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粛清される無罪--処刑人・冴羽潤
晴らせぬ恨みを晴らしてみましょう不如帰。善良な民を守るための法が、悪を取り逃す法になっていることもある。権力・怠惰・隠蔽・面子・姑息な手段などが絡み合い闇に溶け込んだ悪を炙り出し、始末する影の死刑執行人組織・Jokerが極秘裏に設定された。この組織は元は、最高裁判事・警視総監・警察庁長官・日弁連会長など法を司る機関に従事した者たちと悪の粛清に同意した上場企業の寄付金で運営されていた。
Jokerのメンバーである冴羽潤は元特殊部隊の隊員であり、協調性にかけたことから当時の上司からパワハラを受け、殴ってしまい閑職に追いやられたことから、精神を病んだ経験があった。それに手を差し伸べたのがJokerのトップでもある元警察庁長官の黒部菅寿郎だった。冴羽潤は他のメンバーが誰なのか存在さへ知らされないでいた。黒田菅寿郎とは、冴羽が夜間歩いていた時に銃で撃たれ倒れ、気が付いた時に目の前のモニターに映し出された覆面の男として出会ったのが最初だった。指示は、USBで送られてくる。一度音声を再生するとデータは自動的に消され、流れる音声も雑音が録音を邪魔するものでコピーなど出来ないものだった。
付随して対象者の写真と行動パターンなどが記された書類は焼却を前提に渡される。仮に書類を放置しておいても紫外線を浴びると数時間で文字は消え去るものだった。報酬は一件につき二千万円、闇金だ。仕事を終えて帰宅すれば、玄関に無造作に置き配として置かれている。
ある日、冴羽は廃寺に呼び出された。無人のお堂に入ると正面にモニターが用意されていた。堂内の明かりが外に漏れないように壁には暗幕が張り巡らされていた。モニター前にあるヘッドホンを装着すると画面が明るくなり、音声が流れ始めた。「今回は趣向を凝らしているな。徒事ではないってことか」と冴羽はやりがいを感じ口角が嫌味な角度を示した。
事件は2001年11月17日、京都府舞鶴市の志楽川で高校三年生の女性が、その七年後に雑木林で高校一年生の女性が遺体で発見された。高校一年生の事件で60歳の男が逮捕された。場所・手口が似ていたことから高校三年生の事件との関与も疑われた。高校三年生の飯島美香は、就職も決まり、学校を早退し、彼氏とバイトで知り合った友人の通う舞鶴高専の学園祭に出向いた。美香は、社交的で交友関係も広かった。学園祭に行った後、約1.6㎞離れた安岡町の友人宅を訪れたが不在で近くの公園でブランコに乗り時間を潰していた。その姿を小学生二人が目撃していた。その後、東舞鶴駅方向に一人で歩く、美香が中学の同級生に目撃されている。美香さんは友人と会えるかもしれないと帰路ともなる駅に向かっていた。これが美香の最後の目撃証言となる。美香は、明るい性格で、後先を考えず行動する面も窺えた。帰ってくるはずの娘が帰宅しない。美香の父親は捜索願を警察に出した。警察は早くて一ヶ月、遅ければ一年くらいしないと対応できないと言ってきた。警察は単なる家出と判断していた。美香の年頃によくある家出であり、警察としては「またか」と対応に苦慮してこともあった。しかし、希望の就職先も決まり、家族間の関係も悪くないことなど不可解なこともあり、警察は重い腰を上げた。捜索願が出されてから11日後、公開捜査に踏み切った。美香が最後に目撃された志楽川近くの田中町周辺を捜索した結果、美香さんが制服姿で川にうつ伏せで浮いているのが発見された。捜査から一時間半後のことだった。
