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第11話 必ず守る
「コーラル、おかえ――」
「もうっ、ジェイド‼ 今日のあれは一体なに⁉ あの後、本当に大変だったのよ⁉」
玄関先でジェイドの声を聞いた瞬間、私はただいたの挨拶よりも先に文句を口にしていた。持ち帰りの資料がパンパンに詰まったバッグを肩にかけながらリビングに入る。
だけど視界に映ったものをみて、言葉を引っ込めた。
目の前のダイニングテーブルに、美味しそうな料理が並んでいる。テーブルのそばには、料理が盛り付けられたお皿を手にしてこちらを見る、エプロン姿のジェイドがいた。
昨日までの地味な姿ではなく、たくさんの異性の目を引く姿へどうしてか変わってしまったジェイドが、エプロン姿で料理を作っている。
料理は、どれもこれもとても美味しそうだ。
幼い頃から、次期家庭円満の女神として料理の腕を磨いた結果、今では、料理の女神であるユマ・タイラーと肩を並べるほどになった私と良い勝負かもしれない。
いや料理もいいんだけど、エプロン、似合いすぎでは?
これが、エプロン男子からしか得られない栄養というもの?
突然、知らない世界を摂取してしまったせいで、一瞬動悸がおかしくなっちゃったじゃない。
「凄い料理ね! これ、全部ジェイドが作ったの⁉ この家庭円満の女神たる私と良い勝負だわ」
「本から知識を得た後、実践と検証を繰り返した結果だ」
……私、料理の話をしていたんだけど、何かの実験の話かな?
まあ、ジェイドらしい言い方だけど。
「でも、あなたが料理に興味あるなんて思わなかったわ。昔だって食べる専門で、作るほうに全く興味なかったじゃない」
幼い私が母に教えられながら作った料理を、口いっぱいに頬張りながら食べる、幼ジェイドの姿が脳裏を過った。
私の視界に映る、大人ジェイドの口角が僅かに上がる。
「昔、誰かさんが俺に、無理矢理料理を教えてきたことがあって。そのとき俺が作った見た目の悪い料理を、その誰かさんが美味しいと食べてくれてから、誰かのために料理を作るのも悪くないなという考えに変わったんだ」
「そうなんだ。お陰で、私はこうして美味しそうな料理にありつけるってわけね? ところでその誰かさんって、ジェイドのお母さん?」
そう訊ねた瞬間、ジェイドの唇から大きすぎるため息が吐き出された。
明らかに態度が変わったので、理由を尋ねようと口を開くと、突然口の中に何かが押し込まれ、頭の中が真っ白になる。
混乱の中、酸味の強い甘さが遅れて口の中に広がった。
ジェイドが持ったままの料理の上に、彩りとして添えられている柑橘系果物が目に入って、その果物を口の中に詰め込まれたのだと気付いた。
……え?
詰め込まれた?
ジェイド、フォークもっていたっけ? と考えている私の目の前で、彼が親指と人差し指をぺろっと舐めとるのが見えた。
私の視線を感じたのか、彼の双眸がこちらを捉える。
「ああ、それ、うちの実家でなってたやつ。本当は、少し砂糖をかけたほうが美味しく食べられるんだけど」
「そ、そぉーなんだぁ……?」
とりあえず返答はするけど、本当に聞きたいのはそこじゃない。でもその本音は、咀嚼をおえた果物と一緒に飲み込んだ。
……深く考えるな。
ほら。
あーん、なんて、小さい頃、たくさんしあったじゃない。そ、それに、指についた果汁を舐めちゃうなんて、よくやることでしょ?
向こうは、幼い頃の感覚で来ているだけで意味はないはず。
なら私も普通に接しないと。
平常心、平常心。
「あ、はは、え、えっと、じゃ、次は私が料理を作るわね!」
「楽しみにしてる。コーラルの料理は昔から美味しかったから、また食べられるのが嬉しい」
ニコッと笑うジェイドと、屈託のない言葉に、心臓が大きく高鳴った。
おいおい私、平常心とは一体⁉
昔、私が彼に振る舞った料理のことを覚えていてくれた。
ジェイドとの仲がこじれ離れてしまってから、かなりの年月が経つけれど、彼は私と過ごした思い出を、たくさん覚えていてくれている。私の事なんて、もうすっかり忘れてしまっていたと思っていたのに。
その事実が、心の奥底に眠るなにかをソッと撫でて行く。
……いや、ちょっとまって。
私、一番大切なことをすっかり忘れてない?
「って、今は料理の話じゃないっ‼ 今日のあれは一体何よ‼ 説明して、ジェイド!」
「あれ?」
手に持っていた料理のお皿をテーブルに置きながら、ジェイドが首を傾げた。
だから、ビシッと効果音が鳴りそうな勢いで、意味が分かりませんと顔に書いている彼を指差した。
「まずはその格好‼ 昨日までとは真逆じゃない‼ 昨日までの大人しく地味なあなたはどこに行ったのよ‼ それに、突然婚約発表を皆の前でするし‼ そのせいで私も、フレイズローザ様に伝える羽目になったじゃない!」
「ああ、そのこと」
彼の困惑顔が、つまらなさそうに歪んだ。
ジェイドが言うには、彼はもともと今のように目立つ容姿をしていたため、彼のお父さんから、もっと物静かで地味な格好をしろと言われいたのだという。
だからローブで身を包んだり、目立たないように髪の毛で顔を隠したりしていたらしい。
エプロンを外しながら、ジェイドが言葉を続ける。
「でも、コーラルの婚約者として今までの格好では良くないと思い、戻したんだ」
「別に私は、前の姿でも気にしないけど……」
「君が気にしなくても俺が気にする。地味な姿の俺がコーラルの婚約者だと広く知られたら、自分もいけるだろうって君にアプローチをかけようとするやつも出てくるかもしれない」
「あはっ、ないないないない‼ だって私、ディラック以外で他の男性から声をかけられたことないのよ? 考えすぎじゃ――」
彼の発言があまりにも斜め上過ぎて、私は思わず噴きだしてしまった。しかしジェイドは、呆れたように肩を落とす。
「コーラルはお人好しすぎ。他人の物になったからこそ、欲しくなるっていうおかしな奴だって世の中にはいるんだから」
「うわぁ……」
なんだか心の闇を垣間見た気がして、ドン引きしてしまった。そんな私を見るジェイドの視線が鋭くなる。
「とにかく、この姿と婚約発表は、変な男がコーラルに寄りつかないための牽制。婚約者になってくれた以上、君の安全は俺が必ず守る。俺を信頼してコーラルを預けてくれたイルミナ家のご両親にも面目が立たないから」
「牽制だなんて大袈裟な……私だって、自分の身ぐらい守れるし。だからわざわざ、あなたのお父さんの言いつけを破ってまでして、イメチェンする必要なんてなかったのよ?」
それに婚約者がいる相手に言い寄ってくる男なんて、私が一番軽蔑する相手よ? 何でざまぁの女神になるように言われているのか、ジェイド、忘れてない?
「……パルナならともかく、私のことなんて、誰もなーーーーんとも思ってないわ」
笑ってみたけど、ディラックから「可愛げがない・キツい女」と言われたのを思い出したせいで、上手く笑えたかは分からない。
だからジェイドが代わりに、笑い飛ばしてくれればいいと思った。しかし、彼の口から漏れたのは、
「だから、そういう無防備すぎるところだって……全く……」
少し苛立ったような呆れ声だった。
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