第8話 坊主 円覚定

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第8話 坊主 円覚定

「違いますよ」  突然の声に、ビクッとして、声のする方に目を向けると入り口のドアの横に水亀先生が立っていた。 「小夜さん、違います。全然、違います」  同じ言葉を何度も口にしながら、先生が近づいて来る。 「茜ちゃん、お疲れ様でした。自身がボロボロになっているようでは、カウンセラーとしてまだまだですが、小夜さんが茜ちゃんを信用して、心情を吐露し、魂の穢れを祓えたのはよかったと思います。魂を還そうとまでしたのは行き過ぎではありましたが、これを成長の糧にして下さい。兼人くんは、研修1日目からなかなかハードでしたね。反省も含め、自分なりの学びをしっかり持って下さいね」  僕は唖然としてしまって先生が何を言っているのかよく分からなかった。茜ちゃんも呆然と先生を見ているだけだった。 「何が違うというのですか?」小夜さんだけが、先生の言葉を聞いて反応した。 「まず一つ目の違いますよは、茜ちゃんと会ってもらったのは、小夜さんに魂を還してもらうためではありません」 「それは、私が決める事です。」  水亀先生相手に一歩もひかない姿勢だ。先生は意に介さず話しを続けた。 「そして、二つ目の違いますよは、小夜さんと茜ちゃんの出会いは、私からの素敵な贈り物ではありません。会わせるように依頼をして来たのは、住職の円覚さんです」 「え・・・住職は先日亡くなりましたよ」小夜さんが訝しんだ表情で先生を見た。 「はい。住職はおっしゃる通り、人間的な言い方をすると、亡くなられました。魂の寿命と言ってもいいかもしれないですね。五百年を超える魂でしたから」  その言葉を聞いて、小夜さんの表情が変わった。 「なぜ・・・依頼を?」 「円覚さんは、小夜さんが魂を還す事、つまり、死ぬ事をずっと止めていたのではないですか?」 「はい。もう瓦礫も片付けられていましたが、思い出も深く、罪を犯したあの場所で死のうとした時に、円覚に止められてから、ずっと・・・」 「円覚さん、小夜さんと一緒に暮らし始める少し前に、赤猫、猫の姿の茜ちゃんと過ごしています。その時に、茜ちゃんが小夜さんのことを強く心配していることを知ったのですが、訳あって円覚さんと茜ちゃんは別れます。そして時が経って、魂の寿命を悟ってから、自分がいなくなったら、小夜さんがまた死のうなどと、よからぬことを企てると思ったようです。どうしても、それを阻止したくて円昌寺で祀られていた妙見菩薩が祀られているお寺や神社に熱心に、赤猫と小夜さんを会わせて下さいとお祈りを続けていたので、その必死の一念が天に通じ私と会うことができたのです。そこで、依頼を受けたという訳です」  色々、複雑なことが絡み合っている様だが、寺の住職と小夜さんが一緒に暮らしていたというのは納得がいかない。まさか、恋仲だったのだろうか・・・? 「そして、最後の違いますよは、小夜さんは同族殺しも人殺しも行っていません」 「え・・・そんなことはありません。確実に殺しました」 「死んだのは人ではありません。猿の変化した妖怪です。円覚さんと同じ猿の妖怪です」  小夜さんの頭の中はいくつもの疑問符でいっぱいなのだろう。色々なことを思い出しながら、理解が追いついていないようである。 「でも、だとしたら、円覚はそれに気が付いていなかったのですか?私には殺したことはやむを得ない事だった、お前は悪い事をしていない。早く忘れなさい。と、そのようなことをずっと言ってくれていました。だから、私は長い間、罪の意識と自分を許そうという気持ちに揺れながら、今日まで生きて来たのです。でも、そう言ってくれる円覚もいなくなり、罪の意識だけが大きくなって苦しいばかりになってしまって・・・」 「円覚さんは、気が付いていましたよ」 「では、なぜ私にそれを言ってくれなかったのですか?それを言ってくれていたら私はこんなに苦しむことは無かったではありませんか・・・」 「それは、猿の変化した妖怪が襲って来た理由を小夜さんに話すことを避けたかったからです」 「なぜ・・・ですか?」 「円覚さんこそが同族殺しをしていたからです。襲って来た猿の妖怪は復讐です。結果、小夜さんに返り討ちに遭いましたが」 「何ということですか・・・。本当のことなのですか・・・?」  小夜さんも体の力が抜けて床に崩れ落ちた。そして、茜ちゃんと二人並んで、呆然と先生を見上げている。 「全て、円覚さん本人からのお話しなので、本当です。」  先生は澱みなく返答して話しを進めていくが、これはカウンセリングと言えるのだろうか・・・?クライアントである小夜さんの心が壊れてしまいそうで、つい口に出してしまった。 「もう、やめましょう。小夜さんの心が壊れてしまいます」  余計な事を言ったとハッとしたが、もう口に出てしまっていたので遅かった。バツの悪そうな顔をしている僕に先生が目線を移し、少し微笑んだ。 「そうですね。もう、やめましょう」  先生のその言葉に即座に反応したのは小夜さんだった・・・。
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