司法解剖の結果、美香さんの死亡推定時刻は11月5日の午後7~8時頃だとわかった。死因は刃物で首や胸を多数切られ、また刺されたことにより血液を肺に吸い込んでの窒息死と判明した。凶器は、傷口の形状からカッターやハサミなど細長く尖ったものと判断された。凶器は発見されないでいた。遺留品の中で鞄や財布や靴などは見つからないでいた。衣服のボタンは取れていたものの乱暴の形跡や防御創もなかった。凶器が学用品であったため、自殺も疑われた。5日から強い雨だったこと、10日には土砂降りとなったことにより増水し、血痕や足跡、他の遺留品を探るには困難を極めた。しかし、警察は、遺留品が見つかっているものと見つからないでいるのに不審を抱いていた。犯人が指紋の着いたものは処分したのではと疑った。被害者の交流関係も調べたが全てにアリバイがあった。見つかった定期券は失踪当日の更新だった。美香の事件は捜査が進展せず、迷宮入りしてしまった。
それから七年後、また舞鶴市内で女子高生一年の古川麻美さんが失踪した。麻美は母と二人暮らしで定時制高校に通っていた。深夜散歩することが楽しみの一つになっていた麻美は、2008年5月6日22時過ぎ、恒例の深夜散歩に出かけた。7日0時50分、友達に電話をしている。麻美はひとり散歩の際、その様子をプロフに投稿したり、友人や兄に連絡を取っていた。6時30分頃、家にいない麻美を心配した母親は、警察に捜索願を出した。目立った事件のない警察は、すぐさま七年前の事件との関りを疑った。8日8時45分頃、麻美は朝来中の川沿いの雑木林で遺体で見つかった。その場所は、七年前の美香が発見された2㎞ほどの距離と近く、同一犯の可能性が浮かび上がった。前回との違いは遺体は全裸の状態で、上から土や枯れ葉が掛けられていた。死因は窒息死。頭部をバールのようなもので激しく殴られており、鼻骨は潰され頭蓋骨も割られた上、首には弦のようなものが巻かれ酷い暴行の跡が伺えた。
被害者の遺体から体液は見つからないものの下半身を触るなどわいせつ行為の形跡は残っていた。両腕には無数の内出血も確認され激しく抵抗したことを伺わさせ、発見現場付近で血痕も確認された。しかし、犯人の手掛かりは見つからなかった。
麻美は、学校を休みがちで人見知りで交友関係も広くなかった。警察は殺人事件として麻美の交友関係を中心に犯人の手掛かりを探った。そんな中、麻美の生前の目撃情報が、偶然その場を通りかかったトラック運転手から入った。その内容は、麻美と似た少女と自転車を押す帽子の19~20歳くらいの男が歩いていたと言うものだった。警察は目撃情報付近の防犯カメラを調べた。複数の該当する映像が見つかった。周辺の聞き込みの結果、一人の容疑者が浮上した。男の名前は、仲勝見。事件現場から数百メートル離れた府営住宅に住み、舞鶴でこの事件と酷似した事件を起こした前科のある60歳の男だった。
事件当日、仲が飲食店を出た時間と防犯カメラに映る時間が近似。当日、帽子を被っていたこと、自転車で帰ったことも確認された。防犯カメラの映像は夜で画質は低かったが、自転車の男の服装と体格が酷似しており、体格は鑑定結果でも同一人物とされた。さらに仲は、事件当日に着ていた服装は捨て、自転車の色は塗り替えるという証拠隠滅と思える行動を取っていた。仲は普段から鉄パイプやバールを持って街を徘徊しする危険人物とされており、警戒されていた。
状況証拠はあるが物的証拠がない。決め手を欠いていた警察は、仲を下着泥棒と賽銭泥棒の容疑で別件逮捕し、窃盗罪で家宅捜査を行った。この日より弁護人立ち合いの元、殺人と遺体遺棄罪で取り調べが行われた。しかし、家宅捜査では全く証拠品はでなかった。警察は唯一の目撃者に事件解決の突破口を期待した。そこで警察は痛恨のミスをする。面割りをする前に目撃者に仲の顔写真を見せてしまい先入観を抱かせるものとなった。これは後に検察側を不利に追い込む。仲は殺人と強制わいせつ致死罪で起訴された。
