったのに。
お兄ちゃんは、あれからも足繁く通って来る。私はともかく、店のことは大いに気に入ってくれたらしい。義妹がいないときにもやって来て、奥のソファ席でゆったりと過ごしている。二階の古書店にもよく上がっていくので、いつの間にか両親とも仲良しになっていた。
私は、いつもコーヒーに何かしらを添えて彼に運んだ。それは小さなクッキーだったり絞って焼いたメレンゲだったり、ちょっとしたものだ。
お店からのサービスに見えるように出しているので彼は気に留めていないかもしれないけれど、いろいろなものを作って出したから彼の好みが少し分かってきた。彼の定位置は奥まっていて見え辛いけれど、完全に隠れているわけじゃない。それに、私は努めて彼の反応を観察しているから。
初めのは失敗だったけれど、チョコレートが好き。リベンジで作った普通のチョコレートケーキは喜んで食べてた。
シナモンとミントはあんまり得意じゃない。
抹茶やあんこを使った和菓子も結構いける。
甘党。
洋酒を効かせたものも平気そうだったから、お酒も好きなのかも。
嫌いなものが出てもちゃんと食べてくれる。トレーを置きながら私が微笑むと、笑みを返してくれる。
私のことが嫌いなくせに、お兄ちゃんはとても優しい。最初の失敗をどうやったら挽回できるだろうか。怒ってくれないから謝ることもできないし、無かったことにして振る舞えるほど私は図太くもない。あんなことしなきゃよかったと悔やんでも後の祭りだ。
出会った梅雨が明けて、夏のお日様が明るく照りつける。もう少ししたらジリジリと痛いくらいの日差しになるだろう。
「イカロスはどうして太陽を目指したのかしら」
ギリシャ神話の絵本を捲りながらぼんやりと呟きが漏れる。
「きっと堕ちるって分かっていたのに」
たとえ膠が溶けなくても、太陽の熱は何もかも焼き尽くしてしまう。分かっていたのに、どうして。
「僕なら飛びませんね」
答えを求めない自問に思わぬ反応があった。顔を上げると、ちょうど本を返すところだったらしいお兄ちゃんが隣に立っている。こちらを見る目が少し冷たくて、ああまた嫌な思いをさせちゃったんだな、と悟る。
「なぜ?」
悟ったのだから止めればいいのに、馬鹿な私は訊いてしまう。だって。
「我が身がかわいいですから」
答える彼の声は素っ気ない。
私だって、我が身はかわいい。傷つきたくないし、相手に嫌われるのも怖い。だけど。
「意気地なしね」
お兄ちゃんは肩を竦めた。
「コーヒーのおかわりをいただけますか?」
そう言って席に戻り、鞄から文庫本を取り出して目を落とす。それきり私になんて目もくれない。冷ややかなその姿は太陽とは程遠い。
堕ちると分かっているのに。
コーヒーを運ぶと、彼は少しだけ視線を上げた。私を見て、コーヒーに添えたブラウニーを見て、もう一度私を見る。少し物問いたげだけれど、ひとつ瞬きをしただけだった。
「ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞ」
結局、私も意気地なしだ。イカロスみたいに地を蹴る勇気は無い。
だけど。
イカロスの気持ちも分かる。
望みなんて無いと知っているのに。
手を伸ばしたくて、
欲しくて。
どうしようもないのだ。
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