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母はそのあと、本郷にこの家に住むように薦めた。本郷は受けた。
機会をみて学校にこのことを連絡する、ここにいることを父親に伝えるかどうかは、学校と相談する。伝える前には彼女に確認を取ると言った。
そして、今はいない、妹の部屋で暮らすようにと言った。
俺は、本郷と一緒に妹の部屋を掃除した。
父と妹が出て行ったのは急なことだったから、机だとかベッドだとか、そのままに残っているものが多かった。
清掃の必要がないほどにきれいだった。
俺は父と妹が出て行って以来、そこに入ったことがなかったが、母は定期的に掃除をしていたらしい。
不意に、胸の奥のほうから奔流のようなものが沸き上がった。
それは記憶のかたまりだった。
父と妹と、家族四人で暮らしていたころの記憶。
あの頃の母はどんなだったろう。
思い出す前に、奔流は何かにぶつかり砕け散って消えた。
俺の中身は相変わらずの空白だった。
その空白に、俺は感謝した。
「怒ってるな、牟田」
不意に本郷が言った。しばらく、俺は手が止まった。
「何を言ってる」
「さっき、そういう顔をしていた。自分で気づいてないのか?」
「俺は怒っていない」
「自分でわからないだけだな。感情は筋肉だ。使ってないと衰えて動かなくなるぞ」
「なら、俺の感情は死んだんだろう。そのほうが楽だ。あえて呼び戻すことはない」
本郷は静かにベッドに腰を下ろした。当時の妹には大きすぎるものだったが、本郷が寝るにはやや小さい。
「すまないと思ってる。後悔もしている」
「……どうした」
少し離れて、俺もベッドに座った。
「頼ればあんたは必ず私を助けてしまう。それがわかっていて、結局あんたに負担を押し付けてしまった」
「俺はそんなふうに思っていない」
「あんたは自分の事なにもわからないじゃないか」
「何もわからないわけじゃない。本郷とまた会えて、俺は嬉しい。俺は本郷に借りをつくったままだしな」
「借りは私のほうが多い」
「比べられるようなものでもない」
俺がそう言って、それから話すことがなくなった。
本郷は俺から顔をそむけてうつむいていた。
離れていても、本郷の髪の匂いと体温が伝わってきた。
俺の体温も伝わっているのだろう。
本当に何も言えなくなって、俺はぎこちなく立ち上がった。振り向かずに扉まで歩いた。
そのまま彼女を見ずに、言った。
「もう、いなくなるな」
返事を待たずに、俺は出て行った。
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