仲勝見には恐喝と脅迫で少年院に送られその後、交際相手の女性とその兄を刺殺。立てこもり事件を起こして、懲役16年の実刑判決を受けていたが12年で仮釈放された過去があった。出所の6年後、強姦目的で女性の自転車に体当たりし、転倒した女性の顔などに鈍器のようなもので執拗に殴る事件を犯し、懲役6年の実刑判決を受けていた。出所後は生活保護を受け、暮らしていた。顔を殴る手口は、麻美の事件と酷似していた。
警察は物的証拠を欠き、自白に重点を置いた。仲は殺害は否認したが友人が遺留品を捨てるのを見たと証言し、警察はこれを秘密の暴露に当たるとし、仲を追い込もうとした。
ひと昔とは違い自白に頼る裁判進行の危うさは誰よりも検察が知っている。仲が友人の話を持ち出したのは、執拗な取り調べに耐えられず、自分から目を逸らさせようとした姑息な逃避行動だ。警察は仲の発言から麻美のポーチが見つかっている点を犯人しかしらない秘密の暴露として重視し、ポーチの色をベージュとした証言も暗さが影響し、実際ピンク色がそう見えた事を立証し、証言の信憑性を高めようとした。女性の顔を殴打する行為は、二人以上に渡って結婚を申し込むも断られた経験を持つ仲にとって女性は、自分の言いなりにならない難き相手と思うようになったからだと冴羽は考えていた。
逮捕から約二年後の2010年12月21日、京都地裁で仲の初公判が行われた。
検察官「被告は被害者の衣服を脱がせ、下半身を触るなどのわいせつ行為の
後、顔面を鈍器で殴り殺害した。その直後、犯行時に着用していた衣
服や普段から持ち歩いていたバールなどを処分し、自転車は色を塗り
替え証拠隠滅を図った」
裁判官「被告は起訴内容を認めてますか」
仲勝見「全部でたらめだ。嘘だ、全部違います。私は無罪です」
検察官「被告が事件同日の午前1時頃、自転車で飲食店を出た後にトラックの
運転手が自転車を押す男と少女をの目撃したという信用性の高い証言
があります。また近くの防犯カメラの三か所の映像にその男女が映っ
ていました。この少女の方は背格好や服装、歩き方の特徴から被害者
に間違いありません。さらにこの防犯カメラに映る男性は被告と同一
であるという鑑定結果も出ています」
弁護士「その防犯カメラ映像は画質が低く、人物の特徴までは拾えないものと
みられます」
自分の窮地を救うのは今だと急に仲が発言した。
仲勝見「私は何も関係ありません。真犯人を知っている」
裁判官「被告人は静かに」
状況証拠の積み重ねだけで物的証拠がない事件として世間の注目が集まった。
検察官「被告人は事情聴取において知人が被害者のベージュ色のポーチを捨て
るのを見たと供述しています。その供述内容に関して色彩工学などを
専門としている大学教授を証人に招いています」
裁判官「どうぞ」
教 授「暗所では色は彩度が落ちて見えます。ピンク色はベージュ、薄いグ
レー、白などに見えるのです。したがって、ピンク色のポーチを日中
にベージュ色に見えたと説明するのは可笑しいのではないかと思いま
す」
検察官「以上の証言により、被告が遺体発見場である雑木林の暗闇で実際に
ポーチを見ていると判断するのが妥当であり、つまりこれは秘密の暴
露に値すると考えます」
これまで集めた状況証拠を次々に提示しする検察側に対し、弁護側は、検察側の証拠の信憑性に疑問を呈した。その間、仲は自分の供述に焦りを感じ、裁判長の制止を無視して不規則発言を行い無罪を主張し続けた。麻美の母が心境を話していると「お前が犯人や。真犯人のくせに何言うとんねん」と仲は激高した。
