元カレの猫

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「ただいまー。良い子にお留守番してたかい? ベンタ」 出窓に置いたクッションに鎮座する居候の名はベンタ。まんまるな黄色の双眸を頑なとして私に向けてくれない、非常につれない黒猫である。 だけど今日は気分が良いのか、ベンタはちらりと私の顔を一瞥した。 「お、これは雪か槍が降るね。でも明日は勘弁してよ? この大きなキャベツを食べる人が帰ってこれなくなるからね」 明日の晩御飯用にと買ってきた立派なキャベツを見せてあげようとすると、ベンタは出窓から降りてきて私の方へと歩み寄ってきた。ニャーニャーという鳴き声を聞いて、私はようやくこの日が来たかとベンタに手を伸ばした。 でも猫とは分からないもので、伸ばした手は華麗なUターンでいなされてしまう。そして少し距離を取ってからまた鳴いて、私が手を伸ばしたら離れるを繰り返す。おちょくられているのだろうか。 今日もダメか、と落ち込んでいると、なぜか電源が入っている小型テレビが目に付いた。雨が降るという予報を見て慌てて買い物に出かけたため、うっかり消し忘れたのかもしれない。 ベンタはそれを教えてくれたのかな、とリモコンを探していると、美声なキャスターさんが聞き慣れた山の名前を口にする。 『昨日正午、登山客が山頂付近で倒れている20代男性1人を発見し病院に搬送後、死亡が確認されました』 山登りの邪魔になるからとか、バッテリーを減らす訳にはいかないからとか、変なこと考えずに毎時連絡するべきだったと後悔する。 豚肉を冷蔵庫に入れることなんて忘れて、私はすぐにカバンの中から真新しいケースを被せたスマホを取り出した。 ワンコール。ツーコール。メッセージにスタンプにスリーコール。 ガサガサとスマホからノイズのような音が鳴る。画面に表示された通話時間は1秒ずつ増えている。 ほらやっぱり、ただの杞憂だ。 「もしもし、鹿取真央(かとり まお)さんのお知り合いの方でしょうか?」 それを聞いた途端、明日槍が降るくらいどうってことない気がした。
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