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私が十二歳のとき、母と兄が交通事故にあいました。
蕨市の病院は、パシュトゥン人には厳しい対応をしています。請求された医療費を踏み倒すことが多かったからです。
母も兄も、日本国籍を持っています。特に問題はないはずでした。
でも、支払われるはずだった家族の保険料を、父が滞納していたことが明らかになったのです。
病院にその点を指摘されても父は悪びれもせず、これは人種差別だと騒ぎ立てました。
怪我の手術が終わった時点で病院は対応を放棄し、新たな受け入れ先を見つけるか、十割の医療費を支払うか、どちらかを選ぶよう父に通告しました。
そして、父は何もしませんでした。
母は死に、兄は歩けるようになってすぐ、家を出ていきました。一度だけ私に連絡が来ましたが、今はもう、どこで何をしているのかわかりません。
ちょっと前に、最後に連絡があった街まで行って探してみたのですが、何もわかりませんでした。
母は死ぬ前に私にメッセージを送っていました。
暗号通貨取引用の、私名義のアカウント名とパスワードが記されていました。
そのときには、それが何なのかわかりませんでした。
一度だけログインして、適当に画面をタップして、価格変動のグラフが急角度に上昇し続けている様子を見て、漠然と驚いただけです。
翌年、中学校に上がってから、私は将来を決めました。
高校を卒業したら、家を出て京都の医大に進むことに。
ちゃんとした医者になって、パシュトゥンにもまともな人間がいることを示せるように。
そして、母のような犠牲を、もうださないように。
でも先月、ドル崩壊のニュースを見て、暗号資産の値動きを確認しようとしたのです。
私は目を疑いました。
口座が空になっていたのです。
全額が、私自身によって引き落とされたことになっていました。
私は銀行口座の取引記録を開きました。
私の口座から引き落とされた直後、数分のうちに、正体のわからないロシアの銀行の口座にすべてが振り込まれていました。
こんなことができるのは父しかいません。
私は父を問い詰めましたが、父はもちろん知らないと言いました。
私は家を出ました。
あの男と一緒にやっていくのはもう無理だ、そう思ったのです。
行くところもお金もなかったので、路上で過ごしました。
十日ぐらい、そうしていたと思います。
気がつくと、街が燃えていました。
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