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それから、どれくらいそうしていたか。
俺が落ち着くまで、本郷は辛抱強く待っていた。
こういうときどうすればいいか、彼女はちゃんと理解していた。
余計なことを言わず、ただ黙ってそばにいる。
少なくとも俺は、そうしてくれる誰かを欲していた。そういう自分に気づいたのも、このときが初めてだったけれど。
「ありがとう……ごめん……でも、もう大丈夫だ」
やがて俺がそう言うと、本郷はサングラスをした顔でそっぽを向いた。
その状態のまま、
「私は医者になりたいんだ」
唐突にそう言った。
「え?」
「馬鹿げてるだろ。パシュトゥン人なんてチンピラみたいなもんだ。大人になってもあの町から出ない。日本語の読み書きも、パシュトゥン語もろくにできず、国やNPOの支援だよりの生活をしてるのに感謝もせず、文句ばかり言いながら生きて、仲間内で殺しあうか、薬物中毒で、四十歳ぐらいで死んでいく。チンピラですらないな。私たちは何なんだろうと思うよ」
本郷はゆっくりと、何度も何度もつっかえながら話し出した。それがすこしずつ激しく、早口になっていった。
俺は口を挟めなかった。自分自身の中に見慣れた感情、自責と恥の感覚が、そこにありありと現れていたからだ。
「私たちは豚だ。地面を這いずり、一日中下を向いて泥の中に鼻を突っ込んで、美味そうな匂いのするものを探して一生を終える。視線を向ければ、上には澄んだ青空や月や星たちが輝いているのに、そんなこと気づきもしない。だから私は、パシュトゥン人に呼びかけたいんだ。『顔を上げろ。世界は美しいんだ』と」
「だから、医者か」
「理由の一つだ」
「それが、本郷のやりたいことか」
「そう言い切ってしまうのはちょっと違うんだけどな。すべては話せない。話したくないんじゃない。話せないんだ」
「ありがとう」
「何が?」
「今日してくれたことすべてに、かな」
「よしな、くだらない」
本郷は即座にそう言った。オレンジジュースの入っていたグラスの中で、溶け始めた氷が澄んだ音をたてた。
周囲の席では、カップルや家族連れが、人生には問題など何一つない、みたいな顔で楽しげに談笑している。俺たちの世界だけが隔絶している。
そう感じた。
「私は牟田の秘密を知った。だから自分の秘密を今話した。これで貸し借りはない。ただ、それだけのこと」
最後に彼女は、そう言った。
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