2/5
前へ
/40ページ
次へ
 正確に何が起こったかは、結局のところわからない。  証拠も証人も残らなかったからだ。  後日、事件に関する断片的な情報をつなぎあわせる動画を見た。その理解によれば、きっかけは越谷のスーパーマーケットでの、パシュトゥン人どうしの口論だったという。  家族連れと若者数人の言い争い。それぞれが仲間を呼び、数十人の集団どうしの乱闘になり、かけつけた警官が襲われ、銃をを奪われ、喧嘩は暴動になった。  いつどのように火災が始まったのかはわからない。放火ではないかと動画では言っていたが、はっきりとした証拠はない。  路上に放置されたごみに引火し、火災は瞬く間に燃え広がり、パニックとなった人々が逃げまどい、パシュトゥン人居住区を越えて混沌は拡大した。  火は荒川を越えることはなかったが、埼玉県南東部は焼き尽くされ、足立区の一部も炎に包まれた。  一説には、死者は推定六千人。阪神淡路大震災に匹敵する、歴史的災害となった。        
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加