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 街は少しずつ復興していた。  火災の原因が放火だったことを、まだマスコミも政府も発表していない。それでも復興予算の膨大さに、大人たちの意見は割れていた。  六華は彼女の父と再会した。  その場に俺もいたのだけれど、六華の父、本郷ユスフは、彼女を前にして号泣した。すべて自分が悪かったと、金は口座に戻したから、どうか許してほしいと何度も大声で言った、らしい(パシュトゥン語だったから六華の説明で知ったことだ)。  ユスフが演技をしていたようには見えなかった。  だが、人間としての素朴さと野蛮さが、一つの身体に同居しているのは珍しいことではない。  六華は父を許した。  だが、ユスフが早々に購入した新居には、もどらないとはっきりと告げた。  母の遺産でアパートを借りて、一人暮らしをする。  そう決めていたのだった。    六華はユスフに俺を紹介した。  パシュトゥン語だったから何を言ったかはわからない。  一切の表情を失った数十秒のあとで、ユスフは突然満面の笑みを浮かべ、俺の手を握り、ぶんぶんと上下させながら、パシュトゥン語でなにかまくし立て、最後に俺をハグした。  強い香辛料の香りに、ちょっと気分が悪くなった。  だがやはり、悪い人間には見えなかった。  六華が、俺の母をいい人と認識しているように。  そういうものなのだろう。  他人として出会えば、案外うまくやっていける人たちかもしれないのだ。  家族としては最悪の相手だったとしても。    そう気づいて、長い間胸の中でゆらいでいたものが、すとんとあるべきところに落ちついた気がした。  六華の表現を借りるなら、穴ぐらの外の広い世界が、遠く高く澄み渡った空が、初めて見えた気がしたのだ。    家族の回復なんていうのは絵空事だ。  誰も彼もがそんな映画みたいなハッピーエンドを迎えられるわけではない。  首のあざが消えても、俺は母に殺されかけたことを忘れることはできない。それを愛情のゆえなどと都合よく解釈することもできない。  でも、それでいいのだ。人生はそれがすべてではない。  胸痛も、突然の嘔吐感も、完全に消えることはないだろう。そういうものと一緒に、振り向くだけで痛みが走るような記憶と一緒に、俺はこれからも生きていくのだ。  六華とともに。         
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