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近所のカフェでも桃がまるごと乗ったパフェを見かけるようになった頃のこと。
「物を大事にするのは素敵なことですけど、さすがにそれは……」
目の前のカレにボロボロのスマホケースを指さされ、私は羞恥に悶えていた。
「こ、これは明日変えるからいいの。それでなんだっけ、猫? がどうのこうのって」
「飼ってる猫がいるんです。なので僕が留守の間だけ、このえさんに預かってて欲しいんです」
私が机の下でスマホケースを外している間に、彼は簡潔に理由を説明する。その黒猫は3ヶ月前に拾った野良猫であること、次の1週間は山を登る予定があること、バイト先の店長が猫アレルギーで他に頼る人がいないことを。
「まあ預かれないことはないけど……私の事、ペットホテルとか荷物置き場とかだと思ってない?」
「お、思ってないです!! 迷惑なら荷物とかもう最悪勝手に捨てちゃってもいいですから!!」
「おお勢いがすごい。いや私も迷惑とか思ってないんだけど……友達にちょっと心配されてね」
カレは1年の半分を旅している。そして残りの半分は旅費を稼ぐためのアルバイトに費やしている。
そういえば、私がカレと初めて会ったのもバイト中だったっけ。
苺が山盛りのパフェを片手にずっとうろうろしていたため、あの時はつい声をかけてしまった。
テーブルの場所を教えてあげたら顔をパッと明るくして、見えないはずの尻尾をぶんぶん振り回して。その姿にかわいいと思ってしまったのが、きっと友達の言う『運の尽き』だった。
「『その人と将来のこと考えられるの?』って。私は前も話した通り結婚願望とかないし、彼氏彼女っていう関係にもこだわりはない。キミの近くに居られるならどんな関係でもいいって思ってる。でも、周りから見たらそれは変なんだってさ」
住所不定、職業不定、さらに旅行中は生死不定。そんな男有り得ないと親友に言われたのはつい先日のことで、『別れろ』とストレートに言われはしなかったものの極度に心配されたことが私は気になった。
カレと付き合うのはそんなにおかしいの? と。
「……僕は、このえさんの堅実なところが好きです。しっかりと地に足を付けてるし、将来のことをきちんと見据えてる。行き当たりばったりで生きている僕が関わって良いような女性ではないと、今でも時々思います。なんだか、住む世界が違う気がするというか」
「住む世界?」
「いや、拒絶するような意味じゃないですよ!? 現に今、別れ話っぽくなってることに僕は焦ってますし、必要とあらば土下座も辞さないかなって思ってます!!」
「うん私も別れたくないからそれはやめて」
「ただ、その……」
次にカレが言った言葉が、私の胸に突っかかっていたものをストンと腑に落とした。
「あまりにも見据えているものが違うかな、って」
あまりに納得し過ぎて、「それな」と軽い言葉で返してしまった。でも彼が落ち込んでしまい、言葉を誤ったことを遅れて自覚する。
自分で言うのもなんだが、私は堅実な方だと思う。高1の夏ぐらいになんとなく『とにかく安定した生涯を送りたい』と考えるようになってから、ずっと石橋を叩いて生活している。
でも出来上がったのがあまりにも頑丈な石橋で、その上で退屈さに苦しんでいた時に生クリームが溶けかけた苺のパフェが通り過ぎた。
「私はね、違う世界のキミのことを知りたくて、キミの背中を押していたくて、キミの彼女になった。でもこの動機に自信がないんだよね、これが人を好きになる理由になるのかなって」
「それは、なるに決まってます……!!」
「ほんと?」
「ほんとです!!」
カレが勢い良く立ち上がった衝撃でコップが倒れる。水はあっという間にテーブルの端まで広がって、そのまま勢い衰えぬことなく私が着ていたワンピースに襲いかかった。冷房の追い討ちがさらに私のお腹を冷やしていく。
「スイッ、ごっ、お拭き、ふくッ!!!!」
「まずはキミが落ち着こうか」
「ああああほんとごめんなさい!! 今日のこのえさんすっごい可愛いなって思ってたのに水を滴らせてしまって……!!」
「さらに良い女になっちゃった」
「少しは自分のこと気にかけましょう!?」
紙ナプキン片手に、私のお腹に手を伸ばそうかどうしようか戸惑っているカレが、私にはかわいく見えて仕方がない。少し仕返しのつもりでなにもせずにいると、カレは顔を真っ赤にさせて「お、お願いだから拭いてください」と私の手に紙ナプキンを握らせる。
「ふふっ、好きだよ」
「からかわないでください」
「好きだから触っていいよって言ってる」
「からかってないで自分で拭いてくださいって言ってるんですッ!!」
たまらない。どうしようもなく、私はカレが好きだ。
憧れで始まったこの感情に自信がなかった。彼氏なんて今まで居たことなかったし、そもそも私が望む安定した人生には要らないとも思っていた。だけど、今日話してみて確信した。
たとえカレが居ない日々が続いても、私はカレを愛し続けられると。
「ねぇ、さっき言ってた黒猫、なんて名前なの?」
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