冴羽は、裁判までに自白を聞き出せず今回の案件を達成できないまま、任務を解かれていた。冴羽は傍聴席にいた。自分が手に掛けた親族の涙ながらの訴えに動揺したものだと感じ、関係なければここまで動揺などしない。こいつがやったなと冴羽は感じていた。
2011年5月18日、第一審の判決が下された。
検察官「被告人の犯行は鬼畜の所業であり、冷酷で残酷かつ残虐で過去に二人
を殺害した前科もあることから被告人に死刑を求刑します」
死刑判決の目安とも言われる永山基準に達していたにも関わらず、懲役刑で済まされ後に仮釈放にまでなった以前の判決は現在では考えられない軽い刑期だった。
弁護士「検察が提示した証拠の信憑性には疑問があり、秘密の暴露は警察の誘
導によるものです。被告の無罪を主張します」
裁判官「主文、被告人を無期懲役とする。防犯カメラの画像の鑑定は印象に基
づくものが多く証拠としては認められないものの目撃情報には信憑性
があり、三か所の防犯カメラ映像の画像と目撃情報を合わせて検討し
た結果、事件当日の犯行推定時間近くに遺体遺棄現場付近で被害者と
一緒にいた男を被告人と認定する、また犯人しか知り得ない非公開の
被害者の遺留品について詳細に供述していたことなどから被告人が犯
人であることを強く推人される。犯行は冷酷残忍なものの周到な計画
はしておらず偶発的な面もあることから死刑選択がやむを得ないとま
で言えない」
第一審は検察側の状況証拠の立証が認められ、直接的な証拠がない中、有罪判決を導く結果となった。被告側は即日控訴した。検察側も量刑を不服とし、大阪高裁に控訴した。控訴審初公判は、2012年6月13日に大阪高裁で開かれた。
弁護士「トラック運転手の証言に関してですが警察は事情聴取の際、面割り前
に被告人の写真を見せています。当初トラック運転手は男の年齢を
19~20歳くらいと言っていたにも関わらず、若者から現在64歳であ
る被告人の容姿に寄せた証言に変遷していることが分かります。これ
は警察によって汚染された記憶に基づいて証言しているに過ぎませ
ん。また秘密の暴露と検察が主張する遺留品のポーチの色についてで
すがこちらも当初あやふやだった被告人の証言が取り調べが進む中で
被害者の遺留品の特徴に寄せられたものに変わっています。取り調べ
の際のメモにて被告人の「どんなものがありますかねぇ」「まだ弱い
ですか」という言葉が残されていますがこれは、明らかに捜査員の顔
色を伺いながら辻褄を合わせている様子であり、嫌疑を晴らすためと
誤信させ供述を誘導しているに他なりません。このように一審判決に
は事実誤認が多々認められ被告を犯人とするには合理的な疑いがあり
ます。よって改めて無罪を主張します」
検察官「取り調べは全て公正に行われております。一審判決に事実誤認はない
ものの犯情は悪質であり、量刑は不当。よって死刑を持って処断すべ
きであると考えます」
警察が面割りの際、先に仲の写真を見せてしまったことは、目撃証言の証拠能力を大きく揺るがすものとなり、大失態となった。確かに手順を焦ったのは大きなミスだ。印象操作と言われても仕方がない。しかし、供述通り遺留品が見つかっている点は揺るぎない。また、仲が友人と述べたならその友人を探し当てるかその信憑性を確認すべきだ。仲は裁判の中で麻美の母を真犯人だと言っている。仲が言う友人は麻美母ということか。裁判を見る限り、仲と麻美の母は初対面だ。それを友人と呼ぶ矛盾を何故つかないのか。友人が捨てる所を見たという仲の証言の真偽を暴けば、仲の苦し紛れの証言だとわかるはずと冴羽は考えていた。一層の事、仲の言う通り、麻美の母を犯人としたときの矛盾を付けば同時に仲の嘘が暴かれるのではないかとも冴羽は考えていたが見事にスルーされた。
2012年12月12日、大阪高裁の判決が下った。
裁判官「刑を言い渡す。主文、被告人は無罪。目撃証言について面割り写真を
見せられたことで証言が変遷したことが否定できず遺留品の特徴につ
いての供述も捜査機関による誘導が影響した可能性を完全に排除でき
ない。よって被告人を犯人とするには合理的な疑いが残るものと考え
る」
検察は捜査機関による供述の誘導や示唆を否定し上告するが、最高裁はこれを退け控訴審の判決を支持したため、2014年7月に仲の無罪が確定した。麻美の母は「どう考えても仲の犯行なのに…(泣き)こんな結末、辛すぎます!」と憤怒の河に飲み込まれた。その様子を薄笑いを浮かべていた仲は後に「無実が証明されてほっとしています。ただ、京都府警と検察には強い憤りを感じています」と語っていた。
控訴審の後、仲は釈放された。仲のコメントはマスコミによる釈放後、窃盗事件を起こし逮捕された拘置所からのものだった。
状況証拠のみでの有罪立証は、雑念に左右されないためにも極めて困難だ。急がば回れ。物事を成し遂げるのに無駄な時間などない。取り調べや捜査も同じだ。それを怠り、思い込みで安易な道を歩めば悔やみ後悔の未来を導く。
仲は全く懲りなかった。大阪で殺人未遂の現行犯で逮捕された。仲は、梅田のホテルで元々雇用主だった女性をわいせつ目的で襲い、殺すつもりで犯行に及んでいた。女性はナイフで首や顔など11か所を刺されて重傷を負った。仲は懲りずに正当防衛を主張した。逆転無罪を得てから四か月後のことだった。
無罪判決がでる前に拘置所で同室になった男性は衝撃的な話を聞き出していた。仲と五か月間一緒にいたその男性は、判決が出る前に「本当はどうなんだ、やったのか」と聞いた。最初は否定していたがある夜中、仲が自慢したくなったのか、無実の判決が出る確信を得た油断からなのか、こっそり布団を上げ「本当は俺がやったんや。俺はあの子に顔を見られたからな。凶器のバールを埋めたのは警察が捜査した場所とは山ひとつ違う場所やから探しても絶対わからんよ。それにDNA鑑定したところで何も出てこん」と話しかけてきた。同じ房のもう一人も寝耳を建てて聞いていた。
話を聞き出したのは、冴羽潤だった。冴羽は極秘に拘置所に送り込まれたスパイだった。状況証拠だけで乗り切るのは難しい、手を貸してくれ、とJokerに内通している現役の検察トップからの依頼を受けてのものだった。しかし、聞き出した時は既に遅しであり、真偽のほども分からないの状態だった。
仲が判決を受けたその日、冴羽も釈放された。それから二年後、冴羽は変装して仲の収監されている刑務所に刑務官の研修を名目に配置されていた。冴羽にとって任務を遂行できなかった案件の回復となる案件だった。
Jokerの依頼で法務大臣から矯正監・矯正長を経て、極秘の通達で配属されたものだった。冴羽は、仲をわざと優遇してみせた。他の刑務官や受刑者から仲を孤立させるためだった。親交を深めたある日、休憩時間に人気のない所に仲を呼び出し、煙草を一本渡した。「いいのかい」「ああ、見つかると拙いから一気に吸え」「ああ」。仲は旨そうに深々と何度も急ぎ急ぎ吸った。それから約一時間後、仲は嘔吐し苦しみ倒れ、医療刑務所に移送された。そこでも不思議なことに安易な治療を装った処置後、放置され、亡くなった。仲は心不全として処理され、闇に葬られた。
冴羽は、刑務官の任務を解かれ、帰宅すると玄関に小包が置かれていた。前回、拘置所に五か月もいたが依頼を達成できず無報酬だった。その後、汚名返上を掛け、独自に裁判を傍聴しながら、自問自答を繰り返していた。その執着心が実った今回の案件だった。冴羽は、今夜は自分にご褒美だと夜の街に繰り出して行った。
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