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第14話 疑念
家に戻ると、ジェイドが先に帰ってきていた。
だけどダイニングテーブルの上には出来たての料理――ではなく、仕事で使っているクリスタル画面型神器が設置されていた。
「これ一体どうしたの⁉」
「おかえり、コーラル。職場から借りてきた」
「借りてきた⁉ 一体どうして?」
結構大きな物なんだけど。
驚く私に、ジェイドは苦笑いをしながら答えた。
「だってこれがないと、ルーリンたちの視察に行けないだろ?」
「え? 視察⁉」
「ああ。疲れているところ悪いけど、今から行こう」
「ええええっ、今から⁉」
予想外の提案に、私は目を剥いた。
視察とは言葉のとおり、現地に行って実際の光景をこの目で見ることだ。
しかし神が軽々しく降臨することは、あまりよくないとされている。
なので通常はクリスタル画面型神器で、遠隔で人々を観察したり、信者たちに加護を与えたり、必要であれば神託を下ろしたりなどするのだ。そのための機能が神器にはある。
まあ視察に行くのは良いとして、何故家から?
視察に行きたいなら、執務室の神器を使えばいいのに、こんな物をわざわざ持って帰ってきたジェイドの意図が、全く分からない。
「ちょ、ちょっと待って! 今日の件といい、一体どうしちゃったの、ジェイド! 私にでも分かるように、説明して貰えない?」
とりあえずいったん落ち着こうと、彼に向かって両手をかざしながら、説明を求めた。私の混乱を理解してくれたのか、ジェイドは軽く頷くと、ポットの中のお茶を私用のコップに入れて、椅子に座るように勧めた。
お茶の温度は丁度良い感じで、叫んで喉が渇いたのもあって、一気のみをする。ふぅっと息を吐くと、私が落ち着いた合図だと思ったのか、ジェイドが口を開いた。
「コーラルが今日見ていたあの人間たちに少し気になる点があって、直接この目で確認したいと思ったんだ。だけど視察の件は、他の神々に知られたくない」
「だから、神器を持って帰ってきたってこと? 家から視察にいけば、皆にバレないから?」
「ああ、そうだ。コーラル、ちゃんと分かってくれてるじゃないか」
ジェイドの手が伸び、私の頭をポンポンとした。まるで子どもを扱うような態度と言動に、頬に熱があがり、むっと唇が尖ってしまう。
「わ、私にだって、そのくらいのことは分かるわよ! 何でそこまで周りにコソコソしなくちゃなんないの? 別に私たちが視察に行ったことが知られても、別に問題ないでしょ?」
頻繁にいくならまだしも、ちゃんと理由がある視察なら禁止されてはいない。
何をそこまで、気にする必要があるんだろう。
ジェイドはここで初めて、言いにくそうに口元を歪めた。そして少し間を開けたのち、重々しく口を開いた。
「……さっき、ルーリンの婚約者であるフィンランと、妹であるアルミーが浮気している現場を見ただろ? 違和感がなかったか?」
「えっ? 違和感?」
思いも寄らぬことを言われ、私は腕を組んで考え込んだ。しかし特別、変なところはなかったと思うから、見たまんまを言葉にする。
「フィンランとアルミーがベタベタとくっつきながら喋ったり、キスをしたり、抱きしめ合ったり……そんなことを繰り返していただけで……」
「そこだよ。繰り返していたんだ」
「えっ、どういうこと?」
ジェイドの鋭い視線が、私に向けられた。
「同じ場面が、画面内でリピートされていたように俺には思えた」
「う、嘘! そんなことあるわけが……」
「だから確認に行くんだ」
私の叫びに、ジェイドの冷静な声が被さった。
信じられなかった。
だってクリスタル画面製神器は、特別な物。人間たちはあれで監視されているなんて知らないし、監視されていることに気付くことすら出来ない。
ジェイドが言ったようなことが起こるなんて、神器に欠陥があるか……もしくは、私たちに近い存在の仕業――
そこまで考えて、私は何故ジェイドが視察に行くことを隠したがったのかの理由に気付いた。
背筋がゾッとした。
だってそれは、とあることを意味していたからだ。
「ま、まさか……神々の中に、あの人間たちに干渉している存在がいる、ってこと……?」
「考えたくはないけれど」
ジェイドがハッと短く息を吐いた。
人間に干渉すること自体は、別に禁止されていない。
他の神々の目を欺くための細工――今回のように神器に映る映像をリピート再生する――をされていることが、問題なのだ。
特別な通達もなかったし……
それに婚約者に浮気されているルーリンは、私の信者。
つまり私の仕事が妨害されているわけで――
全身から血の気が引いていく。
「わ、私……わたしっ!」
「コーラル、落ち着いて……」
「お、落ち着けるわけがない! 私の仕事が妨害されているかもしれないのよ⁉ 私、な、何かしたのかな? 何か恨みを買うことを……」
