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 私の母は日本人です。  父は、20年ほどまえにキルギスタンのパスポートで入国しました。  それが本物かどうか、どのように難民申請したのかわかりません。父が本当のことを言うとは思いません。  おそらく父は、難民申請を繰り返しながら時間をかせぎ、先に来たパシュトゥン人の手を借りて蕨市にアパートを借り、仕事を見つけ、母と結婚したのでしょう。  父と母の関係がどういうものだったのか。愛情なのか、利害なのか、暴行と脅迫であったのかもしれませんが、いずれにしろ私は知りません。  もう少し長く母が生きていれば、尋ねる機会があったのでしょうけど。    母はまっとうな人でした。人口の半数が不法難民のあの町で、母は私を日本人らしく育てようとしました。  日本人らしく生きるように、生きられるように、私の名前でアカウントをつくり、暗号資産と米ドルの投資を行ってくれていたのです。  運もよかったのでしょう、最後に確認したとき、それは日本円にして数百万円に届く額になっていました。  父は建築労働者のブローカーです。日雇い仕事のパシュトゥン人を束ね、どの建築現場にどれだけの人数を派遣するか決める、そういう仕事をしています。  父が気に入らなければ、パシュトゥンの労働者を一人も送らない、そういう判断もできます。今あの業界は、パシュトゥン人がいなければ回りません。だから父を喜ばせようと、どの建築会社も父に金を握らせます。金ならばまだいいほうです。もっと汚いものも、父は喜んでうけとります。  でも、この私が生きてきたのも、父のその汚れた金のおかげなのです。母の残した資産のいくらかにも、汚れた金は含まれているのだと思います。  私はそれがとても悔しい。  とても恥ずかしいんです。
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