次の瞬間、私の身体が温もりに包まれた。
耳元で、柔らかな低い声が鼓膜を揺らす。
「大丈夫、落ち着いて。君は悪くない」
とても優しい声だった。
普段は冷静を演じているジェイドと同一人物が発しているとは思えないほどの、感情豊かで温かな声色。彼が私のことを、心の底から案じていることが伝わってくる。
その事実が、人から恨まれているかもしれない不安と恐怖を、和らげていく。
この温もりに包まれていると、大丈夫って気持ちになる。
何だか、とても懐かしい。
私、昔同じ感情を抱いたことがある気がする。
暗い場所で一人膝を抱える幼い私のもとに、一筋の光が伸びる。
光の先にいたのは、幼いジェイドで――
”コーラル! そんなところに……”
”じぇ、じぇいどぉ……こわっ、こわかったぁ……ぐすっ……うわーーんっ‼”
忘れていた記憶が蘇った。
幼い頃、ノア家の大きな書架で迷子になった私を、ジェイドが見つけてくれたんだっけ。ずっとずっと心細かった私は、彼を見つけた瞬間、抱きついて……ジェイドも泣きじゃくる私を抱きしめ返してくれて、大丈夫だと優しく囁きながら、背中を優しく撫でてくれて。
あのときと、同じ……ん? ちょっとまって。
私、今ジェイドに抱きしめられて――
その事実を認めた瞬間、全身が火になったのではないかと思うほど、熱く燃え上がった。いや、本当は燃えてはいないけれどっ‼
「あ、ありがと、ジェイド! も、ももも、もっ、もう……もうっ……」
恥ずかしさと焦りのせいで、舌が上手くまわらない。そんな私の傍で、ジェイドが小さく噴き出したかと思うと、先ほどの優しさとは真逆にある揶揄いを含んだ声色で言う。
「もーもー鳴いているのが聞こえるけど、牛でもいる?」
「だ、誰が牛よっ‼」
彼の揶揄いで理性を取り戻した私は、ジェイドの腕を引き剥がした。
ジェイドはジェイドで、ははっと笑いながら自分の椅子に戻っていった。その余裕さが、ムカツク‼
だけど――先ほどと違い、落ち着きを取り戻している自分がいる。
ジェイドはもう離れているけれど、まだ彼の腕に抱きしめられているような感覚が、身体に纏わり付いている気がする。
椅子に座ったジェイドが、場を仕切り直すように軽く手を叩いた。
「本当にコーラルの仕事の邪魔をしている神がいるかは分からない。だからこそ、自分たちの目で確認した方がいい」
「そう、ね……もしかするとあの世界に、私たちの存在を感じ取れる、高位的な存在がいないとも言えないしね。調べた結果、何もなければそれでいいわけだし」
「そういうことだ」
やっとジェイドの意図が全て分かり、私は心から納得することができた。
同時に、彼の思慮の深さを、少しだけ……すこーーしだけ尊敬した。
これで、素のジェイドが私に意地悪をしなければ、文句ないんだけど……
ジェイドが神器を操作しだした。
どうやら今から視察に行くようなんだけど、
グー……
私のお腹の虫が派手に音を立てた。
ジェイドの手が止まったから、思いっきり聞こえたみたい。彼の視線が、少しだけ気まずそうに宙を見る。
ううっ、恥ずかしい……
「ジェイドが悪いのよ⁉ 夕食を食べていない私を、仕事に引っ張り出そうとしているんだから‼」
恥ずかしくてジェイドのせいにしたけれど、次の瞬間、
ググゥー……
彼からも、私と同じような音が鳴った。
更に文句を言おうとしていた私の言葉が止まる。
もしかして、今の音って……
「俺だって、まだ夕食は食べてないから、腹減ってるんだけど……」
「あ、そ、そうだったんだ……」
「でも気になったことは、早くハッキリさせたいから、仕方ない。それに俺の発案だしな」
どうやら私の一件を解決するため、彼も夕食抜きで頑張ってくれていたみたい。そうとも知らず怒ってしまった気恥ずかしさと罪悪感もあって、私はカラ笑いをあげると、とあることを思い出し、ポンッと手を打った。
「そ、そうだわ‼ ルーリン・マインの住む城は、大きな街にあるの! ルーリンたちのところに行く前に実体化して、ちょっとだけ何か食べていきましょう? ね?」
視察は通常、人間たちの目に触れないように透明化することが多いけれど、必要であれば実体化して、人間たちの前に姿を現すことも可能だ。もちろん、食べることも飲むことも出来る。
私の提案を聞いたジェイドが、フッと口元を緩めた。
「……ってことは、人間界でデートだな?」
「で、デート⁉ わ、私たち、仕事で行くのよ⁉」
な、なんでそうなるの⁉
口をパクパクさせる私に、ジェイドが小さく笑いながら、視察の為の準備を手際よく進めていく。
その間、何度も私が、
「デートじゃないからね! 仕事だから! 遊びに行くんじゃないんだから!」
と主張を続けたけれど、彼は私をあしらうように、はいはい、とだけ言って、最後まで否定はしなかった。
デートじゃないからねっ